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.第十五節「時を賭けた少年少女たち」 | 返信 |
【Writer:諌山 裕】 “そう、そうなのか、ここへ人々がやってくるのは、生きようがためのことなのか。ぼくはむしろ、ここでは何もかも死んでゆく、と言いたいくらいだ。” ―――――ライナ・マリア・リルケ著「マルテの手記」の一節より。 昼休みの図書室――。 室内に生徒の姿は少ない。多くの生徒が食堂や屋外でくつろいでいるか、校庭で遊んでいるからだ。 桜井のぞみは昼食を早々に済ませて、読み終えたばかりの本の冒頭を読み返していた。図書館にあった本の中から、なにげなく手に取った一冊だった。のぞみは作品の主人公が綴った憂鬱、不安、恐怖、そして生と死に対する気持ちが、いまの自分に重なるのを感じていた。 手記の形で書かれたこの小説は、二〇世紀を迎えたばかりのフランスが舞台だ。パリに出てきた青年の目を通した、見聞録や日記の断片が無秩序に並べられている。脈絡のない断片に思えるものをつなぎ合わせていくと、彼の自己存在確認のための過程なのだとわかってくる。二〇世紀初頭に書かれた小説だが、のぞみの抱いている迷いや悩みを代弁してくれているようでもあった。 「紙の本を読むっていうのも、いいものね。画面をスクロールするのとは、ぜんぜん違うイメージがわくから。それが資源の無駄づかいだとしても」 のぞみは図書館に並ぶ本を見たとき、空間と資源の無駄だと思った。軌道コロニーで育った彼らには、空間と資源の浪費は第一の悪徳だったのだ。この程度の情報であれば、小さなデータスティックに収まってしまう。二〇〇二年のレベルでも、数ギガのディスク数枚あれば十分だろう。だが、実際に本を手にとって読み始めると、先入観は変わった。 彼女たちはスクロールする画面から瞬時に情報を読みとるために、速読法を小さい頃から身につけていた。五分もあれば一冊の本を読んでしまえる。棚から取りだして机に積み上げた五〜六冊を読破するのに、昼休みの時間があればよかった。彼女が本をめくっているスピードに、周囲の生徒たちはパラパラと眺めているだけだと勘違いしていた。 画面で文字を読むときには、文字が流れていくだけだが、ページをめくるという行為は新鮮な感触だった。次のページに書かれていることは、あらかじめ決められていることではあるが、物理的に見えないことでページを開くことにワクワクした。それはあたかも歴史のページをめくっているようなイメージと重なった。 「わたしたちは、可能性のある未来のページを知っている。でも、これからわたしたちが開くページが、必ずしも知っているとおりのページではないのよ」 もし、未来の世界を書いたのが神ならば、神はまだ執筆中なのかもしれない。永遠に完成することのない物語。進行中の物語に、わたしたちが登場し、筋書きは書き換えられる。自分たちが自らの意志で行動しているつもりでも、じつのところ神の書いたシナリオなのかもしれない……。わたしたちの役割は? わたしたちのすることは正しいことなのか? 悪役でないといえるだろうか? のぞみの想いはとめどもなく、空回りするばかりだった。 ふと、のぞみは視線を感じて、顔をあげた。視線の先には、緑色の瞳と透けるような金髪があった。キャサリン・シンクレアだった。 (綺麗な人……) のぞみはフランス人形のような彼女を美しいと思った。 キャサリンは微笑んだ。のぞみも笑みを返した。 (理奈がいってた、転校生ね。用心しなくちゃ) のぞみは笑みを浮かべながらも、警戒心で相手を観察する。キャサリンも値踏みするような眼差しで、のぞみを見ていた。 ふたりの間に、静かな火花が散った。 キャサリンはのぞみに歩みよるといった。 「お隣にいいかしら?」 「ええ、どうぞ。ええっと……」 「キャサリン・シンクレアよ」 キャサリンが手を出し、ふたりは握手した。 「わたしは桜井のぞみ」 キャサリンはのぞみの持っている本の表紙を見る。 「リルケの『マルテの手記』ね。わたしも読んだわ。いろいろと共感するところがあったわ」 「そう? わたしもなのよ」 「読書家なのね。これ、全部読んだの?」 キャサリンは机に積み上げられた本を指さした。 「まぁね。演劇のシナリオを書くのに、いろいろと勉強する意味もあって」 「演劇やってるの?」 「ていうか、今度の天原祭で。あなたも本が好きなの? 昼休みにここに来る人は少ないから」 「わたしは紫外線アレルギーなのよ。だから、外に出るのは控えてるの。本も好きなんだけど」 「ふうん、そうなんだ。わたしも強い日差しはちょっと苦手だな」 「よかった、仲間がいて。