リレー小説『ラスト・フォーティーン』 第三三節「未来の遺伝子」Part-3/諌山 裕

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 理想郷“エデン”は無人の都市であるかのように、ひっそりと静まりかえっていた。深夜の時間帯ではあったが、主だった通りでさえ出歩いている者はいなかった。エデンは突如として不気味な沈黙に包まれていた。
 達矢と高千穂は息を切らせて走り続けていた。エレベーターを乗り継ぎ、来た道を戻っていく。
「はぁはぁ、どういうことだ? 誰もいなくなったのか?」達矢は走りながらいった。
「ガブリエルが市民を眠らせたのかもな。俺たちが起こしている騒動を、市民には知られたくないのかもしれない」高千穂は推測した。
「化けの皮を剥がされたくないということか!」
 ふたりはこのまま、のぞみたちのいる場所へと戻れることを期待していた。だが、待ち伏せされているかもしれない可能性は考慮していた。歴史資料館の建物に入るときには、物陰に隠れながら敵の有無を確認しつつ、慎重に進んだ。
「あいつは、おれたちを無傷で行かせるつもりなのか?」達矢は安直すぎる展開に合点がいかなかった。
「どうだかな。高原が善戦していて、こっちまで手が回らないのかも」と高千穂。
「そうだといいけど」
 ふたりは行く手を阻まれることなく、歴史資料館の回廊を走り抜け、ほどなく二六世紀のフロアへと到着した。目的地に達したことで安堵感とともに、警戒感もゆるんでいた。
「のぞみ!」達矢は叫んだ。
 のぞみは振りかえる。
「達矢! よかった、無事だったのね!」のぞみは満面の笑みで迎えた。
「意外と早かったな。もっとかかると思っていた」御子芝はいった。
「高原さんは?」のぞみはきく。
「彼女はひとりで戦っている。おれたちが戻って来れたのは、彼女のお陰だ」と達矢。
「ジャンプの準備はどうだ?」高千穂は御子芝の手を握ってきいた。
「あと、十分かそこらだ」御子芝は答えた。
 そのとき――
 突然、高千穂の体が青白い光に包まれた。
 彼は声にならない悲鳴をあげて、苦痛に顔を歪めた。
「高千穂!?」御子芝は驚きとともに叫んだ。
 高千穂は膝をつき、体を丸めた。御子芝は彼を助け起こそうと近寄る。だが、彼はむっくりと起きあがった。御子芝は彼の異変に気がつく。高千穂は不敵な笑みをうかべて、鋭い眼光を向けていた。
 彼は抜刀した。そして御子芝に斬りかかった。すんでのところで彼女は体を引いたが、切っ先が胸元に走った。
「なっ!」
 斬られた上衣に血がにじみ、赤く染めていく。
「高千穂! どうした!?」叫ぶ御子芝。
「はっはっはっ、簡単に逃げられると思ったか? 愚か者め」
 高千穂の声だが、別人だった。
「まさか!?」達矢は察した。
「私はガブリエルだ。高千穂の肉体は私が支配している。斬れるかな? 愛する者を。はっはっはっ」
 高千穂=ガブリエルは高笑いする。
 御子芝は抜刀したが、歯を食いしばっていた。
 一瞬、高千穂の顔に苦痛がうかんだ。
「樹! 俺を斬れ! こいつを追い出すには斬るしかない! 俺の苦痛はこいつの苦痛でもあるからだ!」
 高千穂の表情はガブリエルに戻る。
「なかなか精神力の強い奴だ。私の支配をわずかとはいえかわすとは」
「高原はどうした!?」達矢は拳銃を向けるが、引き金には手を掛けられなかった。
「あの役立たずは、過去に飛ばしてやった。二度と戻ることはあるまい。短い人生を肉体に束縛されて生きるのが罰だ」
 御子芝は刀を振り下ろして空を切った。
「卑怯者め。他人の体と心をもてあそぶとは。許さん!」
「ほほぅ、高千穂の体を斬るというのか? 面白い、じつに愉快だ。私には高千穂の記憶と技を使うことができるのだぞ。おまえの弱点も承知だ」
「ならば、高千穂と私が互角だということもわかるはずだ。私は涼のためにおまえを斬る!」
「御子芝さん!」のぞみが悲痛に叫んだ。
「のざみ、達矢、ふたりはジャンプしろ。私はこいつと決着をつける」
 次の瞬間、ガブリエルは飛んだ。月の低重力を活かした跳躍で、達矢に斬りかかったのだ。達矢はあっけに取られて避けることができない。まして引き金を引くことはためらわれた。
 キ――ン!
