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.第十一節「RE:突然のメール失礼いたします」 | 返信 ▲ ▽ |
【Writer:水上 悠】 タブレットの脇にペンを置いたところで、メールの着信を告げる音が初秋の明け方の冷たい空気に満ち始めていた空虚な部屋の中に響いた。 彼は椅子を回し、背後にあるメール端末にしているノートパソコンの液晶モニタに目を転じた。 わずかな液晶のちらつきの中に、またイメージの断片が見え隠れしたような気がしたが、具体的な意味は浮かんでは来なかった。 未読三通。 すべて、スパムメール。反射的にそれらをゴミ箱に放り込むと、二日前に届いたメールがスレッドのトップにくる。 『突然のメール失礼いたします』 同じタイトルのメールは週に数通は届く。あとは「はじめまして」とか「ホームページ拝見しました」とか。 毎日のように届くスパムメールに比べれば、そうしたメールが届くことじたい、自分がやっていることが幾人かの人にとって意味あることだという証明ではあったが、喜び勇んで返事を書くようなことは、もうなくなっていた。 メールの内容は見なくてもだいたいはわかる。 絵のことを素直に褒めてくれている内容ならまだいい。そこに「共感しました」とか「衝撃を受けました」とか来ると、本気でそう思ってくれているのか怪しくなる。 最悪なのは、「あなたと同じイメージを見ることがあります」というものだ。 返事を書かずにいる二日前のメールは、それに近い意味合いの内容が書かれていた。 あらかじめ用意してある、当たり障りのない「メールありがとうございました」という返事を送ってしまおうかと、一読した時は思ったのだが、そうしようとした瞬間に見えたイメージのせいで、返事を出来ずにいた。 『前略 メールありがとうございます。 拙作「ある終末」を気に入ってもらえたようで、嬉しい限りです。 まさか、中学生のあなた(あなたたちと書いたほうが正しいのでしょうか?)に気に入ってもらえるとは思いもしませんでした。 お尋ねの件ですが、わたしが視える(見えるというのとは少し違いますので、視えるとあえて書かせてもらいます)、いろいろな物事に関しては、残念ですが説明のしようがありません。視えるのだから仕方がないと、投げやりな言い方しかできません……』 いったい何を書こうとしているのだろうと、そこまでタイプしたところで手を止めた。 中学生を相手に終末への期待を裏切られたと同時に、あの恐怖から開放された自分について言い訳じみたことを書いてどうしようというのか? それとも、終末の風景がまだまだこの先にもあるのだということを告げようとしているのだろうか? まさか中学生が「ある終末」と題した絵に興味を示してくるとは思いもしなかった。 いまどきの中学生が「終末」などに興味があるのだろうか? 親や周りの影響で、ノストラダムスの大予言くらいは知っているだろうが、何事もなく、平然と過ぎてしまった前世紀の終わりに、なんの空虚さを感じることなく、新世紀の到来を喜んでいたはずだろうに。 それとも、自分が勝手にそう思いこんでいるだけだろうか? ノストラダムスの預言。ヨハネの黙示。 世の中が終末の予言に沸き立っていた頃、中学生だった自分にとっては、ああした終末の風景は、大人になることへの恐怖と同等か、それ以上のものに思えたものだ。 一九九九年、七の月。 甘美な魅惑をほのかに秘めた、滅びへと導く、五行詩の一節。 その詩の本当の意味を知ることができるという期待がわずかにあったことは否定できないが、恐怖のほうが大きかった。 アメリカはソビエトと目に見えない戦争を続けており、西と東を分けるヨーロッパのどこかで戦争がはじまれば、核ミサイルを発射するボタンが押され、すべてが終わる。そうしたことがすべて現実だった。 それがどうだろう、ブレジネフ以降、ソビエト共産党書記長がめまぐるしく入れ替わり、ゴルバチョフが書記長に就任したあたりから、恐怖に満ちた世界の様相は変わりはじめていた。 まさかベルリンの壁が崩される光景をこの目で見ることになるとは……。ベルリンに住んでいる人たちほどの喜びと感嘆ではないにしても、茫然とテレビを見ていたのを今でも覚えている。そうやって冷戦は終結を向かえた。 