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リレー小説『ラスト・フォーティーン』のページです。
本作は2001年11月3日〜2002年7月8日に渡って、週刊連載されたものです。
本作品に対する、ご意見、ご感想等は、「BBS2」に書き込みしてください。
執筆陣⇒諌山裕/水上悠/森村ゆうり/大神陣矢/皆瀬仁太
【設定・紹介ページ 】【各話人気投票】【キャラ人気投票】


.第二二節「Angelic Conversation」返信  

【Writer:水上 悠】



 あの日以来、「イヴ」のイメージは薄くなる一方だった。
 何処からか一方的にやってくるだけのイメージを、無理に捕まえることなど考えたこともなかったが、「イヴ」のイメージだけは、なんとしても捕まえておきたかった。
 黒井は、真っ黒なモニターを見つめながら、もう半日近くやってくるはずのないイメージを待っていた。
 メールの返事も来ない。
 ただのいたずらだったのか?
 それとも、返事が来ないことに意味があるのか?
 キーを叩く。
 息を吹き返したコンピュータが、勝手にメールチェックを始める。
 受信中のメール……三通。
 受信が終わると、件名だけを見て黒井は二通削除してしまった。
 残りの一通も削除しようとマウスをクリックしようとしたが、一瞬ためらった。
「no subject」
 差出人の枠も空欄。
「お会いしたい」
 たった一行だけ、そう書かれていた。
 手の込んだいたずらと見過ごしても良いのか? 黒井は一瞬ためらった。
 怪訝な顔でモニターを見つめる黒井の脳裏に、三人の男のイメージが浮かんだ。
 三人?
 フードの中の顔は苦痛に歪んでいるが、不思議と絶望は感じない。
 誰?
 黒井は額に手を当てると、目を細め、次に来るモノを待った。
 メニューバーの時計がむなしく時を刻むが、何も来る気配がない。
 これだけ?
 いささか拍子抜けをしながら、黒井はタブレットのペンを取ると、通り過ぎたばかりのイメージのスケッチを始めた。
 苦痛に満ちた、希望を見据える双眸。
 いったい、これをどう描けばいいのか?

 来客を告げるベル。
 どれくらい時間が経ったのだろう?
 黒井は、ペンを置き、玄関へと立った。
 部屋の壁にかかった時計は、午前二時を回っている。
 こんな時間に誰が、という疑問は不思議と浮かんでこなかった。
 カギを開け、ドアを開く。
 黒のコートを着た青年がそこに立っていた。ボサボサの黒髪、黒い瞳……。黒井は彼の中に絶望の塊を見たような錯覚にとらわれ、めまいを覚えた。しかし、具体的なイメージは浮かんでこない。それだけが救いだった。
「驚かないんですね?」
 青年はいった。
「メールをくれたのは、君か?」
 黒いは、答えるかわりに、逆に尋ねた。
 青年は微笑を浮かべただけだった。
「あなたですら止められない何かが動いてます。ボクにはもう時間がないから……」
 自分が、何かを止める?
 そんなふうに考えたことなど一度もなかった。
 見たモノを伝えるだけ。
 それが自分の使命だと考えていただけだ。
「彼等には、あなたがどう考えていようと関係ないんです。あなたは、見ることが出来る、それだけであなたの存在は、彼等にとって意味のあるものになってる。でも、あなたは自分自身の存在理由を知らない」
「知る必要があるのか?」
「もし、何も知る必要がないというなら、ボクはあなたの目の前に、こうして立っていることはないでしょうね」
「君はいったい……なんだ?」
「探したって、答えなんて存在しない。答えは探し出しても存在しないんです。だって、まだ存在していないんだから。答えは作られる時を待って、あたかも苦労して探し出されたかのように目の前に現れるだけ。そう、あなたの目の前にいるボクという存在と同じ」
「じゃあ、君が答えなのか?」
「答えへと至る、過程だと思ってください。本当の答えはもっと先に存在し、あなたの目の前に現れる時を待ってます」
「いったい、何をさせようっていうんだ?」
 黒井が語気を荒げると、青年は肩をすくめた。
「その答えはあなたが自身で見つけるべきですよ」

 答えは出ないまま、朝になっていた。
 モニターには書き上げたばかりの双眸が映っており、黒井をにらみつけている。
 絶望の塊を宿した青年の瞳。
 違う。
 黒井はファイルを消去しようとキーボードに手を伸ばした。
 そして、またベル。
 ドアの向こうには、三人の男たちが立っていた。
 全身黒ずくめ。いったい、なんの嫌がらせなのだろう。
「黒井正直さんですね?」
 真ん中の男がいった。
「メールは、あなたたちですね……?」
 男たちは何も答えなかった。
「この子たちをご存じですか?」
 右隣の男が、黒井に八枚の写真を渡した。
 少年と少女がそれぞれ四人ずつ。
 どれも黒井には見覚えのない顔だった。
 普段あまり外に出ることもないし、近所の子たちだったにしても、ほとんど気にかけることもないので、仮に何度か顔を合わせたことがあっても記憶に残っていないだけかもしれない。
「我々の未来を握る子が、この中に一人存在します」
「未来?」
「我々は、あなたがその子の覚醒のカギを握っているということも存じています」
「いったい、何が言いたいんです?」
 男たちは黒井の問いには答えず、その場を立ち去った。
 黒井は写真に写る四人の少女たちを見つめながら、イヴの姿をそこに重ねようとしていた。

水上 悠 2002/04/01月02:40 [23]


