リレー小説『ラスト・フォーティーン』 第三一節「エデン」(後半)/諌山 裕

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♪♪
“時間がほしい、愛も、喜びも
 空間がほしい、愛も
 ほしいの……私が
 アクション

 私っていう女の子にセイ・ハロー
 私の視界を覗いてみて
 自分が誰だか確かめるために間違いだって犯すの
 だからそんなに守られていたくないの
 他の道があるはずよ
 何だって確かめてみるべきだって信じているから
 でも私は誰なのか
 何をしたらいいのか
 神さま答えて教えて

 どんな風に生きていったらいいの?
 (今にわかるときが来るから心配しなくていいの)
 何が正しいかなんてどう判断したらいいの?
 (自分を信じて進むの)
 気持ちを抑えられないの
 でも今までの私は過保護にされ続けてきたの

 好きなこと、やりたいこと、やりたくないこと皆にいっても
 どんな時でも、諭され続けて
 教えられたこと、耳にする世界のことなんて信じられない
 過保護にされ続けてきたって気づいたの
 他の道があるはずよ
 何だって確かめてみるべきだって信じているから
 でも私は誰なのか
 何をしたらいいのか
 神さま答えて教えて……

 時間がほしい……愛も……空間がほしい
 誰にも決められたくない
 私の運命を
 ノー、ノー……誰にも決められたくない 自分で……
 自分じゃない誰かになれって言われるのはもうたくさん……”
〈overprotected/BRITNEY SPEARS〉