みんな外に行っちゃうから、なんとなくここに来ちゃった」 のぞみは落ちついた口調で話すキャサリンに見とれていた。同性から見ても、彼女は魅力的だったのだ。 「わたしの顔になにかついてる?」 キャサリンは首を傾げた。のぞみはあわてて視線をそらした。 「あ、そういうわけじゃなくて……。綺麗な金髪だなーって」 「ありがとう。ねぇ、それって、例のシナリオ? 見てもいいかしら?」 キャサリンは本のそばに置かれた、プリントアウトの束に向かった顎をしゃくった。 「うん。見てもいいけど、恥ずかしいな。初めて書いたものだから……。日本語、読めるの?」 キャサリンはうなずいた。 のぞみはクリップで束ねたプリントアウトを、キャサリンに手渡した。キャサリンは手早く紙をめくって、パラパラと読んでいった。 「なかなか面白いと思うわ。お世辞じゃなくて」 「あなたも速読できるの?」 「ええ。前の……学校で身につけたの」 「結末はどう思う? じつはまだ迷ってるのよ。どちらとも取れる終わり方にしてるから、ちょっとわかりにくいかなって。いちおう演劇の練習はこのシナリオで進めてるんだけどね」 「そうね……。たしかに曖昧だけど、かといってあまり明確にしても余韻が薄れるんじゃないかしら?」 「ほんと? じゃあ、こっちも見て。別案の結末なの」 のぞみは書類ケースから、別のプリントアウトを取りだす。キャサリンはそれにも目を通して意見をいった。 ふたりは互いの素性を知りながらも、いつしか意気投合していた。 六時限が始まってほどなく、光輝は眠気に襲われてこっくりこっくりと船をこいでいた。理科の授業ということもあって、退屈さが一因になっていた。授業の内容が彼には幼稚すぎたのだ。 と、その時、ピロロロと電子音が鳴った。携帯電話のコール音だ。 教師の立原が眉間に皺をよせて、音の発生源に目を向けた。 「誰の携帯? 授業中は電源を切る決まりでしょ!」 ピロロロ、ピロロロ―― 生徒同士も顔を見あわせる。やがて、視線は一点に集中した。 「津川くん!」 立原が叱責した。 「ん……え?……はい?」 睡魔から呼び戻された光輝は、とぼけた声を出した。 ピロロロ―― 光輝はようやく自分の携帯が鳴っていることに気がつき、あわてて胸ポットから取りだした。そして、コール音を止めた。 「だめじゃない! 没収するわよ」 「す、すみません……」 光輝は頭をかいて、なん度も頭を下げた。教室の中に失笑が広がった。 光輝の眠気は吹き飛んでいた。注意されたからではない。携帯のディスプレイに表示された、メッセージに驚いたからだった。彼の持っている携帯電話は、ただの電話ではなかった。見かけこそありふれたものだが、ある特定の周波数を受信するように改造が施されている。特定の周波数とは、タイムカプセルから発せられる識別信号だ。 《TCS Received!》 と、メッセージは表示されていた。 タイムカプセルシグナル、受信!―― (ついに来た! 未来からのメッセージだ!) 光輝はいてもたってもいられなかった。彼は立ちあがった。 「先生! すみません、ちょっと急用が……」 授業を再開しようとした立原は、大きなため息をついて腕時計を見た。二時五〇分だった。 「まだ、授業は二〇分残ってるのよ。そのくらい待ちなさい」 「待てないんです! その……トイレに!」 再び失笑が上がった。 光輝は真剣な眼差しを立原に向けた。その目は、ただならぬ悲壮感さえ感じさせるものだった。理由が嘘であることは見抜けたが、真の意図は計りかねた。 立原の脳裏には郷田の言葉が浮かんでいた。 ――彼らを助けてやってくれ。 「しょうがないわね。今回だけよ」 立原は人差し指を出口へと振った。 光輝はあわただしく席を離れる。そして教室をでていくときに振り返り、理奈に視線を送って小さくうなずいた。理奈はハッとして目を丸くした。 「先生!」 理奈が手を挙げて立ち上がった。 口を開きかけた立原は、口をつぐんで理奈を睨みつけた。 「なんなの? 綾瀬さん」 「あたしも……おトイレに」 「今日はお腹の下るようなメニューだったのかしらね?」 立原はゆっくりと首を振った。 「お願いします! 今回だけ」 「行きなさい。あとで職員室に来るように」 理奈は一礼すると、光輝のあとを追った。 出ていったふたりを、ジャネットが怪訝な表情で見つめていた。 (なにか、新しい展開があったようだわ……) ジャネットは彼らのあとを追いたい衝動に駆られたが、あまりに見え透いていたために思いとどまった。 彼女は授業が終わるのを、イライラしながら待つのだった。 教室を出た光輝がまっ先に向かったのは、例のベンチだった。足早に歩きながら、携帯電話に入ってくる信号強度を測る。