.第二一節「ミス・マリア」<前半>返信  

【Writer:諌山 裕】


 銀河の星々を映しだす天体測定ラボ――。
 理科室はスタートレック・ボイジャーの天体測定ラボへと様変わりしている。ベニヤ板とダンボールと発泡スチロールを使い、天文部員の作った粗末なセットではあるが、雰囲気は出ていた。
 窓には黒いカーテンが引かれ、照明は部分的に照らすひとつだけで室内は薄暗い。ホワイトボードはスクリーンの代用となり、スライドが宇宙の映像を投影していた。
 立原美咲が扮するセブンは集まった人々の前に立って、澄ました顔を向ける。えんじ色のタイトなボディスーツにハイヒールを履き、髪をブロンドに染めた立原はセブンになりきっていた。普段はかけているメガネを、今日はコンタクトにしている。
「このように、我々の世界はいまや深刻な危機を迎えている。もはや手遅れという説もあるが、かといってなにもしないで未来を受けいれるというのは非論理的だ。なにごとにも解決策はあるはずだからだ。
 ひとつだけ、個人的に強調しておきたいことがある。温暖化を阻止することは、地球のためではない。われわれ自身のためなのだ。地球は数万年、数百万年の単位でその生涯をたどっている。人間がいくら環境を汚染しようが、温暖化しようが、地球は痛くも痒くもない。なぜなら、原初の地球においては、生物など住めない汚染された星だったからだ。地球環境が破壊されて困るのは、地球ではなく人間なのだ。いわばわれわれは自殺しようとしているようなものである。環境保護という抽象的なことは理解できなくても、自殺をやめることは容易だろう」
 立原はセブンのそっけない講義口調で、地球温暖化のプロセスを説明していた。話をきいていた生徒から「おー」と、感心する声がもれてきた。
 セブンになりきることはそれほど難しいことではなかった。もとより、彼女の地に近かったからだ。いつもと大きく違うことといえば、ボディラインを強調する、衣装だけだった。ボディスーツを着たときには、恥ずかしさを覚えたものの、周囲の人々から好奇の目が注がれているうちに快感すら感じるようになっていた。
 天原祭は土曜日の初日に続いて、日曜日の二日目に突入していた。お祭り騒ぎも二日続けば少々疲れるものだが、疲労感よりも高揚感の方が勝っていた。振り替え休日となる月曜日には、ドッと疲れが出て生徒も教員も怠惰な一日を過ごすことになるだろう。しかし祭りの最中は、脳内にアドレナリンとセロトニンが大量に分泌され、気分はハイになっている。
 立原は一日目に行われた二年三組の演劇に触発される形で、セブンを演じる自分に酔いしれていた。演じるという行為は、内なる自分の解放でもあるからだ。彼女も天原祭を楽しんでいた。
 天文部の部員は、艦隊士官のユニフォームを着て、それぞれに割り振られたキャラクターに扮している。その中に菅原もいた。菅原は目尻を下げて、立原=セブンを見つめていた。
 だが、部員よりも観客の方が圧倒的に多かった。満員電車並の密度で人の頭が並び、立原に視線が集中している。
 パンフレットには「セブン・オブ・ナインによる特別講義」と書かれていた。その講義を聴くために集まっているのだ。
 立原は盛況ぶりに満足しながらも、普段の授業でもこれだけ熱心であればいいのにと思っていた。
「なにか質問は?」彼女は聴衆に向かって首を傾げた。
 ザワザワと笑い声が沸いた。仕草と口調がセブンそっくりだからだ。
「先生! スリーサイズは?」
 男子が質問した。同意を示す拍手と口笛が飛ぶ。
「その質問に答えるつもりはない。無意味だ」
 再び笑いの渦。
「スタートレックの世界は実現するんでしょうか?」
 別の男子生徒が質問を発した。
「不可能ではないだろう。理論的な思考実験では空間を光よりも速く移動する方法も提唱されている。技術的に可能になるには、大きな壁があるが、それはいまから五〇〇年前の人間に、現代のような世界が実現可能とは思えなかったであろうことと似ている。不可能を可能にするのが、人間ではないだろうか?」
「時間旅行についてはどう思う?」
 質問をしたのは、最前列で椅子に腰かけているアンドルーだった。彼の隣には理奈がいた。
 立原はしばしの間、アンドルーと理奈を交互に見た。
(今日のお相手は津川くんではないのね。うらやましいこと……)彼女は小さくため息をついた。
「いい質問だ。物理学者が提唱するワープ理論には、時間の要素もふくまれている。また、相対性理論では光速を越えることを容認していないが、超光速が可能であると示唆する研究もある。まったく不可能であるとする根拠は絶対的なものではない」
 理奈は手を挙げて発言する。
「タイムパラドックスの問題は?」
「たしかに時間を移動する場合には、それは重要な問題だ。原因と結果は因果関係にあり、時間を移動するということは、因果律を崩してしまうことになる。ホーキング博士は時間順序保護仮説を唱えて、因果関係は保存されるといっている。現実的に考えれば、タイムトラベルは非常に困難であり、不可能に近いといえる」
「でも、人間は不可能を可能にするんでしょ?」理奈はさらに問いかける。
「そのとおりだ。私もまったく否定するつもりはない。だが、現時点ではタイムトラベルが実現可能であるとする理論はないといっているのだ」
「ボーグテクノロジーなら可能だね」菅原が口をはさんだ。
「その方面は彼の方が詳しい」
 立原は自分の隣に右手を振って、菅原を招いた。菅原はいそいそと進みでて彼女の隣に並ぶ。彼は黒地に肩の赤いユニフォームを着て、額にはマジックで刺青を書いていた。副長を演じているのだ。
 ふたりが並ぶと、生徒から冷やかしの野次が飛んだ。立原は憮然として平静を装っていたが、菅原は照れ笑いを浮かべていた。
 菅原は咳払いをして口を開く。
「今回の天文部のテーマは、五百年後の地球ということだが、ボイジャーの世界は二四世紀の物語だ。二四世紀の時点でもタイムトラベルの技術は確立されていない。だが、二六世紀には可能となっているんだ。
 時間とはなにか?……ということについては諸説あり、正確なことは未知の領域だ。なぜ時間の矢は、過去から未来に向かって飛んでいるのか? その逆はありえないのか? そもそも時間の道筋は一本なのか? 未来から過去に飛べたとして、パラドックスは生じないのか?
 だれもその答を知らないのが現実だ。
 そもそも我々にとって、時間とはなんだろう? そこには物理学的な問題と同時に、哲学的な問題も含まれている。過去があって現在があり、現在があって未来がある。それは因果律と呼ばれるものだ。一般的な解釈では、過去が原因であり未来が結果だ。だが、本当にそうだろうか?
 結果が原因に影響を及ぼすことはあるのだろうか?
 そう考える説もあるんだ」
 菅原は聴衆の反応をうかがうように、左右を見渡した。
「たとえば、勉強すれば試験の結果がよくなる。この場合、勉強が原因で試験が結果だ。君たちは試験の結果を良くするために勉強をする。すると、未来の結果を予想して、勉強することになる。結果が原因に影響を及ぼしているわけだ。
 別の例を挙げよう」
 彼は両手を動かして、宙に厚みのある仮想の板状物体を描いた。
「これはガラスだ。ここに斜めに光が射しこむとする。どうなるかな? 君」
 菅原は理奈を指さした。
「光はガラスで屈折します」
「そのとおりだ。では、なぜ屈折したのかな?」
「ガラスは光を屈折させる性質を持っているからです」
「なるほど、模範解答だね。だが、こういう考えかたもできる。
 光は光速を維持したまま、短い距離で進もうとする性質がある。光がガラスの中を入った角度のまま直進すれば、スピードが遅くなりガラスという空間の中で長い距離を進むことになる。これでは光の性質に反することだ。したがって、光はなるべく速く短い距離を選んで直進しようとした。その結果が屈折とも考えられる。
 このように原因と結果を捉えることを“目的因”というんだ。つまり、光はどういう方向に進めば最適であるかを知っているということだ」
 立原はすかさず割ってはいる。
「菅原先生! そういう怪しげな説明をしないでください。生徒が混乱するでしょ」
「怪しげでもなんでもないよ。これはちゃんとした理論なんだ」
