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.第十一節「RE:突然のメール失礼いたします」返信  

【Writer:水上 悠】


 タブレットの脇にペンを置いたところで、メールの着信を告げる音が初秋の明け方の冷たい空気に満ち始めていた空虚な部屋の中に響いた。
 彼は椅子を回し、背後にあるメール端末にしているノートパソコンの液晶モニタに目を転じた。
 わずかな液晶のちらつきの中に、またイメージの断片が見え隠れしたような気がしたが、具体的な意味は浮かんでは来なかった。
 未読三通。
 すべて、スパムメール。反射的にそれらをゴミ箱に放り込むと、二日前に届いたメールがスレッドのトップにくる。

『突然のメール失礼いたします』

 同じタイトルのメールは週に数通は届く。あとは「はじめまして」とか「ホームページ拝見しました」とか。
 毎日のように届くスパムメールに比べれば、そうしたメールが届くことじたい、自分がやっていることが幾人かの人にとって意味あることだという証明ではあったが、喜び勇んで返事を書くようなことは、もうなくなっていた。
 メールの内容は見なくてもだいたいはわかる。
 絵のことを素直に褒めてくれている内容ならまだいい。そこに「共感しました」とか「衝撃を受けました」とか来ると、本気でそう思ってくれているのか怪しくなる。
 最悪なのは、「あなたと同じイメージを見ることがあります」というものだ。
 返事を書かずにいる二日前のメールは、それに近い意味合いの内容が書かれていた。
 あらかじめ用意してある、当たり障りのない「メールありがとうございました」という返事を送ってしまおうかと、一読した時は思ったのだが、そうしようとした瞬間に見えたイメージのせいで、返事を出来ずにいた。

『前略
 メールありがとうございます。
 拙作「ある終末」を気に入ってもらえたようで、嬉しい限りです。
 まさか、中学生のあなた(あなたたちと書いたほうが正しいのでしょうか?)に気に入ってもらえるとは思いもしませんでした。
 お尋ねの件ですが、わたしが視える(見えるというのとは少し違いますので、視えるとあえて書かせてもらいます)、いろいろな物事に関しては、残念ですが説明のしようがありません。視えるのだから仕方がないと、投げやりな言い方しかできません……』

 いったい何を書こうとしているのだろうと、そこまでタイプしたところで手を止めた。
 中学生を相手に終末への期待を裏切られたと同時に、あの恐怖から開放された自分について言い訳じみたことを書いてどうしようというのか?
 それとも、終末の風景がまだまだこの先にもあるのだということを告げようとしているのだろうか?
 まさか中学生が「ある終末」と題した絵に興味を示してくるとは思いもしなかった。
 いまどきの中学生が「終末」などに興味があるのだろうか?
 親や周りの影響で、ノストラダムスの大予言くらいは知っているだろうが、何事もなく、平然と過ぎてしまった前世紀の終わりに、なんの空虚さを感じることなく、新世紀の到来を喜んでいたはずだろうに。
 それとも、自分が勝手にそう思いこんでいるだけだろうか?
 ノストラダムスの預言。ヨハネの黙示。
 世の中が終末の予言に沸き立っていた頃、中学生だった自分にとっては、ああした終末の風景は、大人になることへの恐怖と同等か、それ以上のものに思えたものだ。
 一九九九年、七の月。
 甘美な魅惑をほのかに秘めた、滅びへと導く、五行詩の一節。
 その詩の本当の意味を知ることができるという期待がわずかにあったことは否定できないが、恐怖のほうが大きかった。
 アメリカはソビエトと目に見えない戦争を続けており、西と東を分けるヨーロッパのどこかで戦争がはじまれば、核ミサイルを発射するボタンが押され、すべてが終わる。そうしたことがすべて現実だった。
 それがどうだろう、ブレジネフ以降、ソビエト共産党書記長がめまぐるしく入れ替わり、ゴルバチョフが書記長に就任したあたりから、恐怖に満ちた世界の様相は変わりはじめていた。
 まさかベルリンの壁が崩される光景をこの目で見ることになるとは……。ベルリンに住んでいる人たちほどの喜びと感嘆ではないにしても、茫然とテレビを見ていたのを今でも覚えている。そうやって冷戦は終結を向かえた。
 バブル全盛の頃は、大学とバイト先との往復に明け暮れ、世の中の動きなど少しも興味なかった。さすがに湾岸戦争がはじまった時は、終末への予感が頭をもたげたが、呆気ないくらい簡単に(最初からわかっていたことだが)アメリカの勝利に終わり、すぐそこに見えた終末は、またしても消えた。
 バブルが弾けるちょうど一年前に就職できたことは、幸運だったのかどうかわからない。
 自分の人生に、あまり意味を見いだせないでいたことだけは確かだった。
 そして、二〇〇〇年問題で、多少浮き足だった感じはあったが、何事もなく新世紀を迎えた。
 二〇〇〇年の元旦に味わっていた空虚は、いまでも思い出したくはない。
 だが、あの日以来、おかしなモノが視えるようになっていた。