 刀と刀がぶつかり合った。御子芝が達矢の前に立ちはだかって、一撃をかわしたのだ。
「行け! 達矢! のぞみを連れて帰るんだ!」と御子芝。
「できない!」達矢は首を振った。
 御子芝はガブリエルとのせめぎ合いで、足蹴りを繰りだす。ガブリエルはひょいとかわして、距離を空けた。
「くっくっ、足癖の悪さはお見通しだ」
「詰めの甘さは高千穂だな」
 御子芝は背中のベルトに差していた、グロック17を抜くと引き金を引いた。弾は高千穂の右肩に命中した。
「ぐあっ!」ガブリエルはうめいた。
「戦いを刀だけに頼るなと、いつもいっていただろうが。使える手段は最大限に活かすものだ」御子芝は苦笑した。
「これしきの痛手はなんでもないぞ! 傷つくのは高千穂の体だからな」
 ガブリエルは刀を自由の利かなくなった右手から、左手に持ちかえた。
 達矢とのぞみは、ふたりの立ち回りを呆然と見つめていた。
「なにをしている!? さっさとジャンプしろ!」御子芝は命じた。
「でも、最終プロセスが!」とのぞみ。
「スフィアに入って内側からロックしろ! そうすれば奴でも手は出せない! 私がこいつを片づけて、最終プロセスをやる! 達矢、のぞみを引っぱって行け! おまえたちは未来への鍵なんだから!」
 躊躇していた達矢は、意を決してのぞみの手を取った。そして鏡面に輝く非バリオン物質のスフィアへと走った。
 達矢はスフィアの中にのぞみを押しこむ。
「ここで待っているんだ。おれは御子芝さんを加勢する」
「いやよ! わたしだけでは行けない!」
 達矢は苦悩を隠して笑みをうかべた。
「君はイヴなんだ。君だけは生き残らなくちゃいけない」
「違うわ! わたしはイヴなんかじゃない。ただの女の子よ!」
「のぞみ!!」達矢は大声でいった。
「ここにいるんだ。いいね?」
 のぞみは涙をうかべて、小さくうなずいた。
 達矢はコンソールに戻ると、最終プロセスの確認をしていく。
「達矢! おまえは大馬鹿者だ! さっさと行かないか!」御子芝はガブリエルの攻撃をかわしながら叫んだ。
「お互い様だろ!」達矢は叫び返す。
 御子芝とガブリエルの戦いは、一進一退だった。ふたりの体には、刀がかすった切り傷が増えていく。
 ほどなく達矢は最終プロセスを完了した。
「御子芝さん、オートパイロットを起動した! 一分以内にジャンプする!」
「わかった! 先に入れ!」
 達矢はスフィアに走った。
「そうはさせない!」
 ガブリエルは御子芝の隙をついて、コンソールに刀を振り下ろした。刀は機器をショートさせ、火花が飛んだ。ガブリエルは刀を引き抜こうとしたが、なかなか抜けなかった。
「ちっ!」
 御子芝は足蹴りをガブリエルの腹に叩きこんだ。彼は刀から手を離して、前屈みにくずおれた。
 損傷したコンソールを、御子芝はチェックする。
「くそっ! オートパイロットがやられたか!」
「御子芝さん!」
 達矢はスフィアの入口で手招きしていた。
 御子芝はゆっくりと首を振った。
「達矢、オートパイロットが損傷した。手動でやるしかない」
 達矢はコンソールに戻ってこようとする。御子芝は手を挙げて制止した。
「来るな! 私が操作する。おまえたちは行け!」
「でも……」
「のぞみ、達矢をスフィアの中に入れろ。抵抗したら殴ってもいいぞ」彼女は微笑んだ。
 のぞみは達矢を背後から抱きしめて、スフィアの中に引き入れた。ふたりの姿がスフィアの中に消えると、御子芝は入口を閉じる。
「ふたりに未来を託したぞ」
「御子芝さーん!」達矢は悲痛に叫んだ。
 入口が閉じると、外の音はいっさいきこえなくなった。
 御子芝はジャンプの手動スタートキーを押そうと、手を伸ばす。
「まだ決着はついてないぜ」
 ガブリエルは御子芝の背後から、彼女の首を絞める。御子芝はもがき苦しみながらも、スタートキーに手を伸ばした。ガブリエルの手は、万力のように彼女の首を締めあげる。目がかすみ、体から力が抜けていく。
 御子芝は最後の手段に打って出る。刀を逆手に持ちかえると、背後のガブリエルに突き刺したのだ。彼の手がゆるむ。彼女はすかさず束縛から逃れ、スタートキーを叩いた。
 高千穂=ガブリエルは戦意を失って仰向けに倒れる。彼の腹部には血みどろの刀が刺さっていた。
 スフィアは光を発し始め、ジャンプを開始した。
