リレー小説『ラスト・フォーティーン』 第三三節「未来の遺伝子」Part-1/諌山 裕

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 人類の歴史を語る過去の遺物。
 過去を辿ることは、未来を予見することでもある。過去に起こった出来事を、直接垣間見ることはできないが、遺物は記憶の断片なのだ。そして記憶は未来を導く、道しるべとなる。
 月の歴史資料館の長い回廊を走りながら、のぞみは自分が生まれ育ってから以降の未来に想いを馳せる。
(ここには、二六世紀から三〇世紀までの歴史がある。人々にとって、その四〇〇年間はどんな世界だったのかしら……)
 遺伝子が進化の歴史であるように、ここにある遺物は人間世界の遺伝子でもある。戦争、災害、文化、そして科学とテクノロジー。科学は人類の歴史を決定的に変えた。いい意味でも悪い意味でもである。二五世紀以降、人類は長年のツケを払うこととなった。それもまた科学の功罪だといえる。
 二六世紀のフロアに入ると、彼らは歴史の回廊から脇道にそれた。のぞみはもっと先を見たい気もしていたが、歴史ツアーをしているわけではないと自分を戒める。
 ほどなく彼らは、奥まった一角へと入っていく。
「ここよ」高原はいった。
「おおっ、懐かしいマシンだ」達矢はうれしそうにいった。
 時空確率転送機はまるで新品のような光沢を放っていた。コンソールには手垢ひとつなく、歳月の経過を示す曇りや傷もない。
「こりゃすごい。おれたちが使っていたものと同型だ。いつの時代のものだい?」達矢は感心していた。
「二五九八年製よ。アジアセクターからの回収品だわ。物質の転送機としては、最終型だった。時空ジャンプ計画自体が、二七世紀になってから縮小していったの。明確な成果が得られないことから、計画そのものの意義を問われたからよ」高原が答えた。
「そうか。じゃ、これはおれたちが使ったものかもしれないな」
 のぞみはコンソールの椅子に座ると、いくつかのパネルやキーを操作する。彼女はひとつのキーをなん度も叩いて、笑みをうかべた。
「間違いないわ。これはわたしたちが使ったマシンよ。このキーの癖は気になっていたから憶えてる。タッチが甘いってわたしが文句をいったのよ」
「使えそうか?」と達矢。
 のぞみはメインパワーをオンにした。
 パネルとインジケーターにライトが点り、低く唸る駆動音とともにピッピッと確認音が合唱した。各パラメーターのステータスが表示され、グリーンの範囲内であることを示した。
「特に問題はなさそうだわ。あとは座標の設定と、ジャンプコンディションしだいね」とのぞみ。
「よし、ここはのぞみにまかせる。おれは電磁界メモリの問題を片づけよう。御子芝さんと高千穂さんはのぞみをサポートしてくれるかい?」達矢はふたりに顔を向けた。
「よかろう」高千穂はうなずいた。
「おれと高原さんは、敵の中枢に乗りこむ」
「待て」と御子芝。
「ひとりで行くつもりか? そっちの方が大きな問題だ。私も一緒に行く。戦力は必要だ。のぞみのサポートと護衛は、高千穂ひとりで十分だ」
「敵陣に乗りこむ方が面白そうだな。俺もつきあうぜ」高千穂はいった。
「のぞみをひとりにはできない。おまえはここに残れ」御子芝はピシャリといった。
「ちっ。いつも樹は美味しいところを取るんだな」高千穂は不満をもらす。
「涼、おまえなら安心してまかせられるからだ」
「そういうことなら――」
 高千穂は御子芝にスッと体をよせ、片腕を彼女の背中に回すと、唇を合わせた。
「残るのはおまえだ。女を守るのが男というものだ」
「なっ!」
 御子芝は体を引いた。しかし引いたのはわずかで、彼の腕から離れることはなかった。
「納得したか? それとももう一度口づけが必要か?」
 御子芝は高千穂を睨みつけたが、ほどなく顔をほころばせる。
「これは貸しにしておく。無茶はするな」
「ふむ。どうやって返してくれるのか、楽しみだな」高千穂は口の端を持ちあげた。
「達矢も気をつけてね」のぞみは心配そうにいった。
「わかってるよ」達矢は大きくうなずいた。
「一時間で戻る。それまでにジャンプの準備をやってくれ。もし……、おれたちが戻ってこなかったら、君たちだけでも二一世紀に帰るんだ。いいな?」
「それはできないわ! みんな一緒よ!」のぞみは首を振った。
