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.第十六節「文化祭への道2」 | 返信 |
【Writer:森村ゆうり】 「もっと時間が欲しい……」 呟いたのは、技術家庭科担当教諭、菅原拓郎その人だ。 今日は、天原祭前日。終日、その準備にあてられている。 正確に言えば、昨日の午後からずっと天原祭のために生徒も教師も走り回っていた。 昨日の午後の授業時間は、校内の一斉清掃に始まり、ステージ発表のための舞台設営準備。正規の授業時間が終わってからも課外活動として、クラス単位、部単位で準備は進められた。今日は、舞台発表のリハーサルを兼ねた最終の練習がタイムテーブルに乗っ取って行われている。 舞台発表のリハーサルは基本的に関係者のみ会場に入って行い、自分たちのリハーサルが終わったら、すぐに撤収することになっていて、他のクラスや部の出し物を見学することは出来ない。舞台発表のないクラスは、その時間を利用して、展示の準備をしたり、各自が所属する部の発表の準備をすることになっていた。 舞台進行の係は実行委員の生徒と担任を持たない教師、部活動の顧問になっていない教職員で行われる。 菅原は担任は持っていないが、顧問をしている部が二つもあるため舞台の方には全く関与していなかったが、それでもかなり忙しい……いや、たぶん聖天原学園中学で一番忙しい教師であろう。 凝り性で探求心旺盛な性格が災いして、お祭りごとになると一人で沢山の役どころをしょい込んでしまう菅原は、今回も自分が顧問をしている料理研究会、手芸部だけでは飽き足らず、文芸部の会誌作りに天文部の展示発表にまで担ぎ出されていた。 呟いたのは、手芸部が展示と販売を被服教室の片隅。展示品の目玉である部員全員で作った草木染の大きなタペストリーの前だ。 このチェックが終われば、手芸部の準備は完了する。 「たくろーちゃん、疲れてるね。もう、ここはイイからさ、料理研究会の方に行っておいでよぉ」 部員の一人が菅原にそう言ってくれる。言葉遣いは大いに問題があるが、優しい言葉に救われる思いがした。 「おー。じゃあ、後は頼んだぞ」 「うん。そのかわり喫茶店のケーキ券よろしくね」 ちゃっかり見返りを要求してくるのが、現代っ子らしい。 菅原が笑いながら被服室を出ると、タイミングよく立原が通りかかった。 「あっ、立原先生」 「菅原先生……」 嬉しげに声をかけた菅原とは対照的に、立原美咲は不機嫌そうな様子で菅原を見ている。 「どうかしましたか? 立原先生」 「私、忙しいと不機嫌になるのよ」 「そうですか。僕は、忙しいと燃える方ですけどね。今から料理研究会の方に行って、その後天文部に顔出しますから、待ってて下さいね」 時間が欲しいとボヤキながらも、菅原は忙しさを充分楽しんでいるのだ。 「私は、やっと一組のステージリハーサルが終わって、これから天文部よ」 「一組は合唱でしたね」 「そうなの。聖歌隊に入っている生徒が多いから、かなり聴きごたえありましたよ」 「それは、明日が楽しみだ。あっ、セブン・オブ・ナインのコスチュームはもう生徒に渡してありますから、試着してみて下さいね」 「やっぱり、本気なのね…。呆れてものも言えないわ」 立原自身は理事長の呼び出しでうやむやになったと思い喜んでいたコスプレの件を菅原がしっかり覚えていて、しかもどういう伝手をたどったのかコスチュームまで用意してきたというのだ。 立原は不機嫌を通り越して、まさに開き直りの極地まで飛ばされた感じで、もうどんな格好でもドンとこいな気分になる。忙しさを楽しめる菅原のバイタリティーに感心しきりだ。 「あとで絶対顔を出しますから、その時はセブンでお願いしますよ」 「あんたに見せるためにコスプレするんじゃないのよ。お願いされたくないわ」 軽口を叩く菅原にいつも通りの悪態を残して、立原は天文部の展示場所である理科室の方へと消えていった。 「さてと、僕も料理研究会へ急がないとな」 立原の後ろ姿をしばし見送った菅原も急ぎ足で料理研究会が喫茶店を開く学生食堂へ向かう。 食堂は委託業者が入っての運営スタイルになっているのだが、天原祭の間は料理研究会が毎年喫茶店として利用する。天原祭で、きちんと座って食事ができるコーナーは料理研究会が開く喫茶店だけで、後は校庭に数軒の模擬店がでるだけだ。料理研究会にとっては、これからの活動資金調達も兼ねた年に一度の晴れ舞台なのである。 