ときおり立ち止まり、信号が来る方向を探る。 「光輝! 待ってよ!」 理奈が駆けてきた。 「なんだ、理奈も抜けてきたのかい? 立原先生はなんて?」 「そんなことはどうでもいいわ。で、どうなの? 来たのね、カプセルが」 「うん。たぶん間違いない。近いと思うよ。この携帯で受信できるのは、せいぜい半径五〇〇メートルだからね」 「例のベンチ?」 「だといいけど」 ふたりはポプラ並木を歩いて、はずれのベンチへと到着した。 「あれ〜、おかしいなー。信号が弱くなった。ここじゃないみたいだ」 「じゃあ、どこよ。校内のどこかなんでしょ?」 ふたりは来た道を戻りつつ、信号が強くなる方向を探した。並木道をはずれて芝生の中に入り、さらには学生寮の周りを一周した。だが、信号は強くなったり弱くなったりを繰りかえし、特定することは難しかった。 「信号がとても不安定だな。なにかの干渉を受けているのかもしれない」 「なにかって、なによ」 「たとえば、電波を遮蔽するようなものだよ。厚い金属とか、壁とか」 「まさか、壁の中とか、岩盤の中に出現したの?」理奈はきいた。 光輝は肩をすくめた。 「ありえるよ。座標がほんのわずかでも狂えば、狙ったところには出現しないんだから」 光輝と理奈が校内を歩きまわっていると、終業のチャイムが鳴った。 「SHR(ショート・ホーム・ルーム)の時間だけど、どうしようか?」光輝は理奈に顔を向けていった。 理奈は舌鼓を打った。 「いったん戻ろう。立原先生をこれ以上怒らせたくないし」 「そうだね。達矢とのぞみも一緒に探した方が効率がいいよ。三角測量ができる」 ふたりは駆け足で教室に戻っていった。 SHRが終わり、光輝と理奈は職員室で立原の小言をきいていた。 「あなたたち、なにをこそこそしていたの? トレイには行かなかったようね。転校生だからって大目に見るにも限度があるわ」 「申し訳ありませんでした」 理奈はなん度目かの謝罪を繰りかえした。光輝も理奈とあわせて頭を下げる。 「ふぅ〜。説明はしないつもりなのね。あなたたちは成績も優秀だし、素行もいい方だわ。なにか問題を抱えているなら、私にも打ち明けてほしいのよ」 立原はふたりの反応を注意深く観察する。光輝はなにかいいたげだが、理奈は毅然として口をつぐんだまま、立原の視線を跳ね返していた。 (強い子ね。反抗期ではあるけど、ただ反抗しているだけではない、意志を持った目だわ。最近では珍しいくらい) 立原は質問の矛先を変える。 「あなたたちは、つきあってるの?」 「え?……はぁ?」光輝は質問の意味がわからないとばかりに、疑問符を返した。 「交際してるのかってこと。一緒に行動していることが多いから」 理奈はクスッと笑った。 「先生、それは勘ぐりすぎですよ。光輝とは幼なじみだけど、それだけ」 ほんとにそれだけ?……理奈は自問自答していた。 「そう。だとしても、授業をさぼってこそこそするのは、誤解の元よ。別に男女交際のことをとやかくいうつもりはないけど、節度をわきまえなさい」 「はい」理奈はきっぱりと答えた。 「はい……」光輝は言葉を濁した。 「もういいわ。解放してあげる。天原祭の準備もあるだろうから」 ふたりが職員室から出ると、達矢とのぞみが廊下で待っていた。 「なにやったんだ? えらくしぼられてたな」達矢は笑いを含ませていった。 「この脳天気! あんたって、ぜんぜん緊張感がないのよね」 理奈は言葉を切って、達矢とのぞみを順に見る。そして、小声でいった。 「TCが来たのよ」 「なに!? ほんとか!!」達矢は大声を出した。 「バカ!! 声が大きいわよ! あんたって、ほんとバカ!」 理奈は背を向けて歩きだした。三人は彼女のあとについていく。 「おれ、なんかまずいこといったか?」達矢は光輝にきいた。 「さぁ、理奈はなんかピリピリしてるんだ。立原先生にも強気だったし……」 のぞみは訳知り顔で、くすくすと笑いをこらえていた。のぞみに笑われて、達矢は顔をしかめた。 「ちっ、おれは道化かよ?」 「う〜うん。達矢は元気の元よ」 のぞみは小走りして、理奈の隣に並んだ。 「なんだそりゃ?」 先を行くふたりに追いつこうと、達矢と光輝は歩くペースを上げる。 「で、見つかったのか? カプセルは?」 「まだだよ。場所を特定できないんだ。みんなで探そう」 彼らはカプセルの発信源へと急いだ。 理奈とのぞみのふたりは一緒に行動し、達矢と光輝は別々にと、それぞれに受信用携帯電話を持って学園内を歩く。学生寮から郷田邸の前に広がる天原庭園を抜けるポプラ並木を通って、東門までの間を重点的になん度も往復していた。 しかし、信号はときに強くなり、ここぞと狙いを定めて接近すると弱々しくなることを繰りかえした。 