「それはわかりますが、中学生のレベルでは……」
「セブン、らしくない発言だぞ」
 生徒の間に笑い声が上がった。
「ちょっとした実験をしてみよう。綾瀬くんとラザフォードくん、前に出てきてくれるかね?」
 理奈とアンドルーは立ち上がって、菅原のそばまで歩みよった。
「セブンもこちらに。僕の右にセブン、左にラザフォードくん、セブンの隣に綾瀬くん。手をつないで輪になってくれ」
 四人はそれぞれに手をつないで、輪を形成する。
「もっと広がって、腕を伸ばして」
 四人の輪は大きくなり、腕はほぼ水平になった。
「これは時間のあるモデルを意味している。従来からの考えかたでは、時間は永遠の過去から永遠の未来に続く直線だとされている。だが、時間が輪になっているというのがこのモデルだ。
 僕を基準にすると、ラザフォードくんは過去の僕で、セブンは未来の僕だ。綾瀬くんから見ると、セブンが過去でラザフォードくんが未来だ。まぁ、向きはどちらでもいいんだけどね。
 つまり、時間が輪になっている場合には、未来に向かっているつもりでも、ぐるりと回って過去に辿りつくんだ。このモデルの場合、過去と未来はごく近い範囲でしか意味がないことになる。遠い未来は遠い過去とつながっているんだ。
 どこが現在であるかは、それぞれの四人の立場で違ってくる。僕にとっては僕が現在であり、綾瀬くんにとっては綾瀬くんが現在だからだ。そして、それぞれの関係はつながっているから、僕がこうして……」
 菅原は右手を引いた。立原は引かれて彼の方へと体を傾ける。さらに立原に引っぱられて綾瀬とアンドルーも体を動かした。
「というふうに、未来と過去に同時に影響を及ぼすんだ。未来が過去に干渉することは可能だということだ。
 この時間の輪を発展させたのが、ゲーデルの宇宙で――」
「ストップ! 話が飛躍し過ぎよ、菅原先生」
「おっと、失礼。調子に乗りすぎましたか?」
 理奈とアンドルーは、感心して菅原を見つめていた。時間移動の基本をついた理論を展開していたからだ。
(驚いた。菅原先生なら、あたしたちのことを知っても大丈夫かも)理奈は思った。
 アンドルーが口を開く。
「なかなかいい線いってるよ、先生。では、五〇〇年後の未来が、破局的な状態になっているとして、過去に戻って歴史を修正することは可能だろうか?」
「むむ……、それはなんともいえないな。どれだけの修正を加えるかにもよると思うよ。時間旅行が可能であれば、すでに過去に干渉していることになるが、大海に一滴の水を落としても、その影響は呑みこまれてしまって変化は微々たるものになってしまうからね」
「効果的な修正ができるとしたら?」
「そうだなー、歴史には大きな分岐点がある。その分岐点に対して修正を加えれば、大海全体にも変化をもたらすだろうと思う」
「もう、手を離してもいいかしら?」立原がいった。
「ああ……、いいよ」菅原は残念そうに答えた。
 立原と菅原は握っていた手を離したが、理奈とアンドルーは手をつないだままだった。
「さて、予定時間をオーバーしてしまった。私の講義はこれまでだ」立原はセブンの口調に戻っていった。
 生徒たちからは「えー」と、不満の声が上がった。
 そこへ、軽快な音楽とともに、スピーカーから校内放送が流れる。
「毎度お騒がせ! 放送部制作の天原祭特別番組で〜す」
「はいはい、天原ステーション特別編・第三部は、三年生コンビ――」
「ヒカル」
「あゆみ、がお届けします!」
「うちらにとっては、最後の天原祭。トリをビシッと決めまっせ!」
「なんで、関西弁やねん?」
「そういうおはんこそ、いかがわしい関西弁やで」
「無茶苦茶やな。鹿児島弁も混じっとるやんか。あんた、地がでとんで〜」
「ゴホンッ。え〜、気を取り直して、皆さんが注目しているであろう……」
「そうそう、例のアレね」
「アレ、アレ」
「最終候補、決まりはったんか?」
「そやねん。しかし、今回は激戦が予想されますね。昨年まで三年間に渡って、マリアの座を守ってきた高原涼子先輩が卒業してしまったために、新人が多く名前を連ねているとのことです」
「じらさんと、はよ発表せーや」
「まだや。美味しいところは最後に残すもんやさかい。まずは初めての方のために、お約束の説明を。あゆみちゃん」
「おまかせ。天原祭では、二日目の最後のイベントとして、ミス・マリア・コンテストが行われます。これは天原祭の二日間に投票を実施し、得票数の多い女生徒を、ミス・マリア候補としてリストアップします。そして、これから始まる最終選考で、ミス・マリアが決定されます。トップの栄冠に輝いた人には、マリア賞。二位と三位には準マリア賞が贈られます。そして、マリアに選ばれた生徒には、今後一年間、さまざまな学校イベントやミサにおいて、重要な役割を担ってもらいます。つまり、天原学園の顔になるわけです」
「う〜ん、名誉なことですね」
「そうそう。だれもがなれるものではないからね。美しくて、清純で、聡明な女性に与えられるものよ」
「がははは。うちらみたいな下品な人間には、縁遠い世界だわ」
「心配せんでもええがな。わたしもあんたも予選で砕け散ったわ」
「というと、いちおう票ははいってたん?」
「それはきくな! 情けなくなる」
「新しいマリアは、だれでしょうね〜。ヒカルちゃん、はよ〜知りたいわ」
「えへへへ。ここに封をした封筒があります。この中に、名前が書かれているのだ!」
「生唾、ゴックン……」
 しばしの沈黙。カサカサと紙を開く音。
「おおおお――とっ!」
「どうしたん? ヒカルちゃん」
「これはこれは……。予想屋も裏切る、驚きの候補者リストだねー」
「ちょっと見せてみー」
 再び沈黙。
「あちゃー! これは意外というか、こんなことは初めてかも」
「だろうだろう?」
 放送を聴いている生徒から野次が飛ぶ。
「さっさと、発表しろ〜!」
「おっとと、部長から早くやれという指示が飛んできました。では、最終選考に残った人を発表します! あゆみちゃんから」
「まずは、一年生から。一年一組の宮下琴美さん。一年二組の南沢果穂さん」
「続いて、二年生。二年一組の綾瀬理奈さんとジャネット・リーガンさん。二年二組の御子芝樹さん。二年三組の桜井のぞみさん、二年四組のキャサリン・シンクレアさん」
「三年生は、三年二組の渡夏海さん、三年三組の西山香織さん。西山さんは昨年の準マリアですから、連続ノミネートとなります」
「そしてそして、なんと立原美咲先生もリストアップされています! これはありなんですか?」
「いちおうミスですから、立原先生は独身ですし、いいんじゃないでしょうか?」
「なるほど、とにかく激戦ですね。最終候補でこれだけ残るとは!」
「しかも新入生と転校生が大半というのも、意外でしたね」
「新しい物好きというか、印象が新鮮なんですかね?」
「さてさて、候補は以上ですが、決選投票は、午後二時三〇分から第一体育館で公開投票されます。候補として名前を呼ばれた人は、二時までに体育館控え室に集合してください。あと……十五分後ですね。」
「手の空いてる生徒も、全員第一体育館に集合よ! 投票には携帯電話を使うからね。忘れないように!」
「いざ、マリアのもとへ!」
 放送が終わると、拍手が沸き上がった。
 ミス・マリア候補の理奈と立原がいたからだ。
「綾瀬さんに一票!」
「立原先生に入れるぞ!」
「おまえ年上好みか?」
「やっぱ、初々しい一年の南沢だぜ」
 生徒たちは口々に候補者の名前をいいながら、ぞろぞろと理科室を出ていく。
「どうしよう……」
 立原は戸惑っていた。生徒だけが対象と思っていたミス・マリアに、自分が入ることなど想像もしていなかったのだ。
 菅原はうれしそうにしていた。
「僕は立原先生に投票しますよ!」
「あ……、ありがとう……」
 反射的に答えた彼女だったが、ありがとうといった自分にも驚いていた。
「行きましょう! 先生」菅原は立原の背中を軽く叩いた。
「行くって……、この格好のまま?」
「別にいいじゃないですか? 魅力的ですよ。十五分じゃ着替えてる暇もないし」
 躊躇している立原は、浮かれている菅原に押されるようにして理科室を出ていくのだった。
諌山 裕 mail url 2002/03/25月01:57 [21]
.第二一節「ミス・マリア」<後半>返信  

