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第三三節「未来の遺伝子」Part-2 

【Writer:諌山 裕】


 最近まで――というのは、二〇〇二年以前でのことだが、遺伝子研究者の間では、ヒトのDNAの九七%は意味のない塩基配列の反復であり、なんの役にも立たないと考えられていた。
 ヒトゲノムの全塩基配列の地図化を完成させた科学者たちは、ゲノムの約九八・五%が反復配列であるとみていた。その反復は一見無意味でがらくたに思えるものの、もはや意味がないと考えるものはいない。自然界には無意味で無用のものは存在しないからだ。生物を含む宇宙は、気まぐれのように振る舞うが、けっして無意味ではないのだ。無意味に見えるのは、人間がそこに意味を発見できないからであり、己が無知であることの証明にほかならない。
 ヒトゲノムは三二億の塩基対で構成されている。個々の塩基対はA、C、T、Gという文字で表される塩基が結合して、“DNAはしご”の横木部分を形成する。この結合にはAとT、GとCの二通りしかない。DNAは遺伝情報であると同時に、情報を具現化するスイッチであり、進化の可能性を秘めた未来のシナリオでもある。
 ある科学者は「DNAの反復配列は、バッファの機能を持っているのかもしれない」といった。DNAはたんなる遺伝情報の記憶媒体ではなく、アクティブなメモリとしても機能するのではないかということなのだ。未解明の反復配列が、実際にどういう役割を担っているかは、二一世紀の初頭においては仮説ばかりで、確たる理論はなかった。
 二一世紀においては、人間の遺伝子操作は神の領域を冒すものであり、人間性を問われるものだった。それはイヴがエデンで禁じられた果実を口にすることと同等だった。だが、結果的にイヴは果実を口にし、新たな人間の歴史が始まったのだ。人間が自らの遺伝子を操ることは、時間の問題であり必然となった。
 人間は禁断の果実を目の前にして、その魅力にあらがうことができないのかもしれない。物質の本質についての知識を得たとき、そこから導き出される核エネルギーが魅力的だったように、遺伝子に秘められたパワーも大きな魅力だったのだ。
 第一の目的は、寿命の克服だった。生物の寿命を決定するのがテロメア遺伝子であることは、早くから知られていた。動物を使ったクローン技術の試行錯誤の過程で、ある条件下ではテロメアがリセットされることがわかっていた。テロメアは生命の回数券とも呼ばれ、加齢とともに短くなり、やがては使い切ってしまう。これをリセットできれば、寿命は飛躍的に延びると思われていた。
 不老長寿。人間の古くからの願望であり、エゴの最たるものともいえる――夢。
 二二世紀に入ると、かつての遺伝子操作アレルギーは消え去り、治療や美容の目的で多くの人々が遺伝子をいじくり始めた。宇宙にも生活圏を求め始めた時代には、低重力や無重力に適応するために、大幅な人間改造が行われた。二三世紀には寿命は一五〇歳近くなり、老いることなく長い人生が送れるようになった。しかし、人間はもっと長寿を求めていた。
 反面、長寿の代償もあった。出生率の著しい低下である。長寿と引き替えに、生まれながらにして不妊症の男女が増えた。ひとつの個体で長寿が可能になれば、遺伝子にとって生殖による種の保存の優先順位は低くなったからだ。使われなくなる機能は、休眠するか退化していく。解決策として人工子宮やクローン技術が使われた。表向きには人類は繁栄の最盛期を謳歌していたが、生命の基盤となる生殖能力という点では、衰退が始まっていたのである。
 遺伝子改造時代に着目されたのは、当初意味不明と思われていた、反復配列だった。DNAの大半を占めるこの部分を利用することで、新たな遺伝的形質を獲得したのであった。既存の役割のわかっている塩基配列をいじるのではなく、普段は使われていない塩基配列に望みの機能を書きこみ、バイパスさせることで新しい人間をデザインしたのである。たとえば、本来のテロメアを不活性化させ、バッファである塩基配列を任意の長さの疑似テロメアとして機能させた。未使用領域は九八%もあり、神の仕事に較べればかなり精度の劣る疑似テロメアでも、十分に代替することが可能だった。