四人は苛立ちをつのらせて、ポプラ並木と郷田邸に通じる細い道の交差点で集まった。 「なんか、おかしいぞ。信号自体がふらふらしてる。まるで移動しているみたいだ」達矢は肩を落としていった。 光輝は額に手を当てて考えながらいう。 「量子干渉かもしれないな……。つまり、エネルギーの異なる二つの振動子がある場合、この二つは干渉してビート(うなり)を起こす。このビートはある周波数領域だけではなくて、時間領域でも起こるんだ。 未来から来たカプセルが、なんらかの原因で別のなにかと量子干渉を起こして、存在が揺らいでいるのかもしれない」 「なにかって、なによ? そんなことが、ここで起こりえるの?」理奈はため息まじりにいった。 「明確な実例があるじゃないか。御子芝さんたちの不確定な時空移動は、その典型なんだ。あのふたりが時間の中を振り子のように飛ばされているのは、対となるもう一方があるからだと思うんだ。それが互いに引きよせあい、反発しあってるんだよ」 達矢はポンッと手を叩いた。 「じゃ、なにか? 御子芝さんは別の時空だか次元に、もうひとりいるってことか?」 「可能性の話だよ。確かめようはないけど」光輝は肩をすくめた。 話をきいていたのぞみが、理奈の背中をつついた。 「なに? のぞみ」 「見て。信号がさっきよりも一段と強くなってるわ」 「おお! 近いぞ。散開しろ!」達矢は号令をかけた。 彼らはそれぞれから十メートルほど離れた。そして、右に左に、前に後にと移動して方向を探る。 「こっちだ!」達矢は腕を差しだして方向を示す。 「あっちね」理奈も腕を伸ばした。 「ぼくの方からはあっちだ」光輝は指さした。 三人の指した方向の交点にあるのは――。 郷田邸だった。 再び集まった彼らは、郷田邸を見つめた。 「郷田さんのところなのか?」達矢は半信半疑にいった。 理奈が彼の疑問に答える。 「ありえる話ね。あの人のことは、わたしたちが送ったメッセージにも書いていたことだし。そもそも郷田さんが、なぜ未来のことを知っていたのか、まだ真相の全貌はきいていないわ。どういう方法だか、來視だかで情報を得たのはたしかだけど」 「よーし、あのタヌキ親父を問いつめる頃合いだな」達矢は意気込んだ。 「もう、だいぶとっちめてるけどね」理奈は口の端を持ちあげた。 「探しものは見つかったのかな?」 突然、背後からかけられた声に、彼らは一斉に振り返った。 金髪のアンドルー・ラザフォードを先頭に、転校生のアメリカ人四人が歩いてくるところだった。 理奈は警戒心を露わにして身構えた。 「なんの用? 邪魔しないでもらいたいわね」 「そう、喧嘩腰になるなよ。自己紹介もまだだぜ」アンドルーはキザな笑みを浮かべた。 (しゃくにさわる奴だけど、美形だわ)理奈は苦笑しながら思った。 アンドルーの数歩うしろにいるジャネットが、軽く手を挙げて指先を小さく振る。それに応えて、光輝が下ろしたままの手を小さく振った。 のぞみはキャサリンに驚きの目を向けながらも、首を傾けて微笑む。キャサリンも笑みを返した。 達矢は拳を握って、腰の位置まで持ちあげていた。いつでも相手になってやるという覚悟なのだ。 ゲーリーも達矢と同様に、臨戦態勢で拳を握っては開いていた。 「すでに自己紹介の済んでる相手もいるようだな。オレはアンドルー・ラザフォードだ」 「アメリカ・セクターね」 理奈は単刀直入にいった。 アンドルーは両腕を軽く広げた。 「ずばりときたな。オレも回りくどいのは嫌いだ。ああ、そのとおりだよ、綾瀬理奈」 「あたしたちのことは、なにもかも知ってるようね。それで? アメリカ・セクターがここでなにしてるの?」 「目的は同じだろ? 望む結果が違うだけだ」 「その結果が問題なんじゃない! あんたたちの思惑通りにはいかないわよ!」 アンドルーは笑みをたたえて首を振った。 「理奈。ひとつ、忘れてないか? オレたちはアメリカ・セクターの人間だが、いつの時代から来たのかってことだ。ん?」 理奈は彼に親しみのこもったいい方で名前を呼ばれて、ズキンと胸が震えた。彼の視線には長いつきあいの相手に向けるような、深みのある波長が感じられたからだ。 「気安く、理奈って呼ばないでよ!」 彼女は眉間をよせて叫んだ。そして、ハッとした。 「いま、なんて? いつの時代ですって?」 アンドルーはもったいぶって即答しなかった。 「二六〇九年、君たちよりも十年先だ」 驚いたのは理奈だけではなかった。光輝もハッと息をのんで、ジャネットを見つめていた。のぞみは両手で口を覆った。達矢は肩の力が抜けて、拳がだらりと垂れた。 「十年……」理奈はつぶやいた。 「そうだ。