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.第七節「運命の選択」 | 返信 |
【Writer:諌山 裕】 厚い強化プラスチック窓を通した漆黒の視界の中、白地に青と茶のマーブル模様の球体が横切る。 地球だ――。 それはリング型コロニーの自転に合わせて、見かけ上の運動をしている。地球と月との重力の平衡点――ラグランジュポイントから見る地球は、頼りないほどに小さく見える。 多様な生命を宿した青い地球、といわれていたのは過去のこと。極地の氷が溶けて海面が上昇し、面積を広げた海。海に浸食された大陸は、大半の緑を失って褐色の地肌をむき出しにしていた。 陸地でつながっていた大陸は孤立し、勢力を広げた海からは大量の水蒸気が立ち上り、巨大な雲の塊を作りだしている。見かけは穏やかだが、渦を巻いた雲の下は嵐になっているはずだ。いまや人類の故郷は“白い地球”と呼ばれていた。 「アンドルー! ここにいたのか」 目を細めて白い地球を見あげていたアンドルーは、想いを現実に引き戻された。彼はサラサラの金髪を掻き上げる仕草をして、うしろを振り返った。 「ゲーリー、でかい声で呼ぶな」 駆けよるゲーリー・ブッシュは、肉づきのいい体を弾ませていた。頭にはトレードマークである、ニューヨークヤンキースの野球帽のレプリカをかぶっている。 ゲーリーのあとから、ふたりの少女がゆっくりと歩きながら続いた。少女たちは、ときおり笑いながら小声で会話をしている。 快活な笑い声をあげるのは、アフリカ系アメリカ人のジャネット・リーガン。カールした赤毛と肌の露出の多い服装で、はち切れそうなプロポーションが見るものの目を引く。 一方のキャサリン・シンクレアは、華奢な体に腰まである長い金髪がキラキラと輝き、清楚な妖精のようだ。 ふたりの少女はまったく正反対のイメージだったが、相性はよかった。 窓際に立つアンドルーを中心にして、彼らは向きあった。四人とも一四歳になったばかりだった。 「会議を途中で抜けだしちまって、いいのか? 退屈なのはわかるけどよ」 ゲーリーは肩をすくめていった。 彼らはアジア・セクター管轄のコロニーで行われている、DPT国際会議に参加していた。 「結論は出たのか? オレのいう結論とは、オレたち、アメリカ・セクターに有益な結論ということだが」 アンドルーは片眉をあげ、首を傾げて仲間を見る。 ゲーリーは首を振った。 「いいや。議論は平行線だ。まだすったもんだやってるよ。アジア・セクターが強気なんだよ。奴らが持ってる情報を出し渋ってる。時空確率転送機(DPT)テクノロジーでは、アジア・セクターが半歩先いってるからな。交渉の切り札を手放したくないのさ」 「ふん。そんなことだろうと思った。どうせ、しつこく月の領有権の復活を要求してるんだろう? 先のシム戦争で勝ったのはオレたちなんだ。取り返したければ、正々堂々と宣戦布告しろっての」 「同感だぜ。紛争解決で現実の戦争する代わりに、シミュレーションで戦争してんだ。あいつら勝てる見込みがないから、今回の会議で交渉条件に出してる」 「じゃ、やるのね?」 ジャネットが口をはさんだ。 アンドルーは口の端を持ちあげる。 「そうだ。決行する。準備はいいか?」 「もちろん」ゲーリーは自分の胸を叩いた。 「はい」キャサリンは控えめにコクリとうなづいた。 彼らは行動を開始した。 けたたましい警報が鳴り響いた。 同時にコンピュータボイスが警告を発する。 《侵入者警報! シグマブロックに不正なアクセスがあります。警告! 警告! システムがハッキングされています》 「キャサリン! 早くドアを開けろ!」 アンドルーは怒鳴った。彼の手には小型の麻痺銃(マイオトロン・ガン)が握られ、足下には倒れた人間がいた。麻痺銃から放たれるビーム状の放電は、運動神経と視床下部に作用し、筋肉を麻痺させるのである。死にいたることはないが、数時間は身動きできなくなる。 キャサリンは歯を食いしばって意識を集中していた。彼女の長い金髪の一部が、セキュリティパネルのデータノードへと伸びている。それは髪の毛に偽装した、神経インプラントのケーブルなのだ。彼女はシステムにアクセスして、厳重なセキュリティのかかったドアを開けようとしていた。 