リレー小説『ラスト・フォーティーン』 第六節「オースティン3章16節に曰く」/水上 悠

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 キン!
 耳障りな金属音が二人の気まずい沈黙の中に不協和音となって飛び込んできた。
「あれがベースボールってヤツか?」
 アンドルー・ラザフォードが興味なさそうにいった。
「違うね。ベースボールじゃない。この地域のこの時代の言葉でいえばヤキュウってヤツだろ。でも、厳密にいえばそのヤキュウでもないんだけど」
 ゲーリー・ブッシュが手にしたデータスレートを見ながら答える。
「でも、あいつが振り回してるのはどうみたってバットってヤツだろ?」
「そうみたいだね。本当ならピッチャーってのがボールを所定の位置からキャッチャーってのに向かって投げるのを、バッターっていう対戦チームの代表がバットで打つってルールらしいけど」
 ゲーリーのデータスレートに詰まった情報に頼るまでもなく、アンドルーは、グランドのはるか遠くまで飛んだボールを追って慌てて走っているのがピッチャーであるはずはないと思った。バッターは、ボールを打ったら敵のファーストというポジションめがけて走るルールなのに、バットを振り回して、ボールを追っているピッチャーに向かってヤジを飛ばしている。
「はやく取ってこいよぉ!」
「データにないベースボールとヤキュウに似たゲームかもしれないね」
 ゲーリーが平然といった。
 アンドルーが「そんなわけねぇだろ」と肩をすくめる。
「まったく、ベースボールでもヤキュウでもなんでもいいから本物を見せろっていうんだよ。わざわざこんな所まできて、データにも残ってないゲームの調査ってわけじゃねぇんだからさ」
「おいアンディ、これってすごい発見かもしれないよ」
「オレたちから見れば、ここにある全部がすごい発見」
 綿密な過去のデータから構築された二一世紀初頭の世界のシミュレーションを通して、二人は完全に二一世紀を理解したつもりでいたが、いざ飛ばされてみると、シミュレーションと現実とではまったく違った物だということを否応なしに知らされた。
 与えられた使命をまっとうするためには、十分な順応期間をおくべきだったが、人為的なミスで当初の予定より四ヶ月も遅い時期に飛ばされてしまっていた。
 この遅れをどう取り戻すべきか。
 チームのリーダーであるアンドルーにとっては、リーダーとして課された初めての試練となっていたが、チームの他の三人ときたら遅れを取り戻すどころか、個人的興味を満たすために組まれた当初のプログラムを優先させることを主張し、ばらばらの行動を取っていた。
 今日も、他の二人は個人的興味のために別行動を取っており、アンドルーは嫌がるゲーリーを無理矢理このジュニアハイスクールへとひっぱってきていた。
「ジャネットとキャサリンは何処に行ったんだ?」
「キャサリンがノイマン型のコンピュータが見たいっていうんで、二人でアキハバラに行ってるよ。この時代じゃノイマン型のコンピュータなんて、アキハバラじゃなくてもそこらじゅうに転がってるっていうのに」
 そういうゲーリーが、実は二人のアキハバラ行きに同行しようとしていたのをアンドルーは知っていた。ゲーリーがこのチームに加わった本当の理由は、二〇世紀末、この日本という地域から世界に広がっていった「オタク」という文化に感心があったからだった。
 ようやくピッチャーが、ボールを拾い上げた。
「よ~し、そこから投げてみろ! イチロー!」
 打っても走らないバッターが訳のわからないことを叫んでいる。
「あと一年早ければ、イチローの大活躍が見れたんだよな」と、ゲーリーがいった。
「なんだよ、そのイチローって? カート・アングルより強いのか?」
「はあ?」
「いや、いい。それよりおまえ、よく知ってるな?」
 得意げにゲーリーはデータスレートをアンドルーに見せた。
「必要なことかと思ってさ。この時代の連中と話す時に、話題に困ったらイヤだろ」
「ゲーリー、お前目的ってもんを忘れたのか?」
「忘れちゃいないさ。その目的を果たすためにはやっぱりこの時代に馴染まないと。それに、アンディだってなんか他に理由があったんだろ、このチームに参加したのにはさ」
 ゲーリーの最後の言葉にアンドルーは口ごもった。
「そのアンディって呼び方やめてくれ」
「別にいいだろ」
「いや、その呼び方するのママだけなんだ……」
「あれ、もしかしてマザーコンプレックスってヤツ?」
「違う!」
 キン!