 この方法はDNA資源の有効活用として、瞬く間に広がり、さまざまな機能DNAコードが開発され、実行された。記憶力や理解力といった頭脳的なことに始まり、肉体的能力や肉体的美しさの向上、そして老いることのない肉体。
 こうして人類は、不老長寿に近づいていった。
 二二世紀中盤から二四世紀に渡って、人間は本来のDNA以上のハイスペック生物体となっていた。人類の可能性は無限大だという幻想すらあった。
 しかし、それは幻想に過ぎなかったのだ。
 二一世紀初頭の例でいえば、二〇〇MHzのCPUにアクセラレーターをつけて、1GHzのマシンに仕立てるようなものだった。性能は限界まで引き上げられるが、マシンには大きな負荷がかかることになる。負荷のかかった状態で使い続ければ、ある日突然限界を超えてしまい、致命的な故障に至る。
 人類にその日が訪れるのは、時間の問題だったのだ。
【萩原恵羽(はぎわらえわ):著「未来の遺伝子」より】

 キャサリンが面白い本を見つけたといって持ってきたのは、SF小説のハードカバーだった。「未来の遺伝子」と題された本は、新人賞で賞を取った作品であった。
 アンドルーからの連絡を待っていた少女三人は、スパコンのある地下室から郷田邸の三階に戻っていた。
 アンドルーは「任務はいちおう完了した。いろいろと予想外の展開になったが、オレたちは無事だ。昼までには帰る」といった。詳細はきかなかったものの、少女たちはホッと安心してベッドに入ったのだ。
 夜が明けて、街まで散歩に出かけたキャサリンは、一冊の本を手にして戻ってきた。それが「未来の遺伝子」だった。
 理奈は読み終えた本の表紙を、あらためてまじまじと見る。
「『気鋭の新人が描く、衝撃の未来世界』ですって? この宣伝文句は、なんか笑えないわね」
「どうだった?」とキャサリン。
「どうもこうも、この作家はなにもの? 登場人物はあたしたちじゃない。名前も設定もほとんど事実だわ。來視能力者かしら?」
「そうではないように思うわ。あまりにも細かいところまで、具体的すぎるから。想像力で書いたにしては、合致する部分が多すぎる」
「新人賞を取ったんなら、データベースに残ってるはずよね。二六世紀の記録には、こんなものはなかったはずよ。二一世紀以前の記録に、欠落部分が多いことは事実だけど、これほど明確な著作が残らなかったとは思えないわ」
「問題はそこよ。つまり、この作品はわたしたちの知っていた歴史にはなかったものかもしれない。なにかが変わったのよ」
 ジャネットが首を傾げて口を開く。
「おかしいわ。もし、ミッシング・トリガーが起こったのなら、なぜ、あたしたちは以前の記憶を持っているの?」
「理由はいくらでも考えられるわ」
 理奈はベッドから降りて、室内を歩き始めた。
「記録が欠落していたというのが、もっとも簡単な説明ね。それこそ膨大な記録よ。あたしたちだって、すべてに目を通しているわけではないわ。そもそも過去にジャンプすることの目的の一つが、記録にない過去の調査だったんだから。
 記録はあったけど、重要度が低いとみなされていたというのもあるわね。フィクションとしての小説であれば、うなずけることよ。SF小説には未来をテーマにしたものが多いし、破滅的な未来を描いたものは珍しくもない。萩原恵羽がこの一作だけで姿を消してしまったなら、のちの時代で注目されないことは当然かもしれない。
 うがった見かたをすれば、ジャンププロジェクトのトップはこの事実を知っていたけど、あたしたちには知らせなかったとも考えられる。あたしたちの行動に影響するからよ。できることなら、徳川さんにぜひきいてみたいものだわ。
 そして、ジャネットがいうように、これがトリガーなのかもしれない。萩原恵羽はミレニアムイヴの役割をしているのかも。