「おれだって帰りたいんだ。絶対に戻ってくるつもりだけど、もしものときは……。御子芝さんはわかってるよね?」
 御子芝は眉をひそめる。
「むむ……承知した。だが、ギリギリまで待つぞ」
「ああ、じゃ、行ってくる」達矢はきびすを返した。
「達矢、大事なことを忘れてないか?」御子芝が呼びとめた。
「なにを?」
 御子芝はのぞみを指さした。のぞみは立ち上がって、心配顔を向けていた。
 達矢は照れ笑いをうかべながら、のぞみに歩みよる。そして彼女の頬を両手で包んだ。
「必ず戻るよ」
「うん」
 のぞみは目を閉じ、達矢はそっと唇を重ねた。

 停電が復旧して、蛍光灯がまたたいて点灯した。
「おっと、意外と早かったな」
 ゲーリーはコーグルをはずした。暗視ゴーグルには不意の強い光に対応する安全装置が組みこまれており、強い光でも目が眩むということはない。下手な映画やドラマでは、閃光に眩むシーンが出てくるが、二〇年前ではありえたものの現在のタイプは安全なのだ。
「さてと、どうする?」光輝もゴーグルをはずした。
 アンドルーは不安げな客たちを見まわす。
「こいつは」といって、気絶している涼樹を指さした。
「縛って口をふさげ。高原には地下を案内してもらおう。ほかのものは納戸に監禁だ」
「よっしゃ」
 ゲーリーはリュックからガムテープを取りだすと、涼樹の腕を背中に回して縛りあげ、足首にもテープを巻いた。最後に口にもテープを貼った。さらにリュックからガチャガチャと手錠を取りだした。
「元ミス・マリアさんよ、手をうしろに。こいつは九千円もしたんだ。S&W社製だぜ」
 高原はいわれるままに手をうしろに回し、ゲーリーが手錠をはめた。
「残りの諸君、自発的に動いてくれるかな? 納戸は二階だ」ゲーリーはエアーガンを振った。
「ま、待ってくれ! 僕は彼らとは無関係なんだ。たまたま招待を受けただけで……」黒井はいった。
 アンドルーは厳しい視線を黒井に向けた。
「だとしても、君が立ち入るようなことではない。これ以上関わらないことだな」
 黒井は自分の半分にも満たない年下の少年の視線にたじろいだ。アンドルーの振る舞いには、少年とは思えないほどの達観した雰囲気があったからだ。
「地下に……地下にあるものがなんなのか、知りたい……」黒井は恐る恐るいった。
「君はもう知りすぎている。來視能力者はやっかいの種だ。危害は加えないから、首を突っこむな」
「ねぇ!」春奈が手を挙げた。
「黒井さんには見せていいかも」
「どうして?」アンドルーは首を傾げた。
「黒井さんの來視は、ずば抜けてるのよ。彼が目をつけられたのはそのためだわ。わたしたちが彼の行動を監視していたのも同じ理由よ」
「わたしたち? 君にも仲間がいるのか?」
「うん……まぁね」春奈は曖昧な返事をした。
 アンドルーはゲーリーと光輝を見る。視線を受けたふたりは肩をすくめた。
「イヴのイメージをくれたのも、黒井さんだし、一理あるかも」と光輝。
 アンドルーはしばし思案する。
「わかったよ。黒井は同行させよう」
「ということだ、では残りのものは二階に」ゲーリーは顎をしゃくった。
 客は渋々ながらも席を立って、指示に従う。ゲーリーは最後尾について、彼らとともに二階へと向かった。
 アンドルーは手錠を掛けられた高原の腕を引いて、地下室への階段に向かう。高原は捕らわれの身であって、毅然として背筋を伸ばし、優雅に歩いていた。
 地下室は雑然と様々な器機が置かれ、ケーブルやパイプが無造作に床を這っていた。新旧のメーカーが違う十台ほどのパソコンが並べられ、システムを構成していることが見てとれた。
「規模は小さいけど、ぼくたちが作ったシステムに類似したもののようだよ。ただ、性能はかなり劣るけど。スパコンというほどのものではないな。ただの並列システムのようだ」光輝はいった。
「こんなちゃちなもので、時空確率を出現できるのか?」アンドルーは高原にきいた。
「答える気はないわ」高原は憮然としていった。
「確かめてみるまでだ」光輝はシステムを起動させる。
 パソコンの電源がオンになると、ファンの音が唸り始める。システムが立ち上がると、光輝は中身を検分する。
「ふんふん、リナックスベースの並列システムか……。面倒なことをしたもんだ。マックOS・Xペースの方が効率がいいのに」光輝は独り言のようにいった。
「しかし……」光輝の目が輝いた。
「このプログラムは面白いよ。ふんふん……そういうことか……」
