リレー小説『ラスト・フォーティーン』 第二九節「ラスト・デタミネーション」/皆瀬仁太

Pocket
LINEで送る

 二〇〇三年一月。
 年が改まり、三週間ほどが過ぎていた。
 年末年始の感慨、などを感じている余裕もなく、『J3K』への調査を進めてきたが……。
「達矢は転移、のぞみは敵の手の内。どうすんだよ!」
 ゲーリーはてのひらを拳でばちんと叩いて、怒りをあらわにしていた。
「乗り込んで、組織をぶっ壊すしかない!」
「ちょっと待てよ、ゲーリー」
 アンドルーが落ち着いた口調で、ゲーリーを制止する。理知的な調子は光輝と通ずるものがあるが、アンドルーの声にはハリがあり、力強い。決して大声を出しているわけではないのだが、ずしんと響く貫祿のようなものがあった。
「もっと重要なことがあるんだ。光輝は気がついてるだろう?」
「郷田さんに医者を手配してもらったよ」
 光輝はアンドルーの問いに頷き、手をうったことを告げた。冷たいといわれることもある彼の瞳が、不安げな色を浮かべて、濡れているように見える。
「理奈とキャサリンは、安定期に入っているらしい。でも、ジャネットはつわりがきついようだ」
「おい、それって? なんだよ、なんの話しだよ?」
 ゲーリーがどもりそうになりながら、質問した。それは質問というより、確認であったろう。
「彼女たちは妊娠している」
 光輝が答えた。
「妊娠……」
「やはりそうか。まさかとは思っていたが」
 アンドルーは手であごをおおうようにして、思案げな顔をした。
「どうすべきか、話し合う必要があるか」
「あとひと月もしないうちに、おなかのふくらみが目立ってくるそうだ」
「そうか」
「おいおい、待てよ。妊娠って。……おまえたちの子なのか? そうなのか?」
 二人が無言で頷き、ゲーリーはため息をついた。
「こっちの世界で驚くことは多かったけど。まさかそんなことがあるなんて」
「いずれにしても、彼女たちに無理をさせるわけにはいかない。アンドルー、どう思う?」
「そうだな。可能性として」
 アンドルーはいったん言葉を切って、腕を組んで、目を閉じた。
「可能性として、中絶を視野にいれなければならないだろうな」
 重い沈黙が夕闇と混ざり合う。本来妊娠できないはずの彼女たちが妊娠した。それだけではない。彼らにしても、本来、妊娠させることができないはずなのだ。普通に出産できるとは考えにくい。
「でも、どうだろうな? 彼女たちはなんていうか?」
 ゲーリーは軽く首をふった。承知するわけがないのだ。もし、迷いがあったなら、とうに彼らに話しをしているはずなのである。
「もう覚悟を決めているんだと思うな」
 そのとおりなのだ。かといって、単純に、分かりました、というわけにもいかない。徹底的に検査をして、その結果が悪いときには、彼女たちを説得しなければならないのだ。
 彼女たちへの提案をまとめるため、光輝が男性陣に集合をかけたのだ。
「まだ、ぼくたちが気づいたとこを彼女たちは知らないはずだ。郷田さんには、立原先生も医者の相談をしたようだから」
「だけど、もし、妊娠が順調で、無事に生まれたとして。……どうすればいいんだか、正直、分からないな」
「うん」
「どっちにしても、アンドルー、光輝」
 黙ってしまった二人にゲーリーは肩をすくめてみせた。
「おまえたちは父親だよ」
「父親……」
 一体、それがどういうことなのか、三人とも想像すらできなかった。