 はじめに視えたのは、巨大なコンクリートの構造物ががれきの山となった光景だった。サイレンの音、逃げまどう人々の悲鳴、怒り、恐れ、そして血のにおい。
 あとになって、阪神大震災の高速道路が倒壊した映像に似ていることに気付き、虚脱感のあまり、記憶がおかしくなっているのだろうと、あまり気に病まないようにしていた。
 だが、イメージの断片はその後も突発的に襲ってきて、浅い眠りを邪魔されたり、人込みのど真ん中でめまいに倒れそうになったり、日常生活に支障をきたすようになった。
 友人の薦めで、精神科医のカウンセリングも受けたが、軽い躁鬱症だろうと診断されただけだった。
 病院から出た瞬間、二つの高い塔からのぼる煙のイメージが脳裏をよぎった。
 そのイメージが襲ってきたときは、意味など知りようもなかった。
 無我夢中で絵に描き上げたこのイメージが、現実の光景になったのは一年後のことだ。
 おそらく、このメールを送ってきた彼等もテレビで見ていたはずだろう。
 もしかすると、彼等にとっては、あれが終末の風景に思えたのかもしれない。
 先のことを一瞬でも垣間見ることが出来る。
 子供の頃には予知能力に憧れたこともあった。
 それがどうだ。ほんの一瞬でも、先に起こるであろう出来事の断片が見えてしまうというのは、苦痛以外のなにものでもない。
 自分が預言者だなどとは思いたくはなかったが、もし、自分が視たものの意味を、他の誰かが理解してくれるとすれば、大勢ではないにしても命を救うことが出来るかもしれない。
 そう思って描き上げたイメージの断片をサイトにアップするようにしてきた。
 報われているのかどうかはまだわからない。
 もし報われるとすれば……?

『ただ、私が描いているもののすべてが、「ある終末」のように希望のないものだけではありません。近いうちにアップする予定ですが、少しばかり希望のあるものもこれからはアップしていくつもりです。
 偶然かもしれませんが(おそらく偶然ではないと思います)、あなたからのメールを読んだ直後に浮かんだイメージをいま描き上げたところです』

 背後のモニターに映る、少女の微笑みを見る。
 いつどことも知れない黄昏の街。
 生きた街なのか、死んだ街なのかは判然としない。
 少女は振り返り、悲しげな微笑をこちらに向けている。
 だが、その瞳には、はっきりとした意思が感じられた。
 いつまでも終末にこだわっていても仕方がない。
 ノートから離れ、描き上がったばかりの絵にタイトルを付け、保存をする。

「M.E(ミレニアム・イヴ)」

 本当に希望など持てるのだろうか?
 一瞬だけ疑問が湧いたが、すぐにうち消した。

『添付いたしますので、気に入ってもらえると幸いです』

 メールの最後に「くろいまさなお」と署名する。
 そして、メールにファイルを添付し、送信のボタンを押した。
水上 悠 2002/01/14月02:11 [11]

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