 でも、それは希望的観測ね。たかが小説では、事実に限りなく近いとしても、読者には架空の物語に過ぎないわ。ある種の警鐘にはなっても、現実的な影響というか、未来を変えることにはならないと思う」
「もうひとつの可能性は」ジャネットが理奈のあとを受ける。
「あたしたちは、ミッシング・トリガーの影響からはずれているのかも。御子芝さんたちや理奈が突然転移してしまったことから、あたしたちの体は時空連続体の干渉に対して、ある種の抗体を持っているとも考えられるわ。いま現在、この時代に属してはいるけど、完全に同化してはいないのよ。すでに未来が変わりつつあるとしても、あたしたちは時空に交じってはいても溶けてはいないんだわ。独自性を保っているのよ」
「楽観的な見かたね」
 理奈は部屋を中を行き来するのをやめて、再びベッドに寝ころがった。
 ドアがノックされた。
「どうぞ」キャサリンが答えた。
「おはよう」といって入ってきたのは、立原だった。
 彼女のうしろから、菅原も姿を見せた。
「やぁ、元気そうだね」
 ふたりを呼んだのは、少女たちだった。
「先生、来てくれてありがとう」理奈はいった。
「いいのよ。呼ばれなくても、見舞いには来るつもりだったから。で、お話って、なにかしら?」と立原。
「とりあえず、掛けてください」理奈は席を勧めた。
 立原と菅原は、壁際に置かれた椅子を引きよせて腰かけた。
 立原が話を切り出す。
「学校のこと? 三年生になっても当分は休学が続くわね。その点については、郷田会長とも話しあっていたの。出産が無事に済むまでは、この部屋で特別授業をしようって」
 理奈は笑みをうかべた。
「いろいろと気をつかってくれて、うれしいです。学校のことも気になるけど、今日来てもらったのは、もっと大事なことなんです」
 理奈はジャネットとキャサリンに顔を向ける。ふたりはうなずいた。理奈は深呼吸する。
「先生に……、立原先生と菅原先生にお願いがあるんです」
「僕たちに?」菅原は自分を指さした。
「先生たちは、いつ結婚するんですか?」ジャネットが口をはさんだ。
「えっ?」立原は目を丸くした。
「はは……、君たち、からかわないでくれ」菅原は顔を赤らめて、頭を掻いた。
「からかってないですよ。菅原先生は立原先生が好きなんでしょ? 立原先生も菅原先生を見る目が違ってるもの」ジャネットは真顔でいった。
「あのね……」立原は抗弁しようとしたが、口ごもった。
「早く、結婚してほしいんです」理奈はいった。
「お願いって……そういうことなの?」立原は戸惑っていた。
「それはお願いの一部です」とキャサリン。
「一部?」菅原は小首を傾げた。
「先生たちは、子供が好きですか?」理奈はきいた。
「ええ、まぁ。人並み程度には」立原は答えた。
「菅原先生は?」
「ああ、好きだよ。息子とキャッチボールをするのが夢なんだ。女の子だったら、一緒に料理をしたいな」菅原は笑みをうかべていった。
 立原は菅原の顔をまじまじと見つめた。彼の口から、そうした子供の話をきくのは初めてだったからだ。
「よかった。それならぜひお願いしたいんです」
 理奈はうつむいた。
「なにを……?」
 立原は理奈の態度の変化に気がついた。理奈はうつむいたまま、体を震わせていたのだ。キャサリンも同様だった。ジャネットは顔を背けて、目頭を押さえていた。
「どうしたの?」
 顔を上げた理奈は泣いていた。
「あたしたちの……子供を……ふたりに育ててもらいたいんです。出産はできるだろうけど、あたしたちは長生きしないから……。来年には老化の初期段階が始まります。いったん老化が始まると、急激に衰えいくの。あたしたちは子育てどころではなくなってしまうわ……」
 立原は息を呑んだ。菅原は深いため息をついた。
 少女たちが普通の一四歳ではないことを、立原は思い知らされた。見かけは少女でも、彼女たちに残された時間が少ないことを、ついつい忘れてしまう。彼女たちは、生きてきた年月以上の重荷を背負っているのだ。
「お願い……できますか?」理奈は涙声でいった。
 立原は立ち上がって、両腕を広げた。少女たちはベッドから降り、立原のもとに集まった。立原はすすり泣く彼女たちを抱きしめる。立原はもらい泣きをしていた。