 のぞみは歌った。
 彼女はエデンを見おろす小高い丘に立っている。夜の時間帯になっているため辺りは暗く、街明かりが星の海のように広がっていた。昼間は憩いの場となっている丘には、パルテノン宮殿を模したミニチュア版のテラスが造られていた。
 パチパチパチ――
 拍手する音。
 のぞみは振り返った。壁の明かりの下に、達矢がいた。
「うまいもんだ。ブリトニーの曲だね」
「達矢……」
「ぶらっと散歩していたら、歌がきこえたもんだから」
 のぞみは肩をすくめて微笑んだ。
「聖歌を歌うようになって、歌うことが好きになったの。気持ちが安らぐわ」
「聖歌は苦手だけど、おれもブリトニーは好きだな。いい曲だ。彼女は可愛いしね。日本公演には行きたかったな」
「ラブソングが好きなんて、初耳よ。野球とロックばかりかと思ってた」
「好きなことは……いろいろあるさ」
(君のことも)達矢は思った。
 ふたりは向きあい、見つめあった。互いの思いが視線と仕草で交錯する。達矢の熱い視線に、のぞみはうつむいてしまった。
「えっと……、ここの生活には慣れた?」
「ああ、まあまあだな。あまりにもできすぎている世界に、戸惑ってもいるけど。なんていうか、ここの空気はおれには合わないみたいだ」
「そっか。野球もロックもないもんね」
「ブリトニーもいない」
「そうね」
 ふたりはぎこちなく微笑んだ。
「のぞみ……」達矢は口ごもった。
「なに?」彼女は小首を傾げた。
「あの……、ええと、これからどうするつもりなんだ?」
「どうって?」
「おれは帰りたいと思っているんだ。二一世紀に」
 のぞみは口を開きかけたが、すぐに閉じた。
「君はどうする?」
「わたしは……、ここに残るわ。いまさら理奈たちのところには戻れない……。高原さんは科学院にわたしを迎えてくれるといってくれてるの。ジャンパーとしての経験を活かして、まだ救出していないジャンパーのサルベージを手伝うの」
 達矢の顔は曇った。
「彼らの片棒を担ぐというのか? 理奈や光輝もここに連れてくると?」
 彼の言葉には非難がこめられていた。
 のぞみは大きく頭を振った。
「そういう言い方はいないで! これは歴史の浄化なの。自分が犯してしまった罪深きことを、償うためには必要なことよ!」
「どこが浄化なんだよ! それは彼らの勝手な言い分じゃないか!」
 達矢は思わず怒鳴ってしまった。
「違う! 違うわ! ミレニアムイヴは世界を破滅へと導いてしまった。わたしはその償いをしなくてはいけない!」
「それがどうして、のぞみの罪なんだ!?」
「わたしが、ミレニアムイヴになったからよ!!」
 彼女は叫んだ。そして大粒の涙を流した。
「な……なんだって!?」達矢は驚いた。
 のぞみはその場にしゃがみこんで泣いた。達矢は彼女の肩に手を置いた。
「誰が、そんなことを? なにを根拠に?」
 達矢はのぞみの隣に腰を下ろすと、嗚咽をもらす彼女の背中をさすった。
「泣くなよ、のぞみ」
 彼は彼女が落ちつくまで待った。
「見せてもらったの。失われていたミッシング・トリガーの情報を。わたしは一年後に子供を生むことになっていたの。父親は……あなただったわ。その子がやがては――」
「ちょ、ちょっと待てよ! 君とおれの子供だって!? どういう……」
 達矢ははたと気がついた。
「じゃなにか、君がおれを殺そうとしたのは、父親になるからだったのか?」
「それは……わからない……。自分を含めて、周りの人たちを傷つけたかっただけなのかもしれない……」のぞみは両手で顔を覆った。
 達矢は苦笑した。
「なにがおかしいの? わたしはあなたを傷つけたのよ」
「なぜって、おれはまだ君にプロポーズもしていないのに」
 彼は声に出して笑った。
「あなたは死にかけてたのよ! それがそんなにおかしい?」のぞみは悲痛にいった。
「笑っちゃうぜ、まったく。君がミレニアムイヴだって? おれと君の子供? 話としては面白いが、いかにもご都合主義的だと思わないのか? 高原の魂胆が見え見えだぜ。君を誘いこむには格好の口実だな」
「嘘だというの?」
 達矢は首を振った。
「真実かどうかはともかく、ミッシング・トリガーを特定できるとは思えないな。時間論の基本じゃないか。ミッシング・トリガー前と後では因果関係は変容しているんだ。もし君がミレニアムイヴだったとしても、おれたちには確認しようがないんだよ」
「じゃあ、わたしたちが探していたイヴは、どうやって確認するというの?」
「確認はできない。可能性を探るだけだ。その可能性におれたちが介入して、望ましい方向性を与える。
 ミッシング・トリガーの可能性として高いと思われていたことには、第三次世界大戦の遠因となった過激な環境保護テロとか、中東で始まる宗教戦争、ヨーロッパを襲うことになる小惑星墜落がある。ほかにもいろいろと起こるけど、いずれも世界的に大きな影響を及ぼす事件だ。
 おれたちの着いた時代から、もっとも近い未来の悲劇は、環境保護テロと中東の戦争だ。それに関わるであろうキーマンを探して、なんらかの対処をする。
 君だってわかっていることだろう?」
 のぞみはため息をついた。
「環境保護テロの中心的な役割を担った人は、誰だったか覚えてる?」
「ああ、たしかドイツ人だったな。人間こそが諸悪の根元って主張した奴だ。地球の人口が多すぎるといって、テロを正当化した」
「その人物と行動をともにした女性が、わたしたちの子供なのよ」
「なに? ちょっと待てよ、奴の周りには女が何人かいたけど、日本人がいたという記録はなかったと思うが……」
「愛人だったのよ。表には出なかったけど、彼女は來視能力者として彼の行動に関与した」
 達矢は唸った。
「高原はそのことをどうやって知ったんだ?」
「この時代からは、ソウル・ジャンパーが情報収集に過去へと飛んでいるのよ」
「意識だけのジャンプか?」
 のぞみはうなずいた。
「月人は肉体的にジャンプできないから、意識だけのジャンプを開発したのよ」
 達矢は立ち上がった。
「高原に直接問いただしてみるべきだな。君とおれの子供がそんな道を辿るなんて、信じられない」
 のぞみも立ち上がった。
「わたしも一緒に行くわ。あなたにも真実を見てほしいから」
 ふたりは連れだって丘を下っていく。
 達矢は複雑な心境だった。自分とのぞみが結ばれるという未来は歓迎すべきものだったが、その結果が世界を破滅に導くなどということは納得がいかなかった。もし、それが真実であるならば、なぜおれは死なずに生きているのか? 生かしたのは高原ではないか。死なせてしまえば、予想される未来は変わっているはずなのだ。