【Writer:諌山 裕】


 第一体育館の舞台裏。
 ミス・マリア・コンテストのスタッフは、準備万端で候補者が現れるのを待つ。部屋にいるのは女生徒ばかりだ。着替えをしたりするために、男子の入室は厳禁なのだ。
 最初にやってきたのは、一年生のふたりだった。ふたりは走ってきたのか、息を切らせている。スタッフは笑顔で迎えるが、上級生が多いために、緊張感は隠せない。たかだか一年違い、生まれ月によっては数ヶ月だけ年上なのだが、この年頃の一年の差は大きい。上級生と下級生の関係は、ときに主従関係が厳しいものであり、あるときには庇護関係にある。
 進行係の三年生が、励ますようにふたりの一年生候補者に声をかける。
「そんなに緊張しないで。今日はあなたたちが主役なんだから。さぁ、そこに座って、軽くメイクをしてもらって」
 続いてキャサリンとジャネットが連れだって現れた。
「こちらでいいのですか?」キャサリンはきいた。
「シンクレアさんとリーガンさんね。どうぞ、中に入って」
 御子芝はぶらぶらと無関心を装って姿を見せた。彼女のうしろにはのぞみがいる。
「御子芝だが……。名を呼ばれたので参上した。よろしいかな?」
 一年生スタッフから「きゃぁ!」と、嬌声が上がった。その声にたじろぐ御子芝は、下級生に手を引かれて中へと入った。
 のぞみはおずおずと控え室に入る。彼女の周りを三年生が取り囲んだ。
「桜井さんの世話はわたしたちが! 可愛いのよね」
「はい……、お願いします」
 のぞみはどぎまぎしながら頭を下げた。
 あわただしく入ったきたのは、三年の渡夏海である。
「これって、なんの冗談?」開口一番、渡はいった。
「先輩!」
 のぞみは手を振った。彼女は先輩が一緒であることに心強さを感じた。
「御子芝さんと桜井さんはわかるけど、なんでわたしもなのよ? おまけにうちのクラブから三人も引き抜かれたら、お店がてんてこまいだわ」
「夏海、その心配は無用よ。どうせコンテストが始まれば、みんな体育館に来るんだから。知ってた? あなたは下級生に人気があるって」
 渡と同級生のスタッフが答えた。
「ふ〜ん。去年だったら喜んだかもしれないけど、今回はね……。ライバルが強すぎ」
「候補に挙がっただけましよ。ほんとはうれしいくせに」
 渡のあとから西山香織が顔を見せ、控え室に入った。西山は昨年、準マリアに選ばれた経験者であり、落ちついた振る舞いをしていた。しかし表情は硬かった。下級生の候補者を見て、今年は無理かもしれないと思ったからだ。
 最後に綾瀬と立原が入室し、候補者はそろった。理奈は不機嫌そうに眉をひそめ、立原は困惑して難しい顔をしていた。
 演劇でも控え室として使われていた細長い部屋は、スタッフと候補者でひしめいていた。
 少女たちの熱気に、立原はたじろいでいた。一回り以上離れた彼女たちとのギャップに、いやおうなく自分の年齢を意識した。
「先生、この制服着てください。サイズが合うといいけど」進行係のスタッフが、学園の制服を差しだした。
「私が制服を?」
「はい。知っての通り、最初は制服で登場するんです。条件は同じでないと」
 立原はため息をついた。
「わかったわ」
 学園の制服は、すでに冬服に衣替えしていた。上着は紫がかった紺色のブレザーで、スカートは同色のプリーツ入りのミニスカート。スカートの下には白色でプリーツの入ったアンダースカートを履く。アンダースカートは重ねた紺色のスカートよりも少しだけ長めで、フリルのように端が覗く。そして脚にはスカートと同色の膝上丈ソックス。
 立原は可愛い制服だと思っていた。まさか自分が着ることになるとは考えてもいなかった。
 彼女はセブンのコスチュームを脱いで、スカートを履く。太股の大部分が露出する、その短さに気恥ずかしさを覚えた。膝上二〇センチほどの、短いスカートだからだ。プリーツが入っているために、ふわふわと広がるスカートは、少女にははつらつとして似合うものだ。彼女も短めのスカートを好んで着るが、ここまで短いものは着ることがなかった。
 続いてブレザーに袖を通した立原は、胸回りが少々きつかった。
「やっぱり、170Aじゃきついですか?」スタッフはいった。
「ちょっとね」
「そこの一年生! 170Bのブレザー調達してきて!」スタッフは大声で指示を飛ばした。
 一年生のスタッフが「はーい」と返事をして、控え室から出ていった。
「ねぇ、ちょっとききたいんだけど……」
「なんですか? 先生」
「いつもだと水着審査もやってるけど、今年もやるのかしら?」
「もちろんです! ハイライトですから」
「ああ、そう……」立原は肩を落とした。
「ご心配なく。水着はいろいろ用意してますから」
「はぁ……」立原はため息をついた。
 立原が心配していたのは、水着の種類ではなかった。
(こんなことになるなら、もう少し体を絞っておくんだったわ。最近太り気味なのよね……)
 しばらくして、替えのブレザーを手にしたスタッフが戻ってきた。立原がブレザーを着ると、胸に9番の番号札をつけた。
「あと、十分!」
 進行係が時計を見ていった。
 立原は鏡に映る女生徒の自分を見て、苦笑いを浮かべる。気分だけは、かつて中学生だった頃に戻ったような気がしていた。