バブル全盛の頃は、大学とバイト先との往復に明け暮れ、世の中の動きなど少しも興味なかった。さすがに湾岸戦争がはじまった時は、終末への予感が頭をもたげたが、呆気ないくらい簡単に(最初からわかっていたことだが)アメリカの勝利に終わり、すぐそこに見えた終末は、またしても消えた。 バブルが弾けるちょうど一年前に就職できたことは、幸運だったのかどうかわからない。 自分の人生に、あまり意味を見いだせないでいたことだけは確かだった。 そして、二〇〇〇年問題で、多少浮き足だった感じはあったが、何事もなく新世紀を迎えた。 二〇〇〇年の元旦に味わっていた空虚は、いまでも思い出したくはない。 だが、あの日以来、おかしなモノが視えるようになっていた。 はじめに視えたのは、巨大なコンクリートの構造物ががれきの山となった光景だった。サイレンの音、逃げまどう人々の悲鳴、怒り、恐れ、そして血のにおい。 あとになって、阪神大震災の高速道路が倒壊した映像に似ていることに気付き、虚脱感のあまり、記憶がおかしくなっているのだろうと、あまり気に病まないようにしていた。 だが、イメージの断片はその後も突発的に襲ってきて、浅い眠りを邪魔されたり、人込みのど真ん中でめまいに倒れそうになったり、日常生活に支障をきたすようになった。 友人の薦めで、精神科医のカウンセリングも受けたが、軽い躁鬱症だろうと診断されただけだった。 病院から出た瞬間、二つの高い塔からのぼる煙のイメージが脳裏をよぎった。 そのイメージが襲ってきたときは、意味など知りようもなかった。 無我夢中で絵に描き上げたこのイメージが、現実の光景になったのは一年後のことだ。 おそらく、このメールを送ってきた彼等もテレビで見ていたはずだろう。 もしかすると、彼等にとっては、あれが終末の風景に思えたのかもしれない。 先のことを一瞬でも垣間見ることが出来る。 子供の頃には予知能力に憧れたこともあった。 それがどうだ。ほんの一瞬でも、先に起こるであろう出来事の断片が見えてしまうというのは、苦痛以外のなにものでもない。 自分が預言者だなどとは思いたくはなかったが、もし、自分が視たものの意味を、他の誰かが理解してくれるとすれば、大勢ではないにしても命を救うことが出来るかもしれない。 そう思って描き上げたイメージの断片をサイトにアップするようにしてきた。 報われているのかどうかはまだわからない。 もし報われるとすれば……? 『ただ、私が描いているもののすべてが、「ある終末」のように希望のないものだけではありません。近いうちにアップする予定ですが、少しばかり希望のあるものもこれからはアップしていくつもりです。 偶然かもしれませんが(おそらく偶然ではないと思います)、あなたからのメールを読んだ直後に浮かんだイメージをいま描き上げたところです』 背後のモニターに映る、少女の微笑みを見る。 いつどことも知れない黄昏の街。 生きた街なのか、死んだ街なのかは判然としない。 少女は振り返り、悲しげな微笑をこちらに向けている。 だが、その瞳には、はっきりとした意思が感じられた。 いつまでも終末にこだわっていても仕方がない。 ノートから離れ、描き上がったばかりの絵にタイトルを付け、保存をする。 「M.E(ミレニアム・イヴ)」 本当に希望など持てるのだろうか? 一瞬だけ疑問が湧いたが、すぐにうち消した。 『添付いたしますので、気に入ってもらえると幸いです』 メールの最後に「くろいまさなお」と署名する。 そして、メールにファイルを添付し、送信のボタンを押した。 水上 悠
2002/01/14月02:11 [11] |
.第十節「二十六世紀の肖像」 | 返信 △ ▽ |