君たちがジャンプした頃よりも、オレたちの方が情報の蓄積も多い。スタートでは出遅れているが、その分準備時間も長かったということだ。それに、十年後のアメリカとアジアの関係は、少々立場が変わっている。時空確率転送機(DPT)技術は、もはやアジア・セクターの独壇場ではないんだよ」 のぞみが半歩前へでて口を開いた。 「そうかしら?」 彼女はアンドルーに懐疑的な視線を送り、隣にいるキャサリンにも目を向けた。キャサリンはうつむいた。 「たしかに十年分の情報と技術革新があったかもしれないけど、いまだにジャンパーを送りだしているということは、決定的な成果は上がっていないということでしょ? あなたたちも手探り状態だと思うわ。違う?」 「そうだそうだ! おむつが取れたばかりのガキが、偉そうにいうな!」達矢は意気を取り戻した。 「達矢、アホなこといわないでよ。話がややこしくなるじゃない」理奈はたしなめる。 達矢にあおられる形で、ゲーリーも口をはさむ。 「領有権シム戦争では、オレたちが連戦連勝してる。アジア・セクターは苦しい立場なんだぜ。主導権はアメリカ側が握りつつある」 理奈は目をつり上げて、ゲーリーを睨む。 「セクター間の争いをしに、わざわざこんなところまでやってきたの? あたしたちがやるべきことは、セクターの利益ではなくて世界の未来を救うことなのよ」 アンドルーは鼻で笑った。 「それはお互い様だろう? 君たちだってアジアのために志願したはずだ。君のいう未来はアジアにとって、いい未来ではないのか?」 「それは……」 理奈は口ごもった。彼の言い分を完全に否定できる自信がなかったのだ。 光輝は苦悩の表情を浮かべていた。 「やめようよ、こんな言い争いは。こんなことで、未来を救えるはずがない。どちらにとっての未来であっても」 「光輝の意見に賛成よ。あたしは喧嘩を売りに来たんじゃない」ジャネットは口を尖らせていった。 「おいおい、おまえはどっちの味方なんだ?」ゲーリーは呆れた。 「別にどっちでもないわよ! それとも、なに? ここで乱闘して勝った方が主導権を握るとでもいうの? それこそばかばかしい! やりたいならあんただけでやってよ」 「彼女の意見にあたしも賛成よ。お互いの属するセクターは、ここでは無意味。これまでだって多くのジャンパーが挑戦して、有効な成果をだしてはいないわ。四人でも難しいことが、互いにつぶしあったら、もっと難しくなる」理奈はいった。 対峙する彼らの間に、秋風が吹き抜ける。ポプラの葉がさらさらと音を立ててそよいだ。学園名物のポプラ並木も黄色く色づき、落ち始めた葉が石畳の上に点在していた。ポプラは明るい場所を好む樹だ。生長が早く、挿し木でも根づきやすい性質がある反面、高木の樹木としては寿命が短く、風で倒れやすく虫もつきやすいことから、適切でこまめな管理が必要である。 並木道を下校する生徒の一団が通りかかった。沈黙して向かいあっている理奈たちの雰囲気に、ただならぬものを感じたのか、生徒の流れは避けて通っていく。 キャサリンは顔を上げてポプラを見る。 (まるで、ポプラはわたしたちを象徴しているみたいだわ……) 同じことをのぞみも感じていた。 「ねぇ、わたしたち、協力するべきじゃないの? 不信感はあるにしても、いがみあっていてもなんにもならないわ。全面的な協調でなくても、休戦した方がいいと思うんだけど……」 「わたしも……、そう思う」キャサリンが同意した。 アンドルーは顎をついとだして、理奈を見た。彼は理奈に、自分と共通する資質を感じていた。それはリーダーシップであり、強気で負けず嫌いの性格であり、揺るぎない使命感だった。 「どうやら、うちの女の子は君の仲間と仲良くしたいらしい。どうする? オレだって協力することに異論があるわけじゃないんだ」 「ちぇっ、アンドルーまでそんなことを」ゲーリーは愚痴をこぼした。 理奈は不敵に微笑む。 「ふうん、その美形の裏にどんな魂胆があるのかしら?」 「君こそ、見かけほど穏やかではなさそうだな」 達矢は目を丸くして、理奈とアンドルーの顔を交互に見た。 「なんだなんだ? なんか変な空気になってないか?」 「達矢、あなたあっちの熱血漢と勝負したいの?」理奈はゲーリーを指さした。 達矢とゲーリーは視線をぶつけた。達矢は相手を豪速球で三振に倒す場面を想像していた。ゲーリーはというと、ホームランをかっ飛ばす場面を描いていた。 「むむむ」達矢はうなったものの、肩をすくめた。 「いまはやめとく」 「ということだから、とりあえず休戦を提案するわ。まずは、お互いの持ってる情報交換から始めましょ。協力するからには信頼関係がなくてはね。でも、これだけははっきりさせとくわ。どっちが主導権を握るのでもない。