彼女は量子コンピュータの支配する量子空間へと、“意識”を滑りこませていく。処理スピードでは、人間の脳は量子コンピュータにはかなわない。しかし予測不能な人間の意識の方が、優位な場合もある。彼女は押しよせる津波のようなデータ流を、波に乗るサーフィンの要領でかわしながら、目的のノードへと近づいていく。 彼女に迫る波は、悪魔のような形相に変貌して襲いかかる。悲鳴をあげそうになる彼女は、必死に攻撃を回避しながら、ポイントを目指した。 「キャサリン!」 遠くからアンドルーの声がきこえる。彼の声は彼女を元気づけたが、システムの悪魔は彼女を四方から追いつめようとしていた。 「あと、もう少し!」 彼女は意識の擬体の手を伸ばす。感覚的にポイントはほんの数センチ先だった。だが、なかなか届かない。 ドロドロとした粘着質の液体が、彼女の髪に絡みつき、自由を奪おうとしていた。液体はさらに触手を伸ばして、彼女の体にまとわりつく。 量子空間で孤軍奮闘するキャサリンは、苦しげにあえいだ。彼女の意識の表現である擬体は、衣服をはぎ取られていく。それは彼女の防壁であり、裸にされることは無防備になることを意味していた。 キャサリンは意を決して、自ら衣服を脱ぎ捨てて裸になった。 一瞬、彼女の戒めがゆるんだ。すかさず、セキュリティノードに手を触れ、破壊ウイルスを注入した。 次の瞬間――彼女は触手に絡みつかれていた。 「キァアアア――――!!」 彼女は悲鳴とともに昏倒した。 しかし、ドアは開いた。 アンドルーは気絶したキャサリンを片手で抱きかかえて、中に転がり込む。 室内には怯えた顔をした研究者が数人いた。アンドルーはためらうことなく、麻痺銃を撃った。さらにゲーリーは部屋の奥へと駆けこんで銃を乱射し、ストロボのような閃光が何度も光った。閃光が消えると、ゲーリーは手招きする。 「ゲーリー! ドアをロックしろ!」 「おおっ!!」 ゲーリーは閉じたドアの制御系に、麻痺銃の放電を浴びせた。火花が飛び散って、ドアの機能は焼き切れて壊れた。 「ジャネット! ここのシステムをメインフレームから隔離するんだ!」 「あいよ!」 アンドルーはキャサリンを抱きかかえて、占拠したコントロールルームへとはいる。そして彼女を椅子に座らせた。 警報はよりいっそう大きな音で反響していた。 「このうるさい警報を止めろ!」 突然、警報は沈黙した。 「キャサリンの放ったウイルスが、セキュリティのレベル2まで侵食した! システムは混乱しているぞ」 ゲーリーは拳を振った。 「まだ安心するな。ジャネット、DPTのシステムは隔離したか?」 「手こずってるわ! あたしひとりの手には負えない!」 「代われ! オレがやる!」 駆けよろうとしたアンドルーの手に、キャサリンの手が触れて引き留めた。 「アンドルー……わたしが……」 声は弱々しかったが、強い意志が感じられた。 「できるのか? かなりダメージを受けたのだろう?」 「あなたが……守って……」 キャサリンは微笑んだ。 「いいだろう。オレが盾になる」 アンドルーはキャサリンの座った椅子を、アーチ型のコンソールの前まで押した。コンソールには色分けされたタッチパネルが並び、左右に直径二五センチほどの黒い窪みがある。 キャサリンは両手をそれぞれの黒い円の中に置く。背後からアンドルーも手を伸ばし、彼女の手の上に重ねた。 すると、黒い円は液体のように波打ち、ふたりの手を包みこんでいく。やがてすっぽりと黒い膜に包まれた手は、コンソールから生えているかのようになった。 ふたりの体はインターフェイスとなっているナノマシンを介して、神経系と量子コンピュータとが有機的に直結されたのだ。 キャサリンとアンドルーは、量子空間へと意識をシフトさせた。 量子コンピュータが神として君臨する、量子空間――。 擬体化したキャサリンとアンドルーは、灯りで彩られた夜の街の上空に浮かんでいた。街のように見えるものは、量子マトリックスのグリッドであり、脳が視覚的に作りだしている幻影である。 「キャサ……」 アンドルーは彼女を見て、口ごもった。 キャサリンは裸だったのだ。 彼女はいたずらっぽい笑みを彼に向けた。 「さっきの接触で、わたしの防壁ははぎ取られてしまったの。ちゃんと守ってね、アンドルー」 「ああ……、わかってるよ。