【Writer:皆瀬仁太】 寮の窓から差し込む陽が、奥のベッドまで届いていた。いつのまに群れたのか、秋あかねが景色に色を加えている。ついっと線を引くように飛ぶ幾百のその姿にのぞみは目を奪われていた。 (あかとんぼ、か) 童謡が浮かぶ。郷愁感を誘うメロディと姉が十五才で嫁いでいったという歌詞が少し切なかった。 のぞみも来年十五才になる。同時に激しい老化がはじまるだろう。老化遅延措置のできないこの時代では、あっという間に肉体の自由は奪われてしまうだろう。遺伝子に手を加え続けて来た人類の、それが末路なのだ。 その末路を変える。そのために彼女たちはこの時代に来た。歴史を閉ざしてしまう芽ともいえる「ミレニアム・イブ」を見つけ、その芽を摘み取る。これが彼らに課せられた任務だ。それは新しい歴史を創るということであり、破滅を目前に控えた二十六世紀の多くの若者の生きている証でもある。 何かをせずにいられない――いつの時代にも共通する若者の思いがこのプロジェクトを成立させているのだった。 だが……。 (もう二カ月になるのね) 一年にも満たない時間の大半を学園生活に費やすことに果たして意味があるのだろうか? それが任務だと自分を偽りながら、楽しんでいるだけなのではないか? 先日の高千穂涼との一件以来、新たにそんな迷いをのぞみは抱えていた。 ドンドンと手荒なノックの音がした。ほぼ同時にドアが開かれる。 「のぞみいるか……なんだ浮かない顔して。まあ似合わないでもないけどな」 達矢だった。相変わらずノックの返事を待たない。いや、ノックをするようになっただけマシなのかもしれない。 「お、あかとんぼ。凄い数だな。疑似体験プログラムのときは四〜五匹しかいなかったもんな。今度、あっちの連中に教えてやろう。ところでさ、ちょっとおもしろい情報を見つけたぞ」 達矢は言葉を切って、ふふんと笑った。焦らしているつもりだろうが、スポーツマンらしい精悍な顔が「言いたくてうずうずしている気持ち」で輝いている。 「まったく」 のぞみの頬が緩む。なんとかなる、と端から信じて疑わない達矢は、チームの元気の素だった。 君のメンタリティはこのプロジェクトにじつによく適合している――光輝がからかい半分で達矢を評した言葉をのぞみは思い出していた。 学園会長の郷田が、パソコンを彼らの部屋に割り当ててくれていた。この時代の最新機種とのことだが、起動に時間がかかることに彼らは驚いた。 「ノイマンタイプはやはりだめだな。もっとも牧歌的な時代の象徴かもしれないが」 光輝らしい評価であった。 そのパソコンがすでに立ち上げてある。どこかのホームページが開かれている。 光輝と達矢の部屋に四人は集合していた。御子芝は何か調べることがあるとかで当分留守にする、とのことだった。 「情報収集にはやっぱりパソコンだよな。こっちのインターネットなんてまだ大したことないけど、それでもかなりのネタを仕入れられるぞ。光輝がマシン言語体系、完全にマスターしたから、これからはハッキングしほうだいだ」 「そんな簡単なものではないよ」 光輝は苦笑した。 「まあ、いいってことよ。で、それとは関係ないんだけど、おれが偶然に見つけたページがあるんだ。まず、それを見てくれ」 「もったいぶるわね。早くしなさいよ」 理奈が口を尖らせる。 「わかった、わかった」 達矢はマウスをクリックした。 「あら、ずいぶん手つきがさまになってるじゃない。なにに使っておぼえたんだか」 理奈がからかう。二十六世紀のデバイスにマウスは存在しないのだ。こんな使いにくいもののマスターは光輝にまかせるよ、と達矢はまったくヤル気を見せなかったのだ。 「うるさいな。いいから黙って見てろよ」 達矢が何度かクリックすると、画面いっぱいに映像があらわれた。 「これって!」 理奈は絶句し、のぞみも同様に言葉を失っていた。 荒廃した都市。砂漠化した大地。「ある終末」と題されたそれは、まぎれもなく二十六世紀の新宿の姿だったのだ。 「偶然の可能性は?」 理奈がまず口を開いた。 「これくらいの絵は想像で描いたっておかしくはないわよね?新宿のビル群は現にいまあるんだし」 「そうね、わたしもそう思うわ。けど……」 「けど、なによ?のぞみ」 「まあ待てよ。もっと、おもしろいことがあるんだぜ」 達矢が目を輝かせた。自分の発見を説明したくてしかたないのだ。 「このページの作者はさ、どんなときに閃いたとか、いつ書き始めたとか、そんなこともアップしてるんだ。いいか」 達矢がクリックすると、日記のようなページがあらわれた。 「もしやと思ってこれをたどってみたんだけど。ほらここ」 そこには、「天啓のように終末の都市の姿が降りてきた。リアルだった」などと書かれていた。 「この日付だよ、問題は。おれたちが忘れようのない日付」 七月十五日。 それは彼らがこの世界へ到着した日に書かれたものだったのである。 「ここからの説明は光輝の出番だ。