 翌日の放課後、六人は郷田の部屋に集合した。彼らだけで話し合うよりも、第三者がいたほうがいいと判断したためだ。
 女性たちはソファにくつろいだ様子で腰をおろしている。すでに、今回のようなシチュエーションへの対応を彼女たちは相談しあっていた。シミュレート済みなのだ。
 郷田が口を開いた。
「まずは、なんというか、おめでとう」
「……」
 郷田の言葉に、いきなり男性陣は虚をつかれ沈黙した。
「少しは嬉しそうな顔でもしたらどうなの?」
 理奈がからかうような口調で言う。アンドルーは少し顔を赤らめて、それでも口を開いた。
「正直にいって、びっくりした。それに心配している。身体は大丈夫なのかい?」
「おかげさまで順調よ。食欲があって困るくらい」
 キャサリンが答える。華奢な身体が、心持ちふっくらとして見えるのは、あながち錯覚というわけではなかった。
「あたしは少しつわりがきついわ」
 ジャネットが光輝の目をまっすぐに見つめて、胸のあたりをさすってみせた。
「でも、もうすぐおさまると思う。自分の中でこどもが育っているなんて、とってもエキサイティングよ」
「そうだろうね。でも、いくつか考えなきゃならないことがある。君たちの身体のこと、こどもの健康のこと、もし、そのどちらかが損なわれる場合のこと――」
「ちょっと待って」
 理奈が光輝の言葉を遮った。
「ドラマのセリフであったけど『ほんと、男ってこういうときにだらしないわね』って感じね、光輝」
「……なにが?」
「たしかに身体のことを気づかってもらってるのは嬉しいわ。でも、動揺しちゃって肝心なことを忘れてない? この妊娠にどういう意味があるのか、ってこと」
「意味……」
「そうよ。まるで考えられなかったことが三人同時に進行してる。これって偶然?」
「……いや」
「でしょう? こっちに来てからさんざん経験してきたことじゃない。偶然なんかないわ。私たちが求めるかぎり、すべてはイヴにつながっていく。そうでしょう?」
 理奈は、光輝に、ゲーリーに、そしてアンドルーに、自分の言葉が浸透してゆくのを待った。
 出会い、そして、別れ、人は自分を他人の中に残してゆく。自分の中に、他人が残されてゆく。そうして波のように、互いに干渉しあいながら、ひとつの大きなうねりとなってゆくのである。その最大のうねりがミレニアム・イヴなのだ。
「ミレニアム・イヴの排除が任務としてはおかしいことに、わたしたちは気がついた。排除じゃない。わたしたちはミレニアム・イヴを正しく育てなければならないんだわ。わたしたちひとりひとりの存在が少しずつ影響しあいながら世界をつくってゆく。その世界が正しくあるために、わたしたちは未来でわたしたちが失ってしまった、もっとも大切なことをしていかなくちゃいけないのよ」
「分かった」
 光輝は頷いた。
「ただ、検査だけは定期的に受けてくれ。これは正直な気持ちだ」
「わかってるわ、光輝」
 ジャネットが光輝に手にそっと自分の手を重ねた。
「約束する」
「わたしも約束するわ、アンドルー」
 理奈とキャサリンが微笑んだ。
「おいおい、なんだかオレだけ寂しくないか?」
 おどけたゲーリーの口調に、にぎやかな笑いが起こる。久しぶりの雰囲気だった。

 彼らは選択したのだ。それがどのような未来に通じているのか、本当のところは誰にも分からない。しかし、気持ちの向うまま真っ直ぐに、彼らは進もうとしている。
 彼らがつくろうとしているのは「歴史」なのだ。その意識がひとつの方向に結集してゆく瞬間が、まさにいまだったのかもしれない。
 郷田は自分がその場を共有できたことに、身震いするような興奮を感じていた。
 五百年先の未来を変えることが大切なのではない。彼らが、自分たちの青春というべき時間をせいいっぱい生きることができる、それこそが「任務」の最大の目的なのではないか。そんな彼らの姿は、彼らに関わってゆくこの時代の人間たちを確実に変えてゆくのだ。

 だからあなたはかれらに協力を惜しまないで

 彼らだけでは、乗り越えることのできない多くのことがあるのだから

「イヴ……」

 もうすぐだ、と郷田は直感していた。もうすぐそこに……。

 二〇〇三年。冬。うねりはたしかにその高さを増しつつあるのだった。