 第一体育館には、ほぼ全校生徒が集まっていた。両サイドの二階席には一般客や父兄が陣取り、こちらも満席である。
 ステージには、放送部のヒカルとあゆみがマイクを片手に立っている。
「さぁさぁ、いよいよあと五分でミス・マリア・コンテストが始まるよ! あゆみちゃん」
「楽しみですねー、ヒカルちゃん。さっき、控え室を覗いてきたけど、だれがマリアになってもおかしくない候補者揃いでしたよ」
「そして、わたしたちのうしろにいるのが――」
 ライトが点灯して、彼女たちのうしろを照らす。そこには女生徒五人による、バンドがいた。
「未来の音楽界を沸かせるかもしれない、ウイッチーズで〜す!」
「彼女たちはコンテストの合間を、生演奏で楽しませてくれます」
「では、一曲お願いします。曲は『エンジェル・オブ・メタル!』ギンギンに乗ってよ〜!」
 バスドラムが激しく打ち鳴らされ、ギターが高音から低音へと雄叫びのように弦を響かせる。ベースギターは重低音で空気を圧搾する。
 ステージに近い観客は、立ち上がって手拍子を打ち、リズムに合わせて体を揺らし始めた。
 やがてハスキーなボーカルが、叫ぶように歌い始める。
 舞台裏では準備の整った候補者たちが、出番前の緊張感にひたっていた。
 三番目に並んでいる理奈は、大きく深呼吸する。
「まったく! こういうのに引っぱりだされるなんて……。予定外もいいところ」
「喜ぶべきじゃない? 選ばれたんだから。あたしは楽しんでるわ」理奈のうしろに並んだジャネットはいった。
「よりによって、どうして、あたしたちなのよ? あなたとのぞみとキャサリン、そして御子芝さんまで。これが偶然なの?」
 御子芝が答える。
「偶然ではないだろうな。われらが普通の者とは違うことを、本能的に感じとったのだろう。驚くにはあたらない」
「そう? ミス・マリアだなんて、笑っちゃうわ!」理奈は憮然としていた。
「そうともいえないかも……」キャサリンは遠慮がちにいった。
「どういう意味?」
 理奈の元に、五人は集まって輪を作った。
 キャサリンは声を小さくして続ける。
「このミス・マリアは、ある種の願望や理想の対象だと思うわ。つまり、聖母マリアにすがったり希望を抱いたりするのと同じで、多くの人が希望を託しているんじゃないかしら? わたしたちがイヴを捜しているのと本質的には同じだわ」
 のぞみはうなずいた。
「わたしもそう思う。彼らにとって、わたしたちはイヴなのよ。比喩的にね。世界を変えるとか、そういう大きなことではなくても、象徴としてのマリアは、彼らの学園生活に変化をもたらすんだわ」
「うむ……」御子芝はうなった。
「のぞみの意見には一理ある。じつは、高千穂から妙な誘いを受けているのだ。ミレニアム・イヴ・ガーディアンなる組織が、似たようなことをやっているらしい。かの組織も、希望を託す少女を捜しているのだ」
「それに出る気?」理奈はきいた。
「返事はしてない。怪しげな組織だからな。調査中だ」
「じゃ、このミス・マリアは予行演習みたいなものね。あたしもその話、考えてみよう」ジャネットは快活にいった。
「お気楽だこと」理奈は肩をすくめた。
「でも、イヴがいるとしたら、やっぱり多くの人の注目を集めるのではないかしら? もしかしたら、イヴは集団の願望と希望が生み出すのかもしれないわ」とキャサリン。
「それこそ、あたしたちの勝手な願望じゃない? ことはそう簡単だとは思えないわ」理奈は首を振った。
 進行係が手を挙げた。
「出番です。みなさん、いいですか?」
 理奈は唾を呑みこんだ。心臓はドキドキと高鳴っていた。
 ステージには再びヒカルとあゆみが登場する。
「さぁさぁ、いよいよミス・マリアの最終候補者の入場です!」
 一年生から順番に名前が呼ばれ、ひとりずつステージへと歩いていく。
 スポットライトが候補者を追って照らす。そして一列に並んでいく。
 立原はいつになく緊張していた。
「エントリーナンバー9番、立原美咲!」
 名前を呼ばれて、彼女はステージの袖からライトの下へと踏み出した。
 ひときわ大きな歓声と拍手が彼女に浴びせられた。
「おおっと、制服姿の立原先生は新鮮ですね〜」
「うんうん、もともとセクシーなだけに、キュートな制服とあいまって、なかなかの魅力。ひと味違いますねー」
「さて、候補者は出そろいました。それぞれに自己紹介してもらいましょう」
「スクリーンにも注目してください。はい、出ましたね。このアドレスにアクセスして、投票してください。投票は候補者の番号ですよ。三回の投票チャンスがありますが、それぞれアドレスが違うから間違えないように。いま出ているのは、制服での審査で〜す」
「では、1番の宮下さんから自己紹介してもらいま〜す。持ち時間は二分。二分過ぎると途中でもカットですよ」
 天原祭のラストイベントである、ミス・マリア・コンテストは幕をあけた。