オレのそばを離れるな」 彼女は彼のうしろにつき、彼の手を握った。アンドルーは一瞬躊躇したが、彼女の手を握り返した。 「あっち」 彼の肩越しにキャサリンは指さした。 ふたりは飛んだ。 量子空間では擬似的に物理法則が適用されて、日常的な感覚を反映させている。しかし、それもユーザーの意識しだいである。無視しようと思えば、物理法則的な観念は省略できる。 光の街はところどころで灯りが消え、虫食いのように暗くなっていた。ウイルスによって破壊されたグリッドだ。侵食された部分との境界線では、光の明滅が起こっていた。侵食をくい止めようとしている免疫システムとの攻防が繰り広げられているのだ。 「あそこよ」 高速で飛び続けて、キャサリンの指示で停止したときには、ピタリと静止した。慣性は省略したのだ。 ふたりの前には、巨大な黒いピラミッドがそびえている。距離の表現は無意味ではあるが、擬体の比較からいえば一辺が数キロメートルはある感覚だ。それがシステムのコアである。 グリッド面に着地すると、キャサリンは作業に取りかかる。アンドルーは彼女を見守りながら、あたりを警戒する。 彼女はどこからともなくナイフを取りだす。そして、刃を手のひらに当てて、スッと切った。切った手を握りしめて、血をしたたらせる。 鮮血――それは彼女のデータの表現だ――は、黒い地面に血溜まりを作っていく。 彼女はつぶやく。 「いまわたしがあなた達を送り出すのは、羊を狼の中に入れるようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように純真であれ。人々に気をゆるすな。あなた達を裁判所に引き渡し、礼拝堂で鞭打つからである。また、あなた達は私の弟子であるがゆえに、総督や王の前に引き出されるであろう。これは、その人たちと異教人とに福音を証する機会を与えられるためである」 キャサリンはマタイの福音書、第十章十六節から十八節の言葉をいった。言葉そのものにさしたる意味はないが、起動させるプログラムに暗号化されたパラメータと実行命令を与えたのだ。言い換えるならば呪文のようなものだ 血は意志あるもののように脈動し、渦を巻きながら、彼女を中心に広がった。それはある図形を形取った。 円を四つに分割した図形――魔法陣である。 分割された領域には、それぞれヘブライ語で文字が書かれている。東に守護天使ラファエル、南に守護天使ミカエル、西に守護天使ガブリエル、北に守護天使ウリエル。 魔法陣はさらに大きく成長し、巨大ピラミッドをその円の中に収めるほどになった。 キャサリンの手からは血が流れ続けていた。実際に血が流れているわけではないが、彼女の顔は青ざめていく。表情には苦痛が現れていた。 よろめく彼女の元へ、アンドルーは駆けよった。 「大丈夫か?」 彼はキャサリンの肩を抱いた。 「こんなに大きな魔法陣は初めてだから……。でも、なんとかなると思う。うしろから倒れないように支えてて」 彼は彼女のうしろにまわり、両手を彼女の腰に当てて支える。擬体とはいえ、彼女の裸体に触れていることで、心持ち心臓が高鳴った。 《アンドルー! 急いでくれ! やつらがドアをレーザーカッターで開けようとしている!》 外からゲーリーの声がきこえた。 「もう少しだ! ジャンプの準備を始めろ!」 アンドルーは短く深呼吸した。 「キャサリン」 「ええ、わかってるわ。うまくいくように、おまじないでもしてて」 彼は彼女の頬にキスをした。 「おまじないだ。さぁ、やってくれ」 「ふふ、そのおまじない、効いたかも」 キャサリンは両手を高々と挙げる。 「バズビ、バザーブ、ラック、レク、キャリオス、オゼベッド、ナ、チャック、オン、エアモ、エホウ、エホウ、エーホーウー、チョット、テマ、ヤナ、サパリオウス」 彼女は低い声で詠唱を始めた。 やがて、空間が鳴動を始め、血の魔法陣から光が発し始めた。立ちのぼる煙のような光は、徐々に形を整えながら、ピラミッドを包みこんでいく。 一方、ピラミッドだったものも変容していく。それはおどろおどろしい悪魔の姿を思わせた。 「きたれ、聖なる秩序よりいでしものよ。 天空を支配し、大地を割るものよ。 汝、時空を旅するもの。 闇の敵、光の盟友たる守護者よ。 