立場は対等よ。十歳年下でも赤ん坊扱いはしないから」 「いいだろう。オレも君たちを老人扱いにはしないさ」 アンドルーは前に進みでると、手を差しだした。理奈は一瞬躊躇したものの、彼の手を握った。 「で、さっそくだが、探しものは見つかったのか?」 アンドルーは理奈と握手したままきいた。 「ずるいわね。そっちの情報提供が先よ。こっちは十年分のハンデがあるんだから」 理奈は対決姿勢の緊張感がほぐれて、安堵のため息をついた。しかし別の緊張感が頭をもたげていた。アンドルーの手を握り顔を間近に見て、彼女の顔はほのかに紅潮していた。 ドアの呼び鈴が来客を告げた。郷田は玄関に据えつけられている監視カメラの映像で、誰が来たのかを確認する。そして、驚きとともにドアを開けた。 ぞろぞろと入ってきた八人を迎える郷田は、理奈とアンドルーに説明を求める視線を送った。 「郷田さん、詳しい説明は後回しにするわ。調べたいことがあるのよ。しばらくなにもいわないで、あたしたちの好きにさせてくださる?」理奈は有無をいわせない口調でいった。 「うむ、よかろう」 「光輝、お許しがでたわ。探して」 光輝はうなずくと、受信機を片手に邸宅の中を歩きまわる。彼のそばにはジャネットがつきそっていた。ふたりはときおり小声で会話をしながら、一緒に行動する。 「なにを探しているのかね?」郷田はきいた。 理奈は人差し指を唇に当てた。郷田はやれやれとため息をつく。 光輝とジャネットは一階の部屋を出たり入ったりしながら、やがて階段を登って二階へと向かった。ふたりのあとを他の者たちもついていく。 「近くなった」 光輝は期待に微笑んだ。そして郷田の書斎へと入った。 「このへんね。半径五メートル以内かな」ジャネットも目を輝かせている。 光輝は書斎の中をうろうろして、最終的に壁の前で立ち止まった。壁には額縁に入った十二号サイズの絵が掛けられている。 「ここがピークだ」 光輝は壁を叩いた。中身の詰まった鈍い音がした。壁はコンクリートにレンガを埋めこんだものだ。 「壁の中なの?」理奈はきいた。 「かもしれない」 「じゃ、壁をぶっ壊すのか?」達矢はいった。 業を煮やした郷田はいう。 「うちの壁になにがあるというのかね?」 「タイムカプセルよ。未来からの通信メッセージが入ったものなの」理奈は答えた。 「カプセルだと?……」郷田は息を呑んだ。 達矢は問題の壁に軽く拳をぶつけた。 「郷田さん、壁を壊してもいいっすか?」 「冗談だろ?」郷田は笑った。 「いいえ、冗談じゃないの。それはとても重要なものなのよ。あたしたちにとって」 「待て待て、あわてるな。カプセルなら、金庫の中にある。わしが持っているものだ」 「金庫? あなたが?」 理奈は疑問を呈しながらも、その意味することを察した。しかし腑に落ちないことでもあった。 「そういうことだったのね。あれをあなたが開けた。それであたしたちが来ることを知ったのね。でも、あなたに開けられるはずがないのよ。それに信号を受信したのは今日よ。あたしたちが来る前に、届いていたの? なにか変だわね。発信器が壊れてしまったのかしら? なぜ最初にそのことを教えてくれなかったの?」 「壊れているのかどうかまではわからないが、メッセージを見ることはできた。カプセルはずっと前からわしが持っていたんだ。黙っていたのは、メッセージの開封指定日があったからだ。それが、じつは今日なんだ。君たちを呼ぼうと思っていたところに、君たちの方からやってきた。驚いたよ。いま、出してあげよう」 郷田は壁の前に立つと、扉となっている額縁を開けた。そこに金庫の扉が現れた。彼は金庫を開けようと、電子キーを取りだす。 「ちょっと待って!」光輝は大声でいった。 「なによ? ものはここにあることがわかったのよ」理奈は顎をしゃくった。 「おかしいよ。そのカプセルを郷田さんがすでに見つけて開いてしまったのなら、信号を出すはずがないんだ。しかも、過去にそれが到着していたのならなおさら。なぜいまごろ信号をだすんだい? そもそも開封指定日は信号を発信する指定日じゃない。受取人に時間的な準備をさせる、たんなる忠告なんだから」 「そうだわ。つじつまがあわないわね。いつ頃見つけたの?」ジャネットがきいた。 「かれこれ四〇年だな。わしが中学生の頃だから」 「そんなに昔なの? 驚きだわね。だとすれば、光輝のいうことももっともだわ」理奈は腕組みをする。 「別のカプセルの可能性は?」アンドルーがいった。 理奈は小さく首を振った。 「その方が筋が通るけど、なぜ、出現場所が金庫の中なのかということよ。未来からこの場所が特定できるわけがないわ。たとえ特定できたとしても、ピンポイントでジャンプさせられるはずがない。