 第一幕の制服審査が終わると、候補者たちは控え室に戻り、第二幕のための着替えに取りかかった。幕間には、バンドの演奏が行われている。くぐもった音で響く音楽をききながら、立原はシスターの修道服を身にまとう。
 修道服は純白で、足首まである長いローブに、頭をすっぽりと覆うフードが二の腕まで垂れている。そして胸元には十字架。
 ミス・マリアのコンテストであるための衣装だが、クリスチャンではない彼女でも神妙な気分になっていた。
 それは他の者も同様だった。
 コンテストについてぼやいていた理奈でさえ、修道服に身を包むと心が安まる気がしていた。
 キャサリンとジャネットはクリスチャンであることから、もっと表情は真剣で輝いていた。
 第二幕では、候補者は一斉にステージへと出た。背後のスクリーンには投票用アドレスが表示され、刻々とカウントされる得票数が、候補者別に表示されている。
 修道服を来た彼女たちは、聖歌「いざ皆きたりて」を合唱した。ミサでも度々歌っているため、だれもが知っている歌である。
「第二審査に入っても、いまだ接戦ですねー。」
「一年の南沢さん、二年のシンクレアさんと桜井さんが、トップ争いですか。といっても、票差は最大でも二〇票くらい。まだまだわかりませんよ、あゆみちゃん」
「最後の水着審査で、大きく票が動きそうな気配だね。ヒカルちゃん」
「むふふふ、男子は立原先生の水着に期待しているのでは?」
 歓声が上がった。
「やっぱしね。男子の魂胆は見え見え。でも、半数は女生徒票ですからね。男子の思惑通りにはいかないでしょう」
「さぁ、候補者のみなさんに着替えをしてもらっている間に、ウイッチーズのライブの続きを!」
 修道服姿の候補者たちは、あわただしく控え室に戻り、水着に着替えていく。
「時間が押してるので、急いでください!」進行係が指示を飛ばす。
 理奈をはじめとした候補者たちは、大胆に着ているものを脱いでバスタオルを体に巻いていた。体育の授業での更衣室と同じことだからだ。
「あたしは白よ。ぜったい白」
 理奈はまっ先に水着を選んだ。
「ねぇ、アンダーショーツはどこ?」
「私はシックなものがよい。黒か茶系だ」
 御子芝は興味なさそうな顔をしつつも、しっかりと主張した。
「そうかなー? 御子芝さんは身長高いから、豹柄とか似合うと思うけど」
 理奈は豹柄を取ると御子芝に渡す。
「さようか? むむ……、それも一考だな」
 のぞみはレモン色でフリルのついたものを取った。
「わたしはこれ」
「うんうん、あなたらしくて可愛いわね」
 理奈はだれがなにを着るのか気になるために、意見をいわずにはいられなかった。
「じゃあ、わたしはこれにしようかな」
 キャサリンが選んだのは、真っ赤な水着でメッシュの模様が入っていた。
「おお、あなたって意外と大胆!」と理奈。
 ジャネットはひとつひとつの水着を体に当てては、じっくりと選んでいる。
「あたしはっと……。やっぱり、セクシーな黒かな〜」
 立原は生徒たちが水着選びではしゃいでいるのを、数歩引いて見ている。彼女はためらっていた。
 バスタオル姿で水着を選んでいたジャネットは、立原に声をかけた。
「先生? 早くしないと水着が残りものになっちゃいますよ」
「そうね……。私は残りものでいいわ。あなたたちのためのコンテストですもの。どうかしていたわ、出る気になるなんて……。最初に断るべきだった」
「これはお祭りだわ。楽しめばいいんじゃないの? 男子は先生の水着を楽しみにしているみたいだし」
「若いって、うらやましいわ」
「あたしは先生がうらやましい。だって、あたしは先生のようにはなれないから……」
「なにいってるの。あなたは私なんかよりも、もっと魅力的な女性になるわよ」
「そうなれたらいいと思うけど、現実はそうじゃないの」
 ジャネットの表情は暗くなった。
「そんな顔しないでよ。ええ、わかったわ。着替えましょ」
 立原はジャネットがいったことの意味を理解していなかった。彼女は別の意味に受け取ったのだ。
(十四歳の少女になぐさめられるなんて、情けないわ)
 立原は自分に合う水着を探す。水着はすべてがワンピースタイプだ。しかし、好みの色は大部分が8号か9号だ。生徒を前提としているのだから無理もない。彼女の身長と胸囲では、11号か13号でないと着られなかった。ひとつだけあった11号の水着は、派手なピンク色だった。
「しかたないわね」
 立原は水着に着替えながら、最後に水着を着たのはいつだったろうかと、思い起こしていた。
(少なくとも、五年は経ってるわ)彼女は苦笑した。