「のぞみ、達矢、頼んだぞ……」
 御子芝は倒れた高千穂を見おろす。彼はゴホゴホと口から血を吐いた。
「樹……、見事な一撃だった。おまえといつか真剣勝負をしたいと思っていたが、こういう形になるとはな……」
「高千穂!」
 御子芝はひざまずいて、彼の半身を抱き起こす。
「奴は消えたのか?」
「ああ……、激痛に堪えかねて出ていったようだ。ちくしょう、けっこう堪えるぜ」
「なにも話すな。出血がひどい」
「いまのうちに話しとかなくちゃ、いいそびれちまうぜ」
「すまなかった、おまえを生かして取り戻したかった……」御子芝は大粒の涙を流す。
「へへっ、うれしいぜ、樹……」
 傷ついたふたりの体が光に包まれ始める。
「ちっ、転移現象の前兆だ! また漂流するのか!? 転送機の稼動で触発されたようだ」
「もし、地球に戻ったら、俺を埋めてくれ。いつの時代でもこの際、贅沢はいわない……ゴホゴホ……」
「もういい、なにもいうな」
「ひとつだけ……可能性があるぜ。俺たちと対になっているかもしれない、もう一方の俺を捜せよ。片割れが消えるわけだから、いつかの時代に取り残されるはずだ」
「ああ、おまえと再会できるなら、生きている限り捜そう」
「くそっ、痛みを感じなくなった……。もうひとり俺がうらやましいぜ……」
 高千穂の目がうつろになる。
「樹……愛して……」
 高千穂の体から力が抜けた。
「私もだ……」
 御子芝は高千穂に口づけをする。ふたりの姿は希薄になり、フッと消えた。初めから存在しなかったかのように。

 無音のスフィアの中で、達矢とのぞみを抱きあっていた。ふたりは泣いていた。
「あたしたちのために……」のぞみは言葉が出てこない。
「ああ……おれたちは、ふたりの分まで生きなくちゃならない。帰ったら……帰れたらなんとしてでも未来を救うんだ。それが、おれたちに課せられた使命だ」
「うん……うん……」
 のぞみは顔を達矢の胸元にうずめてうなずいた。
 スフィアの内壁に虹色の光が渦巻き始める。ジャンプが始まったのだ。
「さぁ、のぞみ。帰ろう……みんなのところへ。おれたちが必要としている時代に」
 のぞみは彼の腕の中で体を震わせていた。想いと言葉が絡みあい、熱い気持ちが全身を満たしていた。
 大切な時間、大切な場所、大切な気持ち――そして、大切な人。人が人としてあるべき不可欠な条件――それは独りではないということだ。思いやり、慈しみ、讃えあい、愛しあう。人は不完全であるがゆえに、助け合い、補いあって望ましいあり方を求め続ける。個人的なことだけでなく、より大きな関係においても同様である。ひとりひとりの想いが、数百人、数万人、数億人の想いへと発展していくからだ。
 彼女はあふれる涙を手の甲でぬぐう。
「うん……。帰りたい……あなたと……一緒に……」
 達矢とのぞみは、そっと唇を重ねた。
 ふたりを取り囲む光は、時の回廊を遡っていく。
 情熱と希望を託して――。

 雪は未明から降り続き、積雪も五センチに達しようとしていた。東京は季節外れの大雪に見舞われ、都市機能が随所で麻痺していた。
 傘を差した初老の神父姿の男性は、なにかに導かれるように夜道を歩いていた。夜には冷え込みがいっそう厳しくなり、雪がやむ気配はない。
 街には立ち往生した車が、あちこちに停車したままとなっていた。道行く人々は、慣れない雪に転びそうになりながら歩いている。神父もなん度か転んで、尻餅をついていた。
 彼は数日前に見た夢に突き動かされていた。天使が雪の降る路上に舞い降りる夢だったのだ。四月に雪が降ることはありえないと、神父は夢のことを気にもしなかった。だが、ありえないことが現実となり、東京は白一色になっていた。
 夢は啓示だったのかもしれない。彼はそう感じた。夢の中で、天使は完成したばかりの東京ドームを背景にしていた。交通機関が麻痺しているため、神父は徒歩で東京ドームに向かっていた。彼の教会からは普通に歩けば、一時間程度の距離だった。しかし、雪のために倍以上の時間がかかっていた。
 午前〇時近くなって、ようやく東京ドームに辿りつく。明日からは東京ドームでの開幕戦が始まり、巨人・ヤクルト戦が行われる。神父は夢の記憶を頼りに、天使が現れるかもしれない場所を探した。