もともとカフェ風の洒落た作りになっている食堂だが、昨日の会場設営でさらに磨きがかかり、普段は大人数が一度に食事が出来るように長方形の大きなテーブルがメインで使われるいるのだが、今は小振の丸テーブルが窓際に配置され、いつものテーブルは数が減らされていた。各テーブルにはメニューや一輪挿しがセットされ、すぐにでも開店できそうな状態だ。 「やってるかぁ」 調理場をのぞき込んで菅原が声をかけると、部員達が一斉に彼を振り返る。 明日の本番を前に、彼女達の戦いはすでに始まっているのだ。 「先生も手伝って下さいよ」 栗林里見が大きな鍋の前で大きな木ベラをぐいぐい動かしながら、情けない声で助けを求めた。 「頑張れよー、栗林」 「はいぃ。頑張ってます」 菅原は天原祭の料理を手伝ったことは過去一度もない。手伝えないことはないのだが、天原祭は生徒が中心になって運営されるべき行事であるし、日頃の活動で部員達の実力はよく分かっているのだ。立派にやり遂げられる力をみんな持っている。 「のぞみさん、おかえりなさい」 菅原の後ろからひょっこり現れたのぞみに栗林が声をかけた。 「桜井。リハーサル終わったのかい?」 「はい。どうにか終わりました。今日はもうクラスの用事はないので、後はずっとこっちにいますよ」 「桜井さん、ウエイトレスの衣装合わせの方はもう終わったの?」 部長の渡が手際よくタマネギを刻みながら聞いてくる。 「はい、昨日終わってます。達矢も御子柴さんもよく似合ってましたよ」 「そう。明日が楽しみね。それじゃ、調理服に着替えて、こっちで一年生と一緒に野菜の下ごしらえしてくれる」 「分かりました」 のぞみは渡の指示にしたがって、調理場の中へと入っていった。 菅原は活気に溢れた調理場の様子をにこやかに見守っている。 喫茶店を開くに当たっての菅原の仕事はもうほとんど終わっているのだ。お役所関係への手続きや衛生管理面でのあれこれ、忙しかった日々も生徒達のこの様子を見ていると報われた気分になる。 「それじゃ、また後で顔出すな。最後に衛生面にだけは細心の注意を頼むよ」 「はーい」 元気な返事に納得して菅原は食堂を後にした。 次は天文部だ。 菅原の足は自然と早くなる。そこには立原がいるはずだった。菅原が立原と同僚として働き初めて五年ほど経つが、気が強くしっかり者の立原のことは赴任当初から気に入っていた。去年からは同じ学年の担当として席も近くなり、話す機会も増えたせいで菅原は立原に更なる好意を持つようになった。 生徒に対するときの正直な姿勢や、愚痴をこぼしながらも結局は面倒なことも進んで引き受けてしまうような人のいいところが立原にはある。立原本人に人がよいという言葉を投げ掛ければ、すぐさま否定するだろうが端から見ていると口は悪いが人がいいのは明らかだった。 大体、本来なら畑違いな天文部の顧問をしている所からして、その経緯が窺える。第一分野担当の立原が、第二分野の内容である天文部の顧問をすることになったのは、もともと天文部を指導していた教師が定年退職で学校を去り、後を引き継ぐ人がいなくなったためだ。顧問がいなければ部活動をすることは出来ない。もともと地味な活動しかしていなかった天文部だから、その時点で無くなってしまってもおかしくなかったのだが、数名の部員達が直接立原に顧問を頼みに来たことで、彼女も引き受ける気になったらしい。 彼女曰く。 「中学生レベルの天文部の活動なら、私にでも指導できるだろうし、どうせ今の部員達が卒業するまでのことだから」 天文部の部員はもともと数は数が少なかったのだ。それが今では、それなりの人数を抱える文化部では人気の部活になっていた。もちろん、立原に泣きついていった生徒達はすでに卒業してしまっている。 そんな立原が菅原はとても気に入っているのだ。 菅原の足取りは軽い。 もちろんセブン・オブ・ナインな立原がそこにいれば、喜びはひとしおというものだろう。 しかし、菅原が理科室で見たものは、無残に折れて壊れた菅原コレクションをどうにかしようと、瞬間接着剤と格闘しているジャージ姿の立原と「すみません。踏んじゃって……」という彼女の短い言葉なのだった。 天原祭当日、学園はいつにない賑わいを見せていた。 料理研究会の喫茶店は盛況だったし、ステージ発表に集まるお客の数も例年に増して多いようだ。 