 広々としたオフィスには、緊迫した空気が漂っていた。部屋は白を基調とした清潔感のあるもので、壁や家具には曲線が多用され生物的なフォルムが活かされている。
 高原は招き入れた四人に、順に視線を送った。
「私になにを証明しろというの? のぞみから話はきいたんでしょ?」
「あんたから説明をききたいんだ。裏づけとなる情報も見せてほしいね。それとあんたらの使っている時空確率転送機も見せてほしい」達矢はいった。
「ずいぶんと疑い深いのね。いいわ、隠すことはなにもないのだから。なにが知りたいの?」
「まず、あんたらが突きとめたという、ミッシング・トリガーの証拠だ。おれたちに提供された端末からでは、アクセス制限がかかっていた。そいつに関するデータを見せてくれ。おれたち自身で検証したい」
 高原は小さくため息をついた。
「それを見て、どうしようというの? あなたたちの使命はもはや意味のないことなのよ」
「無意味かどうかは自分で判断する」
 高原は肩をすくめた。
「いいでしょう。お見せするわ。ここの端末を使うことを許可します」
 高原は立ち上がって、自分のデスクを空けた。
「私がオペレーターをやろう」
 御子芝が進み出て、高原のデスクにつくと、コマンド命令をいう。
「接続(ジャンクション)」
 彼女の座った椅子の背もたれから、触手のようなケーブルが伸びてきて、左右のこめかみと額の中央に吸着した。ケーブルの先端からは、ナノサイズのニードルが脳の神経系とリンクを確立する。
「展開(アンフォルド)」
 御子芝は一瞬顔を歪めた。量子コンピュータとの接触で、目眩と鈍痛を感じるからだ。
 デスクの上にはホログラムの映像が浮かびあがっていた。彼女が見ているものを、投影しているのだ。
「検索(サーチ)、ミッシング・トリガー」
 彼女は無数に並ぶ扉の中を、高速で移動する。扉はデータノードを意味するアイコンだ。やがて赤い扉の前で止まった。扉には“TOP SECRET”の文字が書かれ鍵がかかっていた。
「高原殿、開錠を」御子芝はいった。
 高原はサブコンソールに手を置いた。センサーが彼女のDNAをスキャンした。
《汝の道を示せ》
 コンピュータは問うた。
「マタイの福音書第七章一三節の言葉よ」高原はいった。
「それなら知っている」御子芝はうなずいた。
「狭い門から入れ。亡びに至る門は大きく、その道はひろく、これに入るものは多い。生命に至る門は狭く、その道は狭く、これを見出すものはまれである」
 扉は開いた。
 中に入ると、オベリスクが針の山のように林立していた。彼女はオベリスクに刻まれたインデックスを素速く読みとって、必要な情報を振り分けていく。ホログラムのオベリスクは、部屋全体に広がっていた。
 達矢と高千穂は、御子芝が絞り込んだ情報を展開して、中身を見ていく。
 作業に没頭する彼らを、高原は腕組みをして見守っていた。