 彼はプログラムソースを高速でスクロールさせながら、読みとっていく。
「なんかわかったのか?」アンドルーはため息をついた。
 そこへゲーリーが降りてくる。
「お客さんは閉じこめてきたぜ」
 熱中している光輝に、アンドルーはしびれを切らす。
「光輝?」
「ああ、こいつで確率場は出現できない。ただ、ほんのわずかだけど確率の揺らぎを導くようだ。能動的な操作はできないけど、外因によって確率を変動できるんだ。おそらく、数百億から数兆分の一程度の確率で。フルに稼動させていれば、数ヶ月に一度は確率を変動できるかもしれない」
「つまり、どういうことだ?」
「受信機なんだよ。未来からの干渉があれば、このシステムとのリンクが、ごく希に確立される。そのときには未来のシステムから、この時空に確率場を形成できるんじゃないかと思う。たとえるなら、これは時空座標を特定させる、ブイのような役割だね。時空確率そのものは未来のシステムで行うんだ」
「そうなのか?」
 アンドルーは高原の顔を見た。しかし彼女はそっぽを向いた。
「なるほど、図星のようだ。これを使って、のぞみを転移させたのか? いつの時代に?」
 高原は依然として返事をしなかった。
「三〇世紀だ……。彼女は月にいた……」
 黒井がつぶやいた。
「なに?」驚いたのはアンドルーだった。
「來視したことがあるのか?」
 黒井はうなずいた。
「彼女と少年がいた……。戦って……彼女は泣いていた」
「それでどうなった?」アンドルーは詰めよった。
 黒井は頭を振った。
「わからない……、ただ、ふたりは雪の降っているところに行った」
 アンドルーはかぶりを振る。
「まるで占いだな。漠然としすぎている」
「來視って、そういうものよ。印象的なシーンだけがうかぶものだから」と春奈。
「まぁいい。光輝、こいつを動かせるか?」
「動かせるが、どうするつもりだ? こちらからはコントロールできないんだよ」
「もし、のぞみが三〇世紀に送られたのなら、彼女には助けが必要だろう。オレが行く。高原、オレを未来に送れ」
「ははっ」高原は笑った。
「ひとりで行って、なにができるというの? 行った先には私の仲間たちが待ちかまえているのよ。そもそもどうやって戻ってくる気? 正気じゃないわね」
「おまえがどう思おうっと勝手だが、おまえらの懐に飛びこんでやろうというんだ。悪い話ではなかろう?」
 高原は値踏みするようにアンドルーを見つめた。
「いいわ。やってあげましょう。後悔するわよ」
「ちょっと待った! 行くならオレだ」ゲーリーが割ってはいる。
「なんでおまえなんだ?」
「アンドルーはリーダーじゃないか。理奈とキャサリンは身重だし、チームを仕切るにはおまえが必要だよ。ジャネットには光輝が必要だしな。フリーなのはオレだけだ」
 アンドルーはゲーリーの真剣な視線を受けとめる。ゲーリーの目には、強い意志と訴えかけるものがあった。アンドルーは彼が口にはしない意図を察した。
「いいだろう。ゲーリーにまかせよう」
 高原は手錠をはめられた手を振った。
「これ、はずしてくれる? これじゃ、なにもできないわ」
 ゲーリーは鍵を取りだすと、高原の手から手錠をはずした。
 高原は自由になった手首をさすりながら、椅子に座り、プログラムを起動させる操作を始める。
「ゲーリーくん、中央の椅子に座って、頭にあれをかぶってちょうだい」彼女は命令口調でいった。
 ゲーリーは高原を睨みつけてから、椅子に座り、アームからぶら下がっているヘルメット状のものを手に取る。ヘルメットからは束になったケーブルが延びていた。
「こいつは?」
「脳波をキャッチしてシンクロさせるものよ。脳内の電磁界共鳴を誘発するの」
 ゲーリーがヘルメットを頭にかぶる。
「いいぜ。いつでも来い」
「へんな真似はするな」アンドルーはスタンガンを彼女の背中に押し当てた。
「作業の邪魔はしないことよ」彼女はツンとしていった。
 高原の隣で光輝は進行状況をモニターしていた。
「プログラムは立ち上がった。これからどうするんだ?」
「待つのよ。確率の揺らぎは來視同様に、いつ起こるかわからないから。数時間で出現することもあれば、数週間のときもある。ただ、被験者が強く望めば、早く出現する傾向にあるわ」
「よし。それならば」
 ゲーリーは目を閉じて、のぞみのことを思った。
(のぞみ、のぞみ、のぞみ!! いま、助けに行くぞ! 開け、開け、開け――!!)