そんな喧騒から離れた学園の東の外れ、ポプラ並木の道が終わるところにあるベンチに一人の生徒が座っていた。津川光輝だ。 二つに分離したカプセルが郷田のもとに出現してからも、光輝は毎日この場所を訪れていた。一人静かにカプセルを埋めたあたりを見つめて、いろいろなことを考える。特に今日のようなお祭り騒ぎの中では、貴重な時間と言えるだろう。 二十六世紀では体験できない稚拙だが、躍動感に溢れる学校生活は、ともすれば使命を忘れてしまいそうになるほど楽しいものだった。この時代に生まれていたならば、もっと自由に好きなことをしていたのかもしれない。お祭りを楽しんだり、人を好きになったり……。 そんな考えを持つこと自体、この二十一世紀にどっぷり浸っている証拠なのかもしれない。光輝は自嘲するような笑みをその顔を浮かべた。 「光輝…」 耳慣れない不思議な発音で呼ばれて、彼は視線を声がしたほうへ向ける。 「ジャネット……」 アメリカ・セクターが送り込んできたチームの一員の彼女は、時々、この場所に姿を現す。光輝が毎日ここを訪れているのは、日本チームのメンバーもアメリカチームのメンバーも知っているのだから、別段、不思議なことではない。 日本チームが抜け駆けしないように見張っているのかもしれなかったが、ジャネットとするたわいのない会話はとても楽しかった。 「こんな日も日課はかかさないのね」 光輝の横に腰かけながらジャネットが言った。 「まあね。と言っても今日は少し息抜きに来たようなものかな。うるさいのは得意じゃないんだ」 「そうなの。あたしはにぎやかなのは歓迎よ。楽しいじゃない」 屈託なく笑うジャネットの横顔を見ていると、光輝も楽しい気分になってくる。 「うーん、確かににぎやかなのはいいとして、幼なじみの女装姿とか見せられるのはね」 「あははは、神崎くんね。あたしも見たわ。ウエイトレス姿。桜井さんのウエイトレス姿はとってもキュートだったけど、神崎くんのは迫力の美女って感じだったわね」 「うん。人って分からないもんだね」 一時休戦という形で協力関係を結んだといっても、お互い、相手方を全面的に信用しているわけではない。 それでも光輝はジャネットと一対一で向き合っているとき、自分が意外と素のままの状態でいる自覚があった。 「ここは楽しいわ」 「そうだね」 二人はしみじみと呟いた。 光輝たちがこの学園を初めて訪れた時には青々と茂っていたポプラ並木も、少しだけ秋の色に変わり、団扇の形をした小さな葉が時折舞い落ちる様子がある。時間は確実に過ぎているのだ。 葉が全部落ちてしまったら寂しい景色になるな。 光輝はふと思った。 「秋って寂しいものなのね……」 二人とも秋を体感するのは初めてなのだ。 「黒井さんにメール書いたよ。天原祭に来ませんかって」 黒井の話をジャネットにしたのはいつごろだったか。感傷に浸るよりは、ましな話をしよう。光輝は自らを現実に引き戻す意味も含めてそんな言葉を発した。 「来るかしら……」 「来ないと思うけど…。出来る手は全て打つ。それだけだよ」 「そうね」 ジャネットが光輝に向き直って笑顔を見せる。 「光輝、今できることが他にもあるわ」 「なんだい?」 「天原祭を楽しむことよ」 ジャネットは光輝の手を取って、ベンチから立ち上がった。 こんな寂しげな光輝をジャネットは見ていたくなかった。いつものように自信満々な態度の光輝がいい。 「ほら、行きましょう。ねっ」 「ジャネット……」 光輝はジャネットの突然の行動に呆気にとられて、彼女の成すがまま、強引に手を引かれ歩き出した。 天原祭を楽しむ。 確かに今するべきことかもしれない。ジャネットと一緒ならさらに楽しめるような気がして、光輝の足取りも少しずつ軽くなっていく。 達矢と勝負してまでかいま見てみたかった恋とかいうものが、自分の手の中に落ちてきたのかもしれない。まさか相手がアメリカ・セクターの人間になるとは、予想だにしなかった事態だが、そろそろ認めたほうがいい気がするのだ。自分がジャネットを特別に思っていることを。 黒井から届いたあの絵が光輝の脳裏をかすめた。あの絵の意味…… 考えても出ない答えは、保留しておこう。 光輝は自分の手を引いていたジャネットを追い越し、今度は彼女を引いて走り出した。 「光輝っ!?」 驚いたジャネットの声を背に、光輝はさらに走る。 天原祭を楽しむために。 森村ゆうり
2002/02/18月05:21 [16] |