 可愛らしい思春期の少女の3D写真が、彼の目の前でゆっくりと回転していた。少女はのぞみに似ているが、微笑んでいる口元は達矢に似ていた。
「この子が、おれとのぞみの子供か……」
 少女の一瞬の笑顔が、ホログラムの中に永久に封じこめられている。
「名前は、春奈よ。二〇〇四年三月三日生まれ」のぞみがいった。
「おれとのぞみは春奈が二歳のときに行方不明。でも死亡したという記録はないのか……。転移してしまったのかもな」
 彼らの作業を黙って見ていた高原が口を開いた。
「納得したかしら?」
「いや。これらは状況証拠ばかりだ。決定的なものじゃない。仮にこれがミッシング・トリガー前の記録だとしても、どうやって証明するんだ? あんたらのねつ造でないとどうしていえる?」
 高原は小さく両手を広げた。
「もっともな疑問ね。私たちはのぞみを三〇世紀にサルベージしたことで、引き金は引かれなかったと仮定していた。
 でも、歴史は別の筋書きで穴埋めしたの。のぞみの代わりに、理奈とキャサリンとジャネットの子供が、春奈の代役をすることになるだろうと、コンピュータはシミュレートしているわ。つまり、あなたたちすべてがミレニアムイヴの候補だということよ。それですべてのジャンパーをサルベージしようとしているの」
「それなら、どうしてさっさと理奈たちを呼びよせないんだ?」
「簡単ではないからよ。ある時間に同期している状態では、こちらから干渉して時空確率を変更できないのよ。同期が不安定になったタイミングで捕捉しないと、手の出しようがないわ。理奈とアンドルーが転移したときにも、干渉を試みたけど失敗した。成功率は二割程度よ」
「ずいぶんと頼りない方法だな」
「時空確率の技術は、二六世紀からそれほど進歩しているわけではないのよ。もともと不確定なものだから」
「でも、意識だけのジャンプを可能にしたんだろう?」
 高原はうなずいた。
「ええ。肉体ごと転送するよりも、意識という非物質を転送する方が容易いからよ。それに月人の肉体は、地球の重力では生きられないわ」
 高千穂が口をはさむ。
「意識だけのジャンプということは、肉体は過去の人間のものを借りるわけだな。肉体を乗っ取られた人間はどうなる?」
「強引に乗っ取るわけではないわ。同化するのよ。誰でもいいわけではなくて、意識パターンがシンクロしやすいことが条件なの。そのために、過去にいる私とこの私が見た目にも似ているのよ。偶然ではなくて、必然なの。未来からの意識を受けいれた人は、ある日未来の記憶に目覚めるわけだけど、自分が乗っ取られているとは感じないわ。それが自分だと認識するだけよ」
 高千穂は鼻で笑った。
「ふん、詭弁だな。当人の意志を無視していることにかわりはない」
「それは意識の定義の問題よ。そもそも意識は、脳の配線から発生する電磁界効果と量子的なゆらぎの中で発生する。その意識は不安定なもので、脳内化学物質の分泌や強い磁場の影響で、変容するのよ。どこまでが自分の意識で、どこからが外部に由来する意識かの区別はつけられないわ。境界線は曖昧なの。意識はたしかに存在するけど、存在を物理的に特定することは不可能だわ」
「だとしても、未来から干渉することを正当化できるとは思えないね」高千穂は憮然としていった。
 機密ファイルを扱っていた御子芝が、にやりとほくそ笑んだ。
「面白いものを見つけた。隠したつもりだったのだろうが、ミスったようだな」
 高原の顔がピクリと引きつった。
「サーチ! 植民計画」御子芝は命じた。
「だめよ! それは――」高原は制止しようとした。
 御子芝はデータノードの森を駈けぬけ、漆黒の空間へと侵入した。ほかからは隔絶された領域には、大きな門がそびえていた。
「なるほど、天国への門というわけか。開け方は?」
「知らないわ。そこには私ですら入れないのだから」高原はいった。
 御子芝はしばらく思案すると口を開いた。
「自分の子がパンを求めているのに、石を与え、魚を求めているのに、蛇を与える親がいるだろうか。天の父である神が、求めている者にどうしてよいものを与えないであろうか」
 彼女の言葉に、門は反応しなかった。
「違ったか。では、こっちか?
 もし一粒の麦が地に落ちて、死なないならば、ただ一つのまま残るであろう。しかし、死ねば多くの実を結ぶ。自分の生命を愛するものはこれを失い、この世でその生命を憎むものは、これを永遠の生命のために保つであろう」
《汝は第三のイヴか?》
 問いが返ってきた。
 最初のイヴは、エデンで禁断の果実を口にして堕落し、楽園を追放された。第二のイヴは、聖母マリアであり救い主によってあがなわれた人類の母である。
 第三のイヴとは――。
「あなたは神なのか?」彼女は問うた。
《質問に答えよ。汝は第三のイヴか?》
 御子芝はなんと答えるべきか迷った。イエスかノーか? ふたつにひとつ。彼女はエデンがミレニアムイヴを排除しようとしていることから、答はノーだと推測する。
「第三のイヴは忌むべき存在。第三のイヴは消滅した」
《汝に幸いあれ》
 門はゆっくりと開いた。
「そんな、まさか!」高原は門が開いたことに驚いていた。
「ちょろいもんだな。エデンではセキュリティが弱いらしい」高千穂はほくそ笑んだ。
「というよりも、そもそもおれたちみたいな侵入者を想定してないんだろう。楽園には犯罪者はいないらしいからね」と達矢。
「犯罪者はひどいな。好奇心が旺盛なだけだ」御子芝は苦笑した。
 門が開いて、封印された情報を目にした彼らは、さらに驚いた。驚くべき事実があったからだ。それは高原ですら、初めて目にする情報だった。
 高原は自分の知らなかったことに、呆然とした。彼女は自分がいった言葉を思い知らされた。
『どこまでが自分の意識で、どこからが外部に由来する意識かの区別はつけられないわ』
 彼女は自分がなにものなのかということに、確信が持てなくなっていた。