 ミス・マリア・コンテストはクライマックスを迎えていた。
 ステージの両袖から交互に候補者が水着姿で登場すると、体育館に大きな拍手と歓声が沸いた。いくつかのグルーブができあがり、推薦する候補者の名前が連呼される。
 立原がステージに登場すると、彼女の名前が大合唱される。
「み〜さ〜き! み〜さ〜き!」
 彼女は顔が火照っていた。緊張のあまり、つまずきそうになると、さらに応援の声が大きくなった。
 立原は自分を呼ぶ一団の方に目を向ける。先頭に立って叫んでいるのは菅原だった。彼の姿を見て、ますます心拍数が上がった。
「さぁ〜て、全員出そろいました。投票もうなぎのぼりですねー」
「さすがというか、予想通りというか、立原先生が伸びてますなー」
「サーバーがパンクしちゃいそう」
「では、候補者のみなさんには、ステージを降りて、観客席の間を歩いてもらいます。スタッフが先導しますから、ついていってください。ぐるりと一周して、ステージに戻ってきたら、投票の締めきりとなりまーす」
 ミス・マリアの候補者は、観客席の間の通路を蛇行しながら行進していく。緊張していた彼女たちも、間近に声援を受けて、顔をほころばせていく。
 最後尾を歩く立原は、場違いな気後れを感じていたが、徐々に笑みを向けるようになっていった。
 ほどなく、立原は菅原の前を通る。
「立原先生! とても、とても綺麗ですよー!」彼の声はうわずっていた。
「ありがとう! 菅原先生」
 立原は歓声に負けじと大声でいった。彼女は自分でも驚くほどにうれしかった。
 水着姿の彼女たちが通る周辺では、ひときわ大きな興奮が渦巻いていた。観客席の中ほどに座っていた達矢と光輝も例外ではなかった。
 ふたりのそばに理奈とのぞみが近づいてくると、達矢は立ち上がって叫ぶ。
「理奈〜! のぞみ〜! 惚れなおしたぜ!!」
 理奈はカッと顔が熱くなった。
「あの、バカ!」
「のぞみちゃ〜ん!!」
 のぞみは声援を受けると、恥ずかしさでうつむいたまま、ペコペコと頭を下げていた。
 達矢の隣では、光輝が手を叩きながら同じように叫んでいた。
「ジャネット! 君が一番だよ!」
「サンキュー! 光輝! 愛してるわよ〜!」ジャネットは光輝に投げキスを送った。
 光輝のクラスメートが、笑いながら彼を袋叩きにする。もちろん冷やかし半分の戯れだ。
「達矢のバカが光輝にもうつったみたいね」と理奈。
「男子って、単純じゃない」うしろのジャネットは理奈に耳打ちした。
「ほんとに」理奈は肩をすくめる。
 やがて行列はアンドルーとゲーリーの前へと差しかかった。理奈はアンドルーと目を合わせると、ゆるんでいた緊張感が再び引き締まった。
 アンドルーは腕組みしたまま、笑みを浮かべてうなずいた。
 理奈も笑みを返す。ふたりの間に張られた、目に見えない琴線は震えていた。
「キャサリン! キャサリン!」
 キャサリンのクラスは、ほぼ全員が彼女の応援団と化していた。彼女は可憐な微笑みを向けて、応援に手を振って応えた。
「樹〜! 次は全国大会だ!」
 叫んだのは高千穂だった。
「たわけたことを! 私は承知したつもりはないぞ、高千穂!」御子芝は一喝した。
「けっこう様になってるじゃないか! おまえの妖艶な水着姿なんぞ、初めて見たぞ! まんざらでもないのだろうが!?」
「貴様に見せるために着ているのではない!」
「しっかり見させてもらった! 生涯忘れるまい!」
「それ以上口をきくなら、叩き斬るぞ!」
 御子芝は顔を紅潮させていた。それは怒りのためだけではなく、羞恥心と図星をつかれたためだった。
 彼女たちはゆっくりとしたスピードで練り歩き、観客の中に嵐を起こしていった。やがて台風の目は、観客席を通り抜け、ステージへと戻った。
 場内の興奮はいくぶん静まっていた。
「はーい、お披露目は終わりですよ。あと、三〇秒で投票を締めきります」
 場内はシーンとなる。スクリーンに映しだされた、投票カウントに注目が集まる。トップ争いをしているのは、キャサリン・シンクレアと桜井のぞみ、ふたりを追って立原と御子芝が続いていた。
「ここまで!」
 カウントが止まった。
 拍手と歓声。
「結果が出ました! 見てのとおり!」
「しか〜し! これはこれは! 意外な展開!」
「シンクレアさんと桜井さんがまったく同数です! 僅差で立原先生と御子芝さん。さらに僅差で綾瀬さんとリーガンさん」
「これは難しい判定になりそうです」
「ただいま選考委員が協議をしています」
「わたしはみんなにミス・マリアを贈呈してもいいと思うわ」
「そうですね。ここまで伯仲していると、同時アクセスでカウントできなかった票もあるでしょうからね」
 立原は結果に興味はなかった。ただホッとしていた。心地よい緊張感と、多くの人に注目される快感を味わい、楽しかったことに満足していた。それは、忘れていたなにかを思い出した時間だった。
「結論が出ましたか?」司会は選考委員にきいた。
 委員長がうなずいて、マイクの前へと進みでた。
「ええ、コンテストの結果を発表します。今回は異例ですが、ミス・マリアにはシンクレアさんと桜井さんのふたりに。準マリアは、立原先生、御子芝さん、綾瀬さん、リーガンさんの四名とします。おめでとうございます」
 だれもが納得する結果に、場内は沸いた。
 コンテストは賞の贈呈式へと移り、昨年のミス・マリアだった高原涼子がステージに登場する。彼女を知る三年生と二年生から、歓声が上がった。
 高原はマイクを受け取って挨拶する。
「お久しぶり。来賓として呼ばれたんだけど、来て良かったわ。こんなに素敵なミス・マリアがたくさんいるなんて、みなさんは幸せものよ」
 彼女は受賞者それぞれに祝福の言葉をかけながら、花の冠を頭に載せ、十字架を首にかけていく。
「みなさんに、主のお導きとおぼし召しがありますように」
 理奈は高原を見て、驚いていた。それは、のぞみ、キャサリン、ジャネット、御子芝も同様だった。なぜなら、彼女は黒井の描いたイヴにそっくりだったからだ。
(まさか……?)
 理奈は彼女がイヴなのかもしれないと思った。だが、すぐにそれを否定した。黒井が天原祭に来ていたことは十分に考えられるし、絵のモデルとして高原を意識的にしろ無意識的にしろ選んだ可能性はあるからだ。
 また、イヴにしろマリアにしろ、集団の願望と希望が託される少女なら、共通したイメージとして似ていることは不思議ではないのだ。
 観客席でステージを見ていた、光輝と達矢も同じことを考えていた。光輝がジャネットにイヴの面影を見たように、選ばれる少女にはイヴの可能性があるということを――。
 しかし、彼らがそのことについて、冷静に考えられるような状況ではなかったことも事実であった。