誤差はつきものよ」 「それじゃあ、オレたちよりも、もっと未来からかも……」 ゲーリーは頭の横で人差し指を振りながら続ける。 「いやいや、それは怪しいな。たえず揺らいでいる時間線を厳密に特定したり、ピンポイントでジャンプさせることは、もともと不可能なんだぞ。量子問題の基本じゃないか」 「難しいことはわからんが、開けてみればいいのではないか?」郷田は遠慮がちにいった。 光輝は首を振って否定する。 「カプセルは量子干渉を起こしている可能性があるんだ。つまり、まだ存在が確定していないかもしれない。開けてしまうと、いずれかの選択肢を確定することになるんだ」 「シュレディンガーの猫ね」とジャネット。 「なるほど、その猫の話ならわしも知っている。箱の中に猫と青酸ガスを入れて、生きている状態と死んでいる状態が同時に存在するというやつだな。だが、それは思考実験としての仮定の話だろう?」 シュレディンガーの思考実験とは、まず、中身の見えない箱の中に、生きた猫と青酸ガスの入ったビンを入れておく。そして放射性原子核を用意し、それが放射性崩壊を起こしたかどうかをガイガー計数管で測定できるようにする。ガイガー計数管が放射性崩壊を感知した場合には、一連の装置が作動して、ハンマーで青酸ガス入りのビンを割るようになっている。それが一定時間ののちに猫はどのような状態になるか、というものだ。放射性原子核が崩壊している状態と崩壊していない状態の確率は不確定でどちらでもありえる。そのとき、猫は死んでいる状態と生きている状態が重なりあうことになる。箱を開けない限り、状態を確認し確定することができないのだ。 光輝はジャネットに熱い視線を送る。得意分野が同じことで、より親近感を抱いたのだ。 「つまり、原因がなんであれ、金庫の中身はまだ量子状態にあるんだ。開ける前に中身がなんで、どうなっているかを十分に推測して、ぼくたちが望む結果を選択する必要があるよ」 「あの……、みなさん? 議論するなら腰かけませんか? カプセルは逃げたりしないのだし」 キャサリンが天使の微笑みをうかべていった。 「それもそうね」 理奈はまっ先にソファへと腰を下ろした。 「同感だな。じっくり考えよう」 アンドルーは理奈の隣に座った。アンドルーの隣にキャサリン、その隣にのぞみが座る。向かい側のソファには、右から光輝、ジャネット、ゲーリー、達矢が陣取った。郷田は一人掛けのソファに座った。 郷田は入り乱れて座った彼らを見て、いつのまに仲良くなったのかと思いながらも、ホッと安心していた。 「お茶でも入れさせよう」 郷田はテーブルの上の電話を取ると、家政婦に指示をだした。 テーブルにはコーヒーと紅茶がだされ、それぞれが好きなものをカップに注いだ。彼らはくつろいだ雰囲気で議論を続けていた。 理奈は紅茶をすすった。 「そもそも、なぜ郷田さんがカプセルを開けることができたのかわからないわ。DNAコードの鍵はそうそう簡単には開かないんだから」 「きいたところでは、カプセルが損傷してる様子はないしね。とんでもない確率で、コードが合致したんだと思う」光輝はコーヒーを飲む。 郷田は両手の指を絡ませて、腹の上に載せている。 「いずれにしても、あのカプセルのおかげで、わしは事業を成功させることができた。情報の中には二〇世紀から二一世紀の些細な歴史が詰まったいたからな。世界情勢に経済情勢、宝くじの当たり番号まで」 達矢はにんまりと笑った。 「それはおれたちがこっちの時代で、必要な資金を調達するための情報だったんだよ。私立の中学校なのに、大学並に施設が充実している理由がわかったな」 「そうね。郷田さんに拾われてよかったわ。じゃないと、悪用されたらそれこそ大変なことになっていた。方法としてはズルだけどね」理奈は顔を傾けて郷田を見た。 郷田は肩をすくめる。 「わしだって、ときどき罪悪感を感じていたさ」 「もしかして、郷田さんはあなたたちの先祖なのかも。そう考えれば、DNAコードが極めて類似する可能性が高くなるわ」 キャサリンは身を乗りだして、アンドルーの隣にいる理奈にいった。 「まさか? 郷田さんは結婚してないんでしょ?」 「ああ……独り身だ」 「じゃ、子供はいないわけだ。血のつながりはないな」と達矢。 郷田は額に手を当てて考えこんでいた。 「いや、じつは子供はいるんだ」 「ええ――!」理奈は驚いた。 郷田は刻まれた皺を、さらに深くした。 「昔……、わしがまだ大学生の頃だ。一時期アメリカに留学していたことがある。そこで知りあった女性とつきあっていたんだ」 子供たちの視線が郷田に集まっていた。 「それで?」理奈は先をうながす。 