静寂を愛し、静寂を破るものにして、炎を凍らせるものよ。 あまたの世界に秩序と平安をもたらしたまえ!」 キャサリンの澄んだ声が、量子空間に響き渡った。 そして魔法陣の光は、ついに姿を顕在化した。それはドラゴン――秩序の象徴だった。 ドラゴンはピラミッドの悪魔に襲いかかる。炎を吐き、四肢を絡めて、システムのコアをがんじがらめにしていく。 抵抗するピラミッドからは、無数の突起が伸び、ドラゴンを串刺しにしようとする。 攻防は一進一退だった。 ドラゴンに鋭い突起が刺さると、そのダメージはキャサリンにも反映される。腕や足に、次々と刺された穴が開き、血が流れた。彼女は痛みに体をよじりながらも、毅然と立っていた。 アンドルーは彼女の華奢な体のどこに、そんな強さがあるだろうと驚いていた。彼は少しでも彼女が楽になるようにと、背後から強く抱きしめた。彼女は踏んばっていた体の緊張を解き、彼にもたれかかる。そして、ドラゴンを操ることだけに集中した。 と、次の瞬間――。 一本の突起が、キャサリンめがけて伸びてくる。 アンドルーは彼女を抱いたまま、くるりと体を回した。 グサッ!―― 「あうっ!!」 彼は悲鳴を押し殺した。槍は彼の背中に刺さっていた。 「アンドルー!」 「大丈夫だ。オレが盾になるといったろ? 続けろ、奴を叩きのめして、手なずけるんだ」 キャサリンはコクリとうなずいて、深呼吸し、叫ぶ。 「万物の支配者にして秩序の化身よ! 混沌なる邪悪を打ち砕け! 闇を光の戒めで封じよ! この汚れなき体を御国に捧げる! わが名はキャサリン! 聖なる巫女なり!」 彼女の体が光り始め、同時にドラゴンも太陽のような強烈な光に包まれた。 光の圧力に屈するかのように、針のむしろと化していたピラミッドが、徐々に収縮していく。 彼女とドラゴンの輝きが、正視できないほどまぶしくなる。 アンドルーは彼女を抱きしめたまま、目をつぶった。彼は光の音をきいていた。それは教会のパイプオルガンのような荘厳な和音を奏でていた。 やがて、音は残響の尾を引きながら、静寂の幕を下ろした。 「終わったわ……」 キャサリンは肩で息をしていた。 アンドルーは目を開けて、ピラミッドを見る。正四角錐の四つの面には、魔法陣にあった守護天使の名前が刻印されていた。そして黒いピラミッドは、大理石のようにまっ白なピラミッドとなっていた。 「あれはもう、わたしたちのものよ」 彼女は誇らしげにいった。 「よくやった! キャサリン」 ふたりは量子空間から離脱した。 肉体に戻ったアンドルーは、即座に立ちあがった。背中に激痛が走る。 「あったた!」 「おい、大丈夫かよ?」 ゲーリーは心配そうにいった。 「オレの心配よりも、DPTスフィアの方は?」 「セットアップした。あとはキャサリンの手なずけたシステムに座標を設定して、オートパイロットさせるだけだ。ジャネット?」 「やってるわよ。綾瀬チームの座標を基本にして、彼らよりも数ヶ月は早く着きたいんだろ? 難しいのよ、その数ヶ月がね。百万分の一ポイントの差で、誤差が増大するんだから。検算とテストでもっと精度を上げないと……」 彼女は赤毛を掻きむしった。 「そんなに時間はなさそうだぞ」 アンドルーは焼き切られようとしているドアを指さした。 「ジャンププロセスのカウントダウンは三〇から始めよう。それ以前は飛ばす」 「無茶苦茶いわないでよ! それじゃ、ほとんどぶっつけ本番だわ!」 「そうだ。このチャンスはもう二度とない。彼らがデータを提供してくれるとも思えないしな。ジャンプを実行する。スフィアに入れ」 ジャネットは舌鼓を打って立ちあがった。そして弱っているキャサリンに手を貸して、コントロールルームを出ていく。ゲーリーもあとに続いた。 アンドルーはDPTシステムに起動の指示を入力し、ジャンプ後に自壊する命令を与えた。これでしばらくは使い物にならなくなる。未来からジャンプすれば、時差は問題にならないが、多少なりとも気休めになる置き土産だった。 「アンドルー!」 ゲーリーがDPTスフィアの入口から、大きく手を振って呼んでいた。アンドルーは走った。 時空確率転送機(DPT)スフィアは、完璧な球体だ。光の反射率がほぼ百パーセントであるため、周囲の光景を球面に鏡像として映している。その歪んだ鏡は、見ていると目眩を覚え、実体の存在を捉えにくくしていた。