たのむぞ」 達矢にポンと肩を叩かれ、光輝は肩をすくめた。 「これはあくまでぼくの推測だ」 光輝はいつもの落ち着いた口調で話し始めた。 「未来から多くの若者たちが過去を目指してジャンプした。だけど残念なことに、あるものは量子レベルの藻屑と化してしまった。さて記憶もひとつの存在であり、それも量子レベルで弾けたとすると」 「……ひょっとして光輝の言いたいのコピー理論?」 理奈が形の良い細い眉を少し吊り上げながら疑わしげな口調でいった。 量子レベルで分解された記憶が人の脳を通過するときに、そのコピーを残してゆく、という理論だ。コピーというよりは量子のシンクロナイズと表現するほうが正しいのだが、分かりやすさからコピー理論と呼ばれている。 が、実験でもなかなか再現性が認められないことと、もともとがテレパシーの説明という超心理学的な分野から提唱されたものであったため、眉唾ものと世間一般には考えられていた。 「ぼくもコピー理論を信じてはいないけど、そう考えると納得がゆく。むしろコピーは未来予知みたいな形で表にあらわれるのはまれであって、潜在的に残るのじゃないかと」 「うーん……。どうかなあ」 「ねえ、仮に光輝が正しいとするとどういうことになるの?」 「のぞみ、そいつは簡単さ。つまりミレニアム・イブなら必ずこういう記憶を持っているはずだってこと」 達矢が得意気に口をはさむ。 「……どうしてそういう結論になるの?」 「だってそうだろう? どんなことだって絶対どこかにつながってるんだよ。おれたちがここに着いたことだって、もしかしたらジャンプに失敗したたくさんの人だって、歴史を創るための一つなんだ。郷田さんがサポートしてくれておれたちはこの学園にいる。御子芝さんもここへ来た。そういうことの一つ一つが全部ひとつの方向を指しているに違いないのさ」 「その考え方はあながち的外れでもないな」 光輝が引き継いだ。 「もっともミレニアム・イブのことは、飛躍がすぎるけどね。問題はそうやって未来を織り込みながら、この歴史がどこに向かうかなんだ」 「いい方向に決まってるさ。そのために来てるんだ」 達矢の言葉に三人は苦笑したが、それは好意的なものだった。 「ま、推測はそれくらいにして、とりあえずこのホームページの作者にメールを出してみよう。なにか分かるかもしれない」 光輝の提案に反対する者はいなかった。 過去と未来の因果関係は二十六世紀でもほとんど解明されていない。それが分かっていれば、ミレニアム・イブを探すことはさほど難しくないはずなのだ。 だが、達矢の言葉はチームに大きな活力を与えた。このままでいいのか? と悩んでいたのぞみも、なにかが吹っ切れたような気持ちになっていた。 コピー理論が正しいにせよ、間違っているにせよ、ひとつの手がかりには違いないと思うのだ。 ただひとつだけ、いいそびれてしまったがのぞみが気になっていることがあった。 「ある終末」のアングル、それはのぞみが破れた窓から恐る恐る見下ろした新宿の街そのものだったのである。 皆瀬仁太
2002/01/08火04:56 [10] |
.第九節「文化祭への道」 | 返信 △ ▲ |
【Writer:森村ゆうり】 九月とはいえ、秋の気配など微塵も感じさせない暑い日が続いていた。 学園では十月初めに開催される文化祭に向けて、生徒も教職員も準備に余念が無かった。聖天原学園中学校の文化祭は、一般的な中学校の文化祭と比べてかなり立派なもので趣向も凝らさせる伝統がある。 大学の学園祭程とまではいかないが、下手な高校の文化祭よりは楽しめるため、お客も多い。理事長の方針から、父兄だけでなく地域の人たちにも開放される。 見学者の内訳は、近隣の人たちは言うに及ばず、聖天原学園に我が子を入学させたい親や予備校や塾の関係者までと多岐にわたる。学園側としても多くの生徒を集めるための宣伝材料の一つとして力を注いでいた。 おかげで、文化部の顧問を持ってる教師は連日かなり遅くまで学校に残って生徒たちを指導している。 菅原拓郎もその例外ではなく、料理研究会と手芸部の指導に追われ、おまけにこっそり入れ知恵指導している文芸部のSF好きな生徒の同人誌作りにまで借り出され、身体が三つほど欲しい気持ちが日に日に増していた。 調理実習室では、料理研究会の生徒十五人と見学者一名が全員出席しての話し合いの最中だった。