「彼女とは……しばらく同棲していた。愛しあっていたよ。そして彼女は妊娠した。わしは彼女と結婚するつもりだった。プロポーズもした。わしは彼女と日本に帰るつもりだったんだ。 だが、彼女の両親は猛反対したよ。結局、彼女はわしと一緒になることよりも、両親の気持ちとアメリカに残ることを選んだ。その後、わしが日本に帰ってから、彼女が出産したことを知らされた。女の子だったそうだ。わしは……子供と母親になった彼女には会っていないんだ」 「ふうん……。愛しあっていても、一緒になれないなんて……。恋愛って難しいのね」 ジャネットはしみじみといった。 「ジャネット、誰かに恋してるのか?」ゲーリーはからかうようにいった。 「ったく! 大きなお世話よ。鈍感なあんたに女心がわかるわけないわね!」 「その話はおいといて、先祖説は一理あるわけだわ」理奈は本題に戻す。 「すべてに……」のぞみは言葉を切った。 「すべてがひとつにつながっているように思うわ。郷田さんが拾ったことも、御子芝さんたちが来たこと、キャサリンたちが来たことも。あるべき方向に向かっているんじゃないかしら?」 ジャネットが組んでいた足を解いて、身を乗りだした。 「いえてる。だとすれば、新しいカプセルの出現にも意味があるのよ。偶然のようだけど必然なんだわ」 黙っていたアンドルーが咳払いした。 「そろそろ、金庫を開けてみないか? 議論と推測は出尽くしたように思う」 「開けよう」理奈は立ち上がった。 全員が立ち上がり、再び金庫の前を囲んだ。 郷田は電子キーを取りだし、暗証番号を打ちこんだ。 カチャ――。ロックがはずれる音。 「わしが開けるかね? それとも誰か?」 「あたしが」理奈が進みでた。 理奈は金庫のノブに手を触れる。ゾクッとなにかが体の中を走り抜けた。彼女は恐る恐る扉を開ける――。 中には銀色のカプセルがあった。 それも……二つ。 理奈は目を丸くした。 「二つ?」 「二つだと? そんなバカな!」郷田は驚愕した。 理奈はカプセルを取りだして、両手にひとつずつ持った。 「どっちがどっちなの?」 「それならわかるよ。信号をだしている方が新しい方だ」 光輝は携帯電話を近づけた。理奈が右手に持った方から信号が発信されていた。 「こんなことは初めてだわ! 量子状態の双方が実体化するなんて!」ジャネットは好奇心をむき出しにしていた。 光輝がジャネットの言葉を継ぐ。 「うん。これが同じものだとすると、どちらかがオリジナルで片方がコピーだ。でも、どちらもオリジナルであるともいえる」 「開封してみるわ」 理奈は左手に持った古い方を光輝に渡した。そして新しい方のカプセルの両端をつかんでねじる。鍵が開く。彼女は手のひらにカプセルを載せた。 ホロ映像が浮かびあがった。 《このメッセージは、君たち、綾瀬、神崎、桜井、津川の元に届くことを期待して送っている。 私は徳川だ――》 メッセージが再生される。 「わしが見たものと同じだ」と郷田。 「同じものを二つ送った可能性は?」アンドルーは問いかけた。 「待って。データリソースを見れば、識別できるわ。光輝、古い方もだして」 理奈と光輝はカプセルを操作して、カプセルの基本情報を引き出す。そして二つを見比べる。 「データはまったく同一だわ。複製されたデータなら、ここに複製情報も記録されるんだから」 光輝は深々とため息をついた。 「ということは、この二つはもともとひとつだった。それが転送過程で二つの状態に分離したんだ。ひとつは四〇年前に、ひとつが本来予定された今日に出現したことになる」 ジャネットはうなずいた。 「分離した二つが引き合ったのね。古い方はすでに時間線の上に定着してしまったから、揺らいでいたもうひとつが、元の状態に戻ろうとして金庫の中に出現したんだわ。でも、ひとつの状態には戻れなかった。あたしたちが関与したからよ、きっと」 「うむ……」ゲーリーがうなった。 「これはまったく新しい可能性を示していないか? 異なる状態が、それぞれ顕在化したんだ。オレたちがやろうとしている未来の可能性の選択は、ひとつではなくて、複数の状態を創ることができるのかもしれないぞ」 「ミッシング・トリガーに新しい解釈が必要になるわ!」ジャネットの声は高ぶっていた。 郷田は彼らの話に理解が追いつかなかった。しかし、ひとつだけ確かなことがあった。 (彼らは、なんという子供たちだろう。これが十四歳なのか? まるでわしの方が子供のような気分だ。 彼らは自分たちの人生を賭けて、運命に挑戦しているだけではない。捕らえどころのない、茫漠たる“時”を賭けているんだ。わしにはそんな大それた賭けはできないな) 郷田は驚きと称賛の眼差しで、少年少女たちを見つめていた。 |