「ええ、ええ、わかったわ。そんな心配なんてしなくていいのよ。あなたたちはまだ一四歳なのよ。自分が死んだあとのことなんて、考えてはいけないわ」
 菅原も立ち上がり、抱擁の輪に加わった。
「そうだ。君たちが未来人と同じ運命を辿ると決まったわけじゃない。妊娠できたことが、その証拠じゃないか。寿命の問題だって、克服できるかもしれない」
 すすり泣く少女たちに対して、立原と菅原はただ抱きしめて、辛さを受けとめてあげることしかできなかった。彼女たちを安心させる慰めの言葉は、ありきたりで説得力に欠けた。命は尊いものだと教えるが、ときに尊さには代償がともなうのだ。彼女たちが新しい命を出産すれば、それにともなうリスクも大きくなる。母性に目覚めた彼女たちには、子供の成長を見守れないことが辛いのだ。
 男の菅原にもその辛さが容易に想像できた。もし自分の決心で、彼女たちが安心できるのなら……。彼は咳払いした。
「ええっと、立原先生……もとい、立原美咲さん」
「はい?」
「この子たちのお願いに乗じるわけではないですが……、その……」菅原は言葉に詰まった。
 理奈は肘で菅原をつついた。
「あのう……、僕と…け、け、結婚してください!」彼の声は裏返っていた。
「菅原さん……そんな……いきなり、いわれても……」
 立原は顔を真っ赤にしていた。
 今度はジャネットが立原をつついた。
「あ、あの……」
 立原は菅原の真剣な表情を見つめ返していた。
「は……はい……」立原は小さい声で答えた。
 泣いていた少女たちに微笑みが戻る。慰めあいの抱擁の輪は、喜びの輪へと変わった。
 部屋の空気から悲壮感が薄れ、ほのかな幸福感で満たされていった。


 高原の先導で達矢と高千穂は、都市の最深部にある枢機評議会の謁見の間へと向かっていた。エレベーターで地下に下り、一般市民が立ち入ることのできない区画から、さらに下った。しかし、予想していた警備員との衝突は起こらなかった。彼らは誰にも妨げられることなく、最下層へと辿りつくことができた。
「おかしいな。どういことなんだ? おれたちの行動に、気がついていないわけではないだろうに」達矢は警戒心をゆるめなかった。
「罠の臭いがするぜ」と高千穂。
「私を疑わないでよ。驚いているのは同じなんだから」高原はいった。
 彼らは迷路のような狭い通路を、一列になって小走りしていく。通路の分岐点は奥に進むほど少なくなり、やがては一本道になった。その先には、黄色と黒の斜めのストライプに縁取られた扉があった。
「この向こうが電磁界メモリ貯蔵庫よ」
 高原は壁にある楕円形のくぼみに近づき、顔をうずめた。くぼみは脳波スキャンによって、個人を特定する識別装置である。彼女が顔を離すと、厚い遮蔽ドアがゆっくりと開き始めた。扉の向こうは暗く、冷たい風が流れてくる。
 達矢はすき間が通れるほど開くと、中に入ろうとした。
「待って! センサーが通る者を感知するわ。認証されていないと、攻撃を受けるの」
「突破方法は?」
「私が先に入って、セキュリティを解除するわ」
「ほかに方法は?」
「認証システムを破壊すれば……」
 ダダダダダダ――
 サブマシンガンの銃声が響き、弾きだされた薬莢が低い天井にカンカンと当たって散らばった。達矢が脳波スキャナーを破壊したのだ。
「これでいいのかな?」達矢は笑みをうかべた。
 高原は耳をふさいでいた。
「いきなり無茶しないでよ! これで警報が鳴ってしまったわ!」
「どっちみち知られているはずだ。隠れていられるより、出てきてくれた方がいい」
「敵の注意を、こっちに引きつける意味もあるな」高千穂は面白がっていた。
 達矢はサブマシンガンを腰の高さに構えて、開いたドアをくぐって中に入る。冷たい空気に寒気を感じるものの、攻撃はなかった。
「いいぜ」
 彼らは暗い部屋に入った。暗闇には夜空のような小さな光点が明滅していた。
「足下もおぼつかないな。明かりは点かないのか?」
「いま点けるわ」