もちろん菅原も同席している。 今日は当日の係決めとメニューの最終決定をするための話し合いだが、基本的に教師の菅原は生徒の自主性を尊重し、話し合いに口を出すことはない。調理中や食材選びには大いに口を出すが、他のことは生徒たちに任せているのだ。 「桜井さんは転校生で途中入部だし、まだ日も浅いから、とりあえず一年生の四人と一緒にウエイトレスということでいいかな?」 三年生で部長の渡が、部員たちに訊く。 「のぞみさんがそれでいいなら……」 のぞみと同じ学年の栗林里美が言う。 「わたしはその方が助かります。うちのクラス、舞台発表で劇をやるんですけど、わたし脚本担当してて、やっと完成したところなんです。手直ししたりもすると思うし、調理の方の下準備とかあまり手伝えそうにないんです」 「じゃ、この件は終わり。次は神崎君だけど君はもちろんウエイトレスだからね」 部長は少しにやにやしながら達矢に言い渡す。のぞみの時は、一応、疑問符が付いていたが達矢に対しての発言は肯定の返事しか受け付けないぞという響きがありありと出ている。 「えっ、おれ、ウエイトレス? この世界って喫茶店のお運びさん、男も女もウエイトレスって言うんだっけ?」 「男はウエイターでしょ」 部長がきっぱりと言いきった。 「んじゃ、おれ、ウエイターだよね」 「いいえ、ウエイトレスよ」 またまた部長がきっぱりと言う。 菅原はその様子を見ながら、笑いをかみ殺していた。この渡という生徒は、部長を任されるだけ合ってリーダーとして他の生徒を引っ張っていく力もあり、調理の技術も中三としてはかなりの腕を持っているのだが、妙な趣味を持っているのだ。菅原は料理好きのSFオタクだが、彼女は料理好きのBL(ボーイズラブ)オタクで達矢がのぞみに付き添うように料理研究会の見学に来たときから、絶対入部させて文化祭でウエイトレスの姿をさせようと、手をこまねいて待っていたのだ。 彼女の野望にうすうすながら気が付いていた菅原だったが、いよいよその時が瞬間がやって来たのである。他人にふりかかるこの手の災難は非常に楽しいものだ。見逃す手はないと、興味津々でことの成り行きを見守っている。 「ウエイトレスって……」 「しばし待たれよ。……じゃない。ちょっと待って」 見学者一名が声を上げた。 「なんですか、御子芝さん」 最近、突然やってきた交歓留学生という触れ込みの御子芝樹が発言の主だ。日系人なせいか日本語は極めて流暢である。時々、時代がかった言葉使いをするが、母国で日本の時代劇ドラマを見て日本語を学んでいたせいだという。 九月も半ばを過ぎたころ、またまた突然二人の交歓留学生がやってきたのだ。一学期末の転校生もそうだが、理事長がからむ生徒の受け入れはいつも唐突だ。普通なら職員である菅原などは、もっと前から留学生受け入れの事実を知らされているべきだろう。 「神崎殿……ではなくて、神崎君は男子ですが、女の姿をさせるということですか」 「その通りです」 部長はやる気満々だ。 「なるほど……。では、私はウエイター役をやらせていただこうか」 「あら、御子芝さん、素敵なアイディアね。御子芝さんならウエイター姿、凛々しくていい感じになりそうだし」 部長を煽るような御子芝の発言に、菅原は堪えきれずとうとう吹き出してしまった。生徒の数人がそれに気づいて、菅原の方をちらちらと視線をおくっている。 その視線には教師なら笑ってないでなんとかして下さいよ。の気持ちが詰まっているようだ。 「あのう。それじゃあ、わたしもウエイター姿の方がいいのかしら?」 のぞみが遠慮がちに訊いてくる。 「桜井さんはウエイトレスがいいのよ。絶対、その方が似合うから。世の中、向き不向きがあるのよ」 「はあ……」 樹とのぞみではどう違うのか、のぞみには全く理解できなかったが、部長の言葉には他者に有無を言わせない力があった。 「じゃ、おれもウエイターの方が……」 「ウエイトレス!! 桜井さんと神崎君に似合いそうなウエイトレスのコスチュームももう用意してあるし、大丈夫よ」 何が大丈夫なんだか不明である。 「渡、文化祭は有明のイベントじゃないんだからな。まぁ、しかしだ」 そろそろ口をだすころ合いだろうと、笑いながら傍観していた菅原が動きを見せた。 「面白い案だと思う。どうだ、神崎。