 ゴシック様式の礼拝堂は、古風なヨーロッパの雰囲気をかもしだしていた。大きな窓にはステンドグラスがはめこまれ、色彩のシャワーを聖堂内に注ぐ。高い天井はアーチを描き、天上にはイエス・キリストと父なる神の物語が神秘的に展開されている。厳粛な空気が漂う場所では、だれもが静かで謙虚な気持ちになるものだ。
 天原学園内にある礼拝堂は、広々とした校庭の中心部に位置している。周辺は芝生が敷き詰められた憩いの場となっていた。曲がりくねった細い遊歩道が芝生の中を通り、道に沿って低木のツツジ、サツキ、ハギ、サザンカが植えられていた。学校には必須といってもいいサクラの樹も、芝生の中に点在している。
 春にはまずサクラの花が彩り、続いてツツジとサツキが春から初夏の季節を告げる。夏には芝生が青々とした緑の海を演出し、秋にはハギが淡紫と白い花を咲かせ、十月に入って冬の気配が感じられる頃にはサザンカが赤色で遊歩道を飾る。四季折々の色彩と香りが、学校と礼拝堂を包んでいた。
 礼拝堂では毎朝三回と夕方一回のミサか行われる。ミッションスクールでもある天原学園では、多くの生徒がミサに参加する。参加は義務ではないのだが、この学校に入学して洗礼を受けた生徒も少なくない。ミサは一般の人々にも開放され、生徒だけではなく地域の住民も参加していた。
 礼拝堂に荘厳なパイプオルガンの旋律が響く。音を反響して増幅する構造となっている聖堂内では、オルガンや人の声にも天使の響きが加わる。
 土日の二日間に渡って催された、天原祭の最後を締めくくるのは、礼拝堂でのミサである。式次第にそって、祈りや聖歌隊による聖歌の合唱が行われる。
 ミス・マリアに選ばれた六人は、本来の服装に着替えて最前列に座っていた。
 パイプオルガンによる前奏が終わると、聖歌隊の合唱を中心にして、列席者全員で賛美歌を歌う。


輝く日を仰ぐとき 月星 眺むるとき
雷(いかずち)なり渡るとき まことの御神(みかみ)を思う
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を

森にて鳥の音(ね)を聞き そびゆる山に登り
谷間の流れの声に まことの御神を思う
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を

御神は世人を愛し ひとりの御子を降(くだ)し
世人の救いのために 十字架にかからせたり
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を

天地(あめつち)造りし神は 人をも造り変えて
正しくきよき魂 持つ身とならしめ給う
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を

間もなく主イエスは来たり われらを迎えたまわん
いかなる喜びの日ぞ いかなる栄えの日ぞ
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を
 ――――♪〜「輝く日を仰ぐとき」より〜

 理奈は歌いながら、歌詞の意味に思いを巡らせていた。
 イエスと神を讃え、救いと栄えある未来を希求する内容だ。聖書にしても聖歌にしても、イエスの死後に書かれて編纂されたものである。多少の真実が含まれているにしても、のちの時代の人々の願望と希望が形となったものだ。
 しかし、現在でも救いを求めて続けているということは、理想の世界は実現していないのだ。
(かなえられることのない希望にすがってきた人々……。ときに神さまは天罰を下し、ときに願いを無視してきたのに……。それでもなお、讃えて救いを求めるのはどうしてなのかしら?
 あたしたちがやっていることも、同じようなことかもしれない。未来を変えられると信じて、なん人ものジャンパーが時間の流れに身を投じてきた。あたしたちがそうであるように、彼らも自分たちが使命を達成できると思っていたはず……。
 祈ることで望みがかなうなら、あたしは洗礼を受けたっていいわ)
 彼女は胸に両手を重ねて当てた。
 賛美歌に続いて、主の祈り、交読文と続き、第一日曜日である今日は信仰告白が行われる。いわゆる入信するための洗礼式だ。
 五名の生徒が神父の前に進みでるとひざまずき、信仰告白をし、神父から聖水をかけられて洗礼を受けた。
 淡々とした儀式はおごそかに進み、先ほどまでのお祭り騒ぎが嘘のように静かな時間が流れていく。
 のぞみは知識としてカトリックのことは知っていたが、信仰しようというほどの興味は持っていなかった。しかし、人智を超えた神を信じ救いを求める気持ちには共感できた。自分たちが成し遂げようとしていることにも、幸運以上の導きが必要なのではないかとも思った。
 隣のキャサリンが手を合わせて、真摯な顔でマリア像を見あげている姿は、心を打つものがあった。確たる信じるものがあるということは、不安や迷いを軽減してくれるのかもしれない。
(彼女にとって、ミレニアム・イヴと聖母マリアは同義語なんだわ。わたしにとって、信じるもの、心の中心にあるものはなんなのかしら?)
 自問自答しても、答は出てこなかった。
 神父が聖書を引用して、説教を始めた。
“ 使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕(しもべ)がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」 ”――――ルカ・17:5〜10
「イエスはこう語って、赦し、信仰、奉仕が希望をもたらすといわれた。この言葉に希望を託して、どれほど多くの人々が平和を祈ってきたことでしょう。しかし、祈りとは裏腹に、二千年を経た現在でも世界に平和は実現していません。
 それはなぜでしょう?
 だれもが身勝手で、赦しも信仰も奉仕の精神も忘れているからです。他人を責める前に、まず自分自身を見つめ直して、自らが人々に尽くすことが必要なのです」
 神父の言葉をききながら、のぞみは自分たちの置かれている立場を再認識していた。
 彼女は両手を合わせて組んだ。そして、マリア像を見つめる。彼女はマリアにイヴのイメージを重ねていた。
(彼女が世界を救うのか、滅ぼすのかはわからないわ。でも、彼女は世界を変えることができるのよ。わたしたちは彼女を見つけだす! そして、世界を変えてみせるわ! その代償がどんなに高いものであっても……)
 のぞみは決意をあらたにしていた。
諌山 裕 mail url 2002/03/25月02:52 [22]

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2024/03/29金05:07