 ゲーリーは眉間に皺をよせて、意識を集中させていた。
 緊張した時間が流れる。地下室にいる誰もが、息を殺して次に起こるであろうことに備えていた。
 が――、突然うめいたのは、高原だった。
「アウウウウ――!!」
 彼女は苦痛に顔を歪め、両手で頭を掻きむしった。呼吸が激しくなり、全身が痙攣で小刻みに震えていた。
「どうしたんだ!?」アンドルーは高原の肩をつかんだ。
 制止しようとするアンドルーの手を振りはらって、高原はもんどり打って椅子から転げ落ち、床の上で体をバタバタと激しく痙攣させる。
「ギャアアアア――――!!」
 彼女は長い悲鳴を発して失神した。失神してもなお、体の震えは続いていた。
 アンドルーは高原の首に手を当て、さらに胸に手を当てた。
「呼吸が止まってる! 心拍も弱い」
 彼は口を彼女の口に重ねて、人工呼吸を始める。なん度目かの空気を吹きこんだところで、彼女は咳きこんだ。
「ゴホッゴホッ、苦しい……」
「ゆっくりと呼吸するんだ。君はなにかの発作を起こしたようだ」
「発作……? えっ? あなたは誰? ああ……そうか、思い出した……」
 高原は半身を起こそうとする。アンドルーは彼女を背後から支えた。
「ええっと……ここは二一世紀ね? 間に合ったのかしら? のぞみは? 達矢は?」
 アンドルーは怪訝な顔をした。
「なんのことをいってる? のぞみを三〇世紀に送ったのはあんただろうが。達矢もなのか?」
 春奈が察したように口をはさんだ。
「ははーん、未来の涼子さんが転移したのね。お帰りなさい」
「未来の涼子だって?」
 アンドルーは春奈に疑問の視線を向ける。春奈は口をすぼめて、顔をそむけた。
「春奈、君はこうなることを予想していたようだな」
 春奈は肩をすくめるだけだった。
「ここはいつ?」高原は周囲を見まわした。
「二〇〇三年三月二一日よ。グッドタイミングね」春奈は微笑んだ。
「四人は無事に戻ったの? ジャンプは成功したの?」
「質問ばかりだな。ききたいのはこっちだ。四人とは誰だ?」
「桜井、神崎、御子芝、高千穂の四人よ。彼らは戻って来れたの?」
 アンドルーはため息をついた。
「順を追って説明してくれないか? 君は“誰”なんだ?」
「さっきまでの涼子ではないわ。私は三〇世紀から意識転移してきたばかりなの。彼らも転送したはずなのよ。少なくとも、別れる前はその予定だった」
「未来の高原というのは、そういうことか」
 アンドルーの言葉に、春奈はウンウンとうなずいていた。
「ゲーリー! 計画は中止だ」アンドルーは大声でいった。
 ゲーリーはかぶっていたヘルメットを脱いだ。
「ちぇっ、せっかく気張ってたのに」
 高原はゆっくりと立ち上がって、椅子に腰かける。
「話す前に、お水を一杯もらえる? なんだか喉がカラカラ」
 アンドルーは光輝を指さした。光輝はリュックの中から、ペットボトルを取りだして、高原に差しだした。彼女はミネラルウォーターを三口飲んだ。
「ふぅ~」
 未来から意識転移してきた高原涼子は、一息つくと経緯を話し始めた。

〈つづく〉