そんなにウエイトレスは嫌かい?」 「はあ。嫌というか、想像できないというか……」 「なにごとも経験だ。嫌でなければやってみるといい」 達矢にしろのぞみにしろ、未来からやって来た彼らにとって、その言葉は説得力がある。 破滅的な未来を変えるために自分たちができることは、何でもしなければならないという使命に燃えてこの二一世記にやって来たのだ。一見ばかげたことのように感じることでも、巡ってきたチャンスは全て自分たちのものにしていかなくては、未来を変えることなど到底できはしないだろう。 「分かりました。おれ、やります。ウエイトレス」 「決まりね。今年の文化祭は楽しくなりそうだわ」 一人悦に入っている部長の渡をしり目に、他の部員たちは早くメニュー決めに移りたいと心底思っていたのだった。 料理研究会の話し合いがお開きになった調理実習室に残っていた菅原の元へ、転校生の二人と交歓留学生がやって来た。 「どうした?」 神妙な顔つきで自分に近づいてくる生徒三人に向かって菅原が言った。 「渡部長って、いったいどういう人なんですか?」 「おれ、渡部長は優しくて料理上手な先輩だって思ってたんですけど……」 「物の怪にでも取り憑かれたような勢いであったな」 三人は口々に今日の渡の様子に付いて話はじめる。 「まぁ、落ち着いて。とにかく座って、コーヒーでも飲もうよ」 菅原は調理実習室の奥にある家庭科教官室へ三人を案内して、休憩時間に飲むためのコーヒーを三人にも振る舞ってくれた。 コーヒーの良い香りが教官室いっぱいに広がると、落ち着いた雰囲気が生まれてくる。 「君たちは、外国で暮らしていたらしいからあまり知らないのかもしれないけど『オタク』って言葉、聞いたことないかな」 「聞いたことはあります」 達矢が答えた。 三人は、二一世紀を訪れるために受けたシミュレーションの中で、その言葉を聞いたことが合った。シミュレーションの中では、一つのことに拘りを持ち探求し極めた人たちのこと指していたが、長い時間の経過に連れ言葉のもつ意味やニュアンスが変わってくることは充分考えられる。シミュレーションはシミュレーションでしかなく、現実とは違うものなのだ。 「彼女は、そのオタクなのさ。この一言で片づけられるのは、渡も不本意だと思うけどな」 菅原は自分も椅子に座り、コーヒーを飲みながら話を続ける。 「僕もオタクだから彼女の気持ちが分からなくもない」 「えっ、菅原先生も女装趣味が……」 のぞみが心底驚いた声をあげた。 「オタクにもいろいろ合って、僕はSFが好きなのさ。この部屋みて、そう思わなかった?」 三人はぐるりと教官室を見渡した。家庭科の教材の他にも沢山の本やDVD、天球儀に正体不明の機械もどきが所狭しと置かれている。 技術・家庭科の常勤教師が一人しかいない学園だからこその私室化だ。 「宇宙とか未来とか科学とか……。僕が心引かれるものをいろいろ置かせてもらってる。DVDは被服室のスクリーンで見ると迫力なんだぞ」 菅原は力を込めていった。 その姿は、確かに先ほどの渡の様子に少し似ているかもしれない。 三人は思う。 もしも自分たちが未来からやって来たことを知ったら、菅原はどういう反応をするのだろうか。菅原の好きだという、SFを地で行っている存在の自分たちが負っている使命に付いて話したら、どんな言葉をくれるのだろう。 現実には語ることのできない自分たちの身の上を話して、力になって欲しい。そんな気持ちが三人の胸に沸き上がる。 「とにかく、渡には悪気はないし、優しく料理上手なのも事実だ。オタクは巧く使えばいろいろ役に立つことも多いもんだよ」 「役に立つ?」 「そう、普通、知らないようなことまで知っていたり、思わぬ特技を持っていたりな。渡はきっとコスチューム自分で作ってるはずだぞ。彼女は洋裁も得意だからな」 菅原は笑いながらそう言った。 役に立つ。 それならば、未来をも変えてくれたりはしないのだろうか。 漠然とそんな思いが彼らに去来する。どんな可能性にでも縋り付きたい彼らの必死さが痛々しい。 三人の手に握られたマグカップからは、熱いコーヒーの湯気が立ち昇っては、教官室の空気と同化して消えてゆく。それはまるで、全く掴むことができない手がかりのようだった。 森村ゆうり
2001/12/31月03:04 [9] |