 高原は入口の脇で、いくつかのキーを叩いた。照明が彼らに近い方から点り始め、左右と奥に、さらに上下にと広がっていった。
 達矢は目に飛びこんできた光景に、すくみあがった。彼は自分が宙に浮いているような錯覚にとらわれていた。透明な床の上に立っていたからだ。そこは部屋というよりは広大な空間で、遠近法によって遠くがかすむほど広かった。空間は上下にも広がり、彼の足の下にも延々と続いていた。
 幾何学的な蜘蛛の巣を思わせる構造物が幾層にも重なり、彼らの周りを囲んでいた。縦横に交錯する蜘蛛の糸の交点には、球体のオブジェクトが連なり、有機体の分子構造を内側から見ているようだった。
「これが……電磁界メモリなのか?」達矢は圧倒されていた。
「そう。ひとつひとつの球体がひとりの魂よ。それが数百億つながっているの。ある意味ではこれ全体が、ひとつの脳のような構造になっているわ」高原は答えた。
 達矢はあとじさった。透明な床に立っているために、底の見えない奈落に落ちるような恐怖感が湧いたからだ。
「普段は明かりを点けないのよ。いまのあなたのように高所恐怖感を覚えてしまうから」
 達矢は生唾を呑みこんだ。
「枢機評議会というのは、どの部分なんだ?」
 高原は両手をぐるりと回した。
「このすべてよ。枢機評議会は月の中枢であり、数百億の集団意識が統合されたものなの」
「彼らは……生きているのか? というか、意識だけになった彼らに人間性は残っているのか?」
「難しい質問ね。人間性をどう定義するかによるわ」
「君も、かつてはこの一部だったのか?」
 高原はうなずいた。
「ええ。じつをいえば、肉体を持つ以前の記憶は曖昧なのよ。全体の一部だったし、個人という概念はなかったから。あなたの質問は、脳の中のシナプスひとつに人間性があるかといってるのと同じよ」
「とはいうものの、彼らは肉体を持ちたいと考えているわけだな?」高千穂がきいた。
「意識だけの存在になっても、快楽は求めるものなの。快楽の追求が意識の基盤だともいえるわ。肉体を得るということは、私たちには究極の快楽よ」
「不死を得ても満足しなかったわけか」達矢はかぶりを振った。
「人間性のことをいうなら、どん欲な欲求こそが人間性ともいえるわ。終着点はない。目標は常にもっと先にあるのよ」
「議論はそのくらいにして、これをどうする?」高千穂は現実的な問題を指摘した。
「これだけのシステムを維持するには、莫大なエネルギーが必要だ。エネルギー源はなんなんだ?」と達矢。
「真空エネルギーよ。エネルギー源は無尽蔵、都市には自動修復システムがあるから、数百万年でも維持できるわ。これは不死のシステムなのよ」
「破壊できるのか?」達矢は自信なげにいった。
「どうかしら。誰も試したことはないわ。完璧なのだから」
「完璧なシステムなどありえないよ。宇宙そのものが完璧じゃない」
 達矢は考えこんだ。なにか方法があるはずだと。
《無駄なことはやめよ》
 唐突に声が響いた。達矢は銃を構えて、周囲を見まわした。
《なかなか興味深い話だった。生身の人間にしては、たいしたものだ。だが、高原涼子よ、おまえには失望したぞ》
 高原の顔から血の気が引いた。
 達矢はひとつの球体めがけて、引き金を引いた。立て続けに銃弾を受けた球体は、破裂して壊れた。
《無駄だ。ひとつやふたつを壊しても、微々たるものだ。脳細胞が日々死滅してしても、全体に影響がないようにな》
 達矢はさらに引き金を引いた。しかし、弾はすぐになくなった。彼はサブマシンガンを投げ捨てると、拳銃を取りだした。
《愚かだな。弾がいくらあっても足りないぞ》
「おまえを破壊する!」達矢は叫んだ。
 拳銃を突きだした達矢の前に、光る粒子が集まり始め、やがて人の形を現し始めた。光は徐々に姿を整え、明確な人物となった。人物は若い男性で、純白の輝くローブ姿だった。整った顔立ちに知的で柔和な表情をうかべている。それはまるで宗教画に出てくる天使のようだった。
 達矢は弾丸を放った。しかし、弾は人物をすり抜けていった。
《無駄だといっただろう。この姿はホログラムだ。おまえたちと話しやすくするための、仮の姿だ》