直径は十メートルほどだが、その大きさを実感するのは難しい。 球体は通常の物質でできているのではない。エキゾチック物質――負の物質なのだ。それは通常の物質とは相互作用をしない――つまり、外部からの干渉を受けつけないのである。球体の内部は、外部の世界から完全に隔離される。 アンドルーはスフィアに走りこんだ。 ゲーリーが円形の入口を閉じる。入口はしぼむようにして閉じ、始めからなかったかのように、ピッタリとふさがった。 内部はまったくの無音である。聞こえるのは四人の息づかいだけだった。 「カウントは?」 アンドルーは静寂から染みだしてくる、緊張感と恐怖感を打ち消すようにいった。 「あと二〇」 ジャネットは答えた。その声は震えていた。ジャンプに失敗すれば、自分たちの存在そのものが消えてしまうことを承知していたからだ。 「腹減ったな。向こうに着いたら、まず、マクドナルドに行こうぜ。本物を食ってみたい」 ゲーリーは無理に笑みを浮かべていった。 ジャネットは眉間に皺をよせて、首を振った。 「牛の死体の肉じゃない! 野蛮よ。あたし、そんなの食べたくないわ」 「慣れるしかないだろうよ。昔は動物の肉が当たり前の食料だったんだ」 アンドルーは鼻で笑った。 「わたしは……お寿司」キャサリンがいった。 「ゲゲゲー! 生の魚じゃない。みんなゲテモノ好きなの?」 ジャネットは手を激しく振って、嫌悪感を露わにした。 「食いものの話ばかりかよ? ピクニックに行くわけじゃないんだぞ」 アンドルーはため息をついた。 「アンドルーだって、口に出さないだけで、いろいろと思惑はあるはずだぜ」 ゲーリーはしたり顔でいった。 「カウント!」 話題を打ち切るように、アンドルーは大声を出した。 「一〇を切ったわ。八……七……六……五……」 全員が息を呑んだ。 「いよいよだな。オレたち……」 アンドルーが最後まで言葉を発する前に、彼らの肉体と意識は量子的な確率の海の中へと沈んでいった。 時空を超えて、過去へと――。 「アンドルー?」 「ん?」 「どうしたの、ボーッとして。何度も呼んでるのに」 キャサリンは心配そうに彼の顔を覗きこんだ。 「ごめん。ちょっと考え事をしていた」 「どんな?」 「ジャンプの時のことだよ。ついつい考えてしまうんだ。オレたちの選択と決断は正しかったのかってね」 「済んだことをあれこれ考えてもしょうがないぜ。というか、まだ起きていないことか」 ゲーリーは食べものを口に入れたまま笑った。 「これって、けっこう癖になるね。チーズがたまらないわ」 ジャネットはハンバーガーを頬ばっていた。 彼らはマクドナルドにいた。ボックス席にテーブルを囲んで四人で座っている。ゲーリーとジャネットは、バクバクと食べることに夢中になっていた。キャサリンはシェイクをすすっている。 日中はそれぞれに別行動で情報収集をしていたが、夕刻になると、ほぼ毎日こうしてマクドナルドで顔を合わせていた。 店内には学校が近いこともあって、同じ制服を着た同年代の少年少女が多くいた。近くの学校――私立「聖天原学園中学校」はクリスチャン系の学校であり、在日の外国人も珍しくなかった。制服を着ている生徒の中には、ちらほらと外国人が交じっている。新学期が始まったこともあって、混雑に拍車がかかっていた。 それでも、彼ら四人は目立っていた。私服であるというだけでなく、存在感そのものが際だっていたのだ。周囲の視線が注がれていることを、アンドルーは感じていた。 「オレたちも、あの学校に入る必要があるな。これでは目立ちすぎる」 「どうやって?」ジャネットがきいた。 「郷田という人物と接触しよう。彼が綾瀬チームをサポートしているんだからな」 「一石二鳥ね。綾瀬チームとも接触できる口実になるわ。向こうはこっちを知らないけどさ」 「それはそれとして、さっさと食えよ。冷めたらまずくなるぞ、アンドルー」 ゲーリーは三個目のハンバーガーを口に入れていた。 アンドルーはトレイに載せてあったハンバーガーを口に運ぶ。ジューシーな肉の味と、ソースの味が舌を心地よい感覚で刺激する。 「たしかに……、美味いな……これは」 彼らはしばしの間、自分たちに課せられた任務や運命のことを忘れ、一四歳のいまという時間を楽しんでいた。 |