 白いボールが空の青に吸い込まれていく。
「わかった。あれ、地獄の千本ノックってヤツだ」
 ゲーリーが指を鳴らして大きくうなずく。
「なんだよ、そのジゴクノセンボンノックってのは?」
 またゲーリーはスレートを見せた。そこには稚拙な線で描かれたイラストが映し出されていた。
「なんていうのかな、この地域に根付いてる古い考え方なんだけど、スポーツでもなんでもコンジョーがあれば出来るってヤツの延長にあるトレーニング方法」
「でも、あのピッチャーが投げたボールを打ったんだろ?」
「え、そうなの?」
「スレートばっか見てねぇで、ちゃんと見てろよ」
 アンドルーはパンとゲーリーの後頭部を軽く叩いた。
 バッターがピッチャーにまた何か叫んでいる。
「それよりさ、アンディ……じゃなかったアンドルーの目的はなんなの?」
「目的? そりゃ目的は目的さ。他にあるか?」
「個人的な目的ってヤツだよ」
「そ、そんなもんあるかよ。オレは崇高たる目的のためにこの二一世紀に赴いたまでのこと」
「なんかあやしいなぁ……」
 したり顔でゲーリーはアンドルーを見た。
 もう一度叩いてやろうかとアンドルーは思ったが、どうにか思いとどまった。
「ちょっとタイム!」
 ピッチャーがボールを追うのをやめて、グランドに倒れ込んだ。
「何をいうか! そんな様じゃ巨人の星はつかめんぞ飛馬!」
 バッターが叫ぶ。
「だから何度もいってるだろ、野球は二人でやるものじゃないって!」
「しょうがねぇだろ二人しかいないんだから」
「じゃあ、プロレスだな。どうせ、バット使うんだから同じだし」
 バッターはおもむろにバットを両手で頭上に振り上げ、ピッチャーめがけて走り出した。
「だから、それも違うっていってるじゃないか!」
 よろよろとピッチャーが立ち上がるのを見てアンドルーはぽつりといった。
「オレならイスを使うな」
「はぁ?」
 ゲーリーは口をぽかんと開けアンドルーを見る。
「やっぱしプロレスにはイスだよ。イス! わかるかゲーリー? あの金属のパイプをねじ曲げてつくった折り畳みが出来る機能的なデザインのイスをこうパ~ンって畳んで振りかざす時のあの興奮……」
 アンドルーの手には見えないイスがつかまれているのか、まさにこれからゲーリーに向かって手にしたイス振り下ろそうとでもいうようなジェスチャーをする。
「もしかして、それがアンドルーの目的?」
 ゲーリーの言葉に、アンドルーは観念し、目には見えないイスをゲーリーの頭に叩きつけるようにしていった。
「……ああそうだよ。ちゃんと予定通りにこっちの時間の三月の頭に到着してれば、レッスルマニアが見られたんだ。誰だよアメリカと日本じゃ学校の新学期が違うってのを調べなかったのは! 勝手にアメリカの時間で考えやがって! 生じゃなくても良かったんだ。一月遅れでも、日本ならテレビってヤツで見れたんだ。まったく、なんだってこの年のカナダのスカイドームの大会だけアーカイブから抜けてんだよ!」
 怒鳴り散らすアンドルーを横目に、ゲーリーはスレートで検索していた。
 たしかにプロレスの一大イベント、レッスルマニアの18回大会だけがアーカイブから抜けていた。
 グランドではバッターが白の上着を脱ぎ捨てていた。
 その黒のTシャツに書かれたメッセージを見て、アンドルーは目を丸くした。
「なんでアイツがオースティンのTシャツ着てるんだよ!」
 Tシャツには白の文字で「Austin 3:16」とあった。
 すかさずゲーリーはその単語の意味を調べる。
「あれなら、簡単に手に入るよ」
 ゲーリーがいった。
「簡単にって……。おい、あれはアメリカのニューヨークに行かないと買えないんだ。通信販売とかいう手もあるらしいが船で送られるから、到着するのがスゴク遅かったってどっかのアーカイヴにあったの読んだことがある」
「大丈夫だよ。ここでも手に入るって。最初からいってくれてりゃ良かったのに」
「なんで!」
「オカチマチにあるでっかいショッピングモールに売ってる店あるんだぜ」
「そのオカチマチってのは、近いのか?」
「アキハバラの近くだよ」
 ゲーリーはアンドルーにスレートに映った地図を見せ、Tシャツが売られているであろうショップの位置まで示してみせた。
 アンドルーの身体がその場に崩れ落ちた。
 そんなに近くにあったとは……。
 やはり今日はチームでアキハバラに行くべきだったのか?
 自問自答が続いた後、アンドルーはオースティンのTシャツめがけて突進した。
 ゲーリーは、アンドルーが次に起こす行動を予想してみた。
 あまり想像はしたくなかったが、スレートでオースティンの必殺技を検索しはじめた。
「あんたたち何やってんの! もう授業始まるわよ!」
 ビルの上の方から女性の叫び声が聞こえてきた。
 バッターとピッチャーがぴくりとその声に反応し、互いの顔を見合わせる。
 バッターにまさに飛びかかろうとしていたアンドルーも、その声の主のほうを見あげていた。
「始業のチャイム鳴ってるでしょ!」
「すいませ~ん!」
 バッターとピッチャーが建物の方に走り出す。
 そのとき、アンドルーとゲーリーの方を興味なさそうな視線を二人に向けてきたが、アンドルーもゲーリーもそれに気付くことはなかった。
 カランコロンと電子音が鳴り響く。
 アンドルーは太陽に向かって身体をのけぞらせ、両手を挙げて己の力を誇示するポーズを取っていた。ゲーリーのデータスレートには、それと似たようなポーズでリングという格闘場で、たくさんのフラッシュライトを浴びるはげ上がった頭のレスラーの姿が映し出されていた。
 ほどなくしてアンドルーが戻ってきてゲーリーの肩を叩いた。
 ゲーリーは慌ててスレートをポケットに押し込む。
「行くぞ」
「どこへ?」ゲーリーは訊いた。
「決まってるだろ。チームはチームとして行動しなきゃならないからな」