「おまえは……」
 敵にしては端麗で好感の持てる人物像に、達矢は戸惑っていた。
《名前が必要か? ならば、ガブリエルと呼ぶがいい。いくつかある名前のひとつだ》
「ガブリエルだと? 天使のつもりか?」
《そうともいえる。私は人智を超えた存在だからだ。私は全知全能なのだ》
「自分を神だと思っているのか!?」達矢は叫んだ。
《そう思いたければ、それもよかろう。かつて、そう呼ばれたこともある》
「かつて?」
《そうだ。私は時間も空間も支配しているからだ》
 達矢はニヤリと笑った。
「自在に、ではないな。おまえは過去に干渉しているようだが、十分に目的は達成していない」
 ガブリエルは小さく肩をすくめた。
《たしかに。時空確率の制御は、パーフェクトではない。だが、それは歴史の中に登場した神々でも同様なのだ。少なくとも私は神に匹敵する能力を持っている》
「なにが望みなんだ?」
《おまえの望みはなんだ?》ガブリエルは問い返した。
「みんなの元へ、二一世紀に帰ることだ! そして、未来を救う!」
 ガブリエルは微笑んだ。
《ならば、その望みをかなえてやろう。私は寛大で慈悲深いのだ》
「ふざけたことを! おまえが過去へ侵略することを阻止しなくては、未来はない!」
《なぜ、そう思う?》
「おまえは電磁界寄生体だからだ。人々の意識を乗っ取っている!」
《そうだとして、どこが不都合なのだ? そもそもおまえのいう、意識とはなんだ? 自分がなにものであるか、明確に定義できるのか? 自分が寄生されていないという確証があるのか?》
 達矢は返答ができなかった。
《脳の中に発生する意識は、どこからやってくるのか。有機分子の結合から、意識はどうやって発生するのか。意識そのものが外部からの寄生だといえないのか。達矢よ、自分がなにものなのか、答えられるか?》
「辻問答はゴメンだ!」
 達矢とガブリエルが問答をしている間に、高原は電磁界メモリシステムにアクセスを試みていた。破壊はできないまでも、機能を制限することはできるかもしれないと思ってのことだった。
 彼女は壁面に出現した鏡に向かって、両手を突きだし、グイと押すようにして中に潜りこむ。鏡面は電磁界フィールドの入口であり、中に入ることによって肉体と意識を分離するのだ。彼女は意識を量子空間にダイブさせようとしていた。
「高原!」高千穂は、鏡の中に消える高原に気がつくと叫んだ。
「ちっ、うかつだった! 彼女はなにをするつもりだ!」
《ふふっ。高原は私の元に戻ることを選んだようだな》
 次の瞬間、ガブリエルの背後に高原の裸身が出現した。彼女の姿は光に縁取られていた。
「いいえ、ガブリエル。私はあなたを阻止します。この身を犠牲にしてでも」
 ガブリエルは振り返り、一瞬顔が引きつった。
《たわけたことを。ひとりで私に対抗するというのか?》
「外部からの攻撃には平気でも、内部からの攻撃ではどうかしら? ちょっとした頭痛程度の効果はあるかもしれない。私にもシステムの一部が使えるのよ。互角とはいかないけど、ささやかな抵抗はできるわ」
 高原は祈るように手を合わせる。すると彼女の裸身が中世の騎士の姿になった。手には細身の長剣を持っている。
「神崎くん、高千穂くん、あなたたちはジャンプしなさい。私が彼を押さえている間に」
「高原さん! しかし――」
「行って! もし、可能ならば、二一世紀で再会しましょう。私の分身が、これ以上間違ったことをしないようにしたいから」
 達矢は二の足を踏んだ。だが、高千穂に腕を引かれてきびすを返した。
 ガブリエルは笑っていた。
《面白い。どれほどのものか、相手をしてやろう》
 ガブリエルも変身し、鎧を身につけ剣を手にした。
 達矢は走り去りながら、戦いを始めたふたりを見る。彼女の姿は、まるで戦う女神のようだった。

〈つづく〉

諌山 裕 mail url 2002/06/28金00:31 [39]
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