 と、その時――
 一条の光が天から差し、地上に達した。それはほんの一瞬のできごとだった。注意していなければ、カメラのストロボが光ったと思ったかもしれない。しかし、神父は光が天から降りてきたと確信した。
 彼は足を滑らせながらも、光の達した場所へと急いだ。
「たしか、このあたりだと思ったが……」
 彼は目を凝らして周囲を観察する。
 すると路地の一角に、丸く切り取られたように雪が溶けている場所があった。そしてその中心にはふたりの人物が倒れていた。
 駆けよった神父は、ふたりを見て驚く。
「子供? 夢はこれだったのか?」
 少年と少女は気を失っていた。ふたりは見慣れない格好をしており、金属的な光沢のある宇宙服のようなものを着ていた。
 神父は恐る恐るふたりに近づき、少女の頬を軽く叩いた。
「君たち、こんなところで倒れていると凍えますよ」
 少女はうっすらと目を開けた。
「うう……」
 神父は少年の頬も叩く。
「あうっ」
 少年は意識を取り戻し、寒さにぶるっと体を震わせた。そしてガバッと体を起こした。
「のぞみ!」彼は頭を振って彼女を捜した。
「達矢……?」彼女も頭をもたげた。
 のぞみは屈んで覗き込んでいる神父にビックリした。
 達矢が這って神父とのぞみの間に割って入る。
「あんたは誰だ!?」
 神父は怯えた少年と少女に微笑みかける。
「よかった。元気はあるようですね。私は萩原です。こんなところで倒れているから、心配したのですよ。今夜は記録的な大雪ですからね。立てますか?」
 達矢は立ち上がろうとした。しかし、足がいうことをきかなかった。月に滞在していたために、低重力で筋力が落ちてしまったのだ。
「くそっ、体が重い!」
「神父様?」のぞみは男性の服装を見ていった。
「ええ、そうです。じつをいえば、夢であなたたちがここにいることを知ったのです。夢の中では天使でしたが、子供のことだったらしい」神父は微笑んだ。
「ここはどこですか? それと何年ですか?」のぞみはきいた。
「おやおや、おかしなことをききますね。ここは東京、完成したばかりの東京ドームの近くですよ。今年は一九八八年、今日は四月七日というか、もう一二時を回ったから八日ですね」
 達矢とのぞみは絶句した。
「一九八八年……」のぞみはつぶやいた。
「ちっ、ジャンプポイントが一五年もずれちまった!」達矢は路面を拳で叩いた。
 神父は怪訝な顔をした。
「なにか事情があるようですが、ここにいては体が冷えてしまいます。お宅まで送りましょう。住まいはどちら?」
「ええっと……」のぞみはなんといおうかと思案する。
「わたしたちの家はないんです。両親もいません。遠くから……帰ってきたばかりで……」
「家出ですか?」
「いえ……そういうわけでは……」のぞみは言葉を濁した。
 神父はため息をついた。
「では、こうしましょう。今晩は私の教会に泊まって、明日詳しいことをおききしましょう。いいですね?」
 ふたりはうなずいた。
「さてさて、立てないとなると、車が必要ですね。タクシーが捕まるといいが……。ちょっと待っていてください。大通りに出て、タクシーを探してみましょう」
 神父は傘を達矢に渡し、小走りして大通りへと向かった。
「あの神父、來視能力者なのか? それにしても一九八八年か……。とんでもない誤算だったな」達矢はため息交じりにいった。
「でも、近い時代に帰っては来れたわ。それだけでもラッキーだったのよ」
「この時代でなにができる?」
「一四年後には理奈たちが来る。彼女たちが来る前に、できることがあるはずよ」
「そうだな。メッセージを残すとか、おれたちが知ったことを伝えなくてはいけないな」
「そうね。でも、メッセージを伝えるにしても、タイミングが問題だわ。彼女たちが経験することに干渉しないようにしないと」
「ジレンマだな。これから起こることを知っているというのも」
 一台のタクシーがチャラチャラとチェーンの音を響かせて、ふたりの近くにやってくる。止まったタクシーから神父が出てきた。
「運良くタクシーが来てくれました。これも神のお導きでしょう。さ、手を貸しますよ」
 まず、のぞみが神父に抱きかかえられて、車に乗りこみ、次いで達矢も乗りこんだ。
 雪は一晩中、しんしんと降り続いていた。

〈つづく〉