リレー小説『ラスト・フォーティーン』 第三十節「夢の子供」/森村ゆうり

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 二月に入ると冬の寒さは、一段とその猛威をふるい始める。暦の上では、春らしい言葉が登場する頃だが、実際には一年で一番寒い時期だ。
 校庭のポプラの樹も唯ひたすら寒さに耐えているかのように、細い枝を空へ延ばしてすっくと立ち並んでいる。落葉したその姿はとても寂しげで、観る者も切ない気分になる。晴れ渡った空は、そんな気持ちに拍車をかけた。
 学園の裏門から続くポプラ並木も例外ではない。北風が吹き抜け枝を揺らす様は、寒々しい。太陽の光も夏のそれとは違う色をしているようだ。
 そんな寒い日にもかかわらず、一人の少女がベンチに腰掛けてポプラ並木をぼんやりと見詰めていた。ダッフルコートとマフラーをしているが、その防寒は充分と言いがたい感じで少し寒そうにしている。
「探したわよ。リーガンさん」
 声に弾かれたように少女は顔を上げた。
「立原先生……」
 声の主、立原美咲は小さめのブランケットを抱えてて、ジャネットの目の前に立っている。立原の口元からは白い息が断続的に吐きだされ、少しだけ呼吸が荒くなっているのが見て取れた。ジャネットを探して走り回っていたのかもしれない。
「こんな寒い所でボーッとしてたら、身体によくないわ」
 立原はそう言うとジャネットの肩からブランケットを巻き付け、すっぽりとその身体を包むと、自分もそのままベンチに腰掛けた。
「ありがとう…」
「リーガンさんはよくここに座ってるわね」
 立原の言葉にジャネットは、驚きを隠せない面持ちで彼女を見た。
 このベンチは学園の外れで、通る人はほとんどいない。実際、彼女がここに座っている時には、二六世紀から来たメンバー以外の人影を見た試しがなかった。
「驚いてるわね。気が付いたのはここ最近だから、そう威張れた話じゃないけどね。郷田会長の御自宅へ伺う機会がこの頃増えたから」
 この厄介な生徒たちへの協力を要請されてから、立原の日常生活は大きな変化を遂げていた。
 話を聞かされた当初は、信じがたい気持ちが大半で真面目に話している郷田や菅原の頭がどうかしているのではないかと疑いもした。それでも、協力することにした理由はやはり教え子の真摯な態度だった。今どきの中学生…いや、立原自身の中学生時代でさえここまでひたむきに何かに取り組んでいた者はいなかったように思う。
「立原先生……」
 いつも勝ち気で小生意気な感じのするジャネットには珍しく、その声は心細げに震えている。
「どうしたの?」
「あたし達、本当に子供が産めると思う?」
 つわり以外は、妊娠した事実を楽しんでいるともとれる発言を繰り返していたジャネットの口から、そんな言葉が飛び出すとは思いも寄らなかった立原は答えに躊躇した。
 ジャネットがそんな不安を抱えて、ひとり、ベンチに腰掛けていたかと思うと、立原は胸は痛む。
 立原にしてみれば、たとえ彼らの言うように未来の世界では充分な大人として扱われる年齢であっても、十四年しか生きていない存在はやはりまだ子供だ。知識の豊富さだけが大人としての条件ではない。
 今は、二一世紀なのだ。十四歳は、十四歳らしく子供でいても許されるはずなのだ。
「マタニティ・ブルーって言葉を知ってるかな。妊娠中は誰でも不安に思ったり、普通ならなんでもないことまで哀しく思えたり、落ち込んだりすることがあるらしいの。二一世紀に生まれてた私たちでさえ、そんな気持ちになるんだから、あなたたちがそんなふうに思っても仕方ないわね」
「でも、あたし達の問題はもっと深刻だわ」
 彼女達の深刻な問題。
 立原もそれは理解していた。彼女たちを取り巻く状況もそうだが、出産にかかわる問題も持ち上がっている。
「お医者様がおっしゃったことを気にしているの?」
 先日、彼女たちは本格的な検診を受けた。胎児の成長には今のところ問題はなかったが、医者は彼女たちには自然分娩は無理だろうという診断を下した。それまでの喜びに満ちた彼女たちの様子が、一気に暗く変わったのはこの診断のためだ。
 彼女たちの身体は、かなり骨盤が小さい。まだはっきりとした答えは出ていないが、この骨盤の狭さでは物理的に胎児が出てこられる状態ではないというのだ。もちろん、妊娠中期にさしかかったばかりの彼女たちにはレントゲンによる詳しい検査はまだ行えないが、かなり高い確率で自然分娩は難しいという。
「もしかしたら、他にも問題が出てくるかもしれないわ。あたしと光輝の赤ちゃん……ちゃんと産んであげられなかったら……どうしよう。夢みたいに消えてなくなったら…」
 ジャネットの瞳からぽろぽろと大粒の涙が流れ落ちた。
 一つの問題に直面したことで、何もかもを懐疑的に考えてしまう状態に陥っているのだろう。これはジャネットに限ったことではない。検診を受けた他の二人も同様に、この頃妙に明るく振る舞ったかと思うと、急にふさぎ込んだりしている。
「リーガンさん……」
 立原は、静かに涙を流す彼女をそっと抱きしめ、優しく背中をさすり続けながら、文化祭の時に観た二年三組の劇を思いだしていた。あの脚本を書いたのは、桜井のぞみ。芝居の基本設定は、彼女たちの身の上そのものだったのだ。実際には、現代を旅した訳ではなく、この学園の中でいろいろな経験を積み、未来を救う方法を模索していたのだが、彼らにしてみれば終わりの見えない旅のようなものだ。
 立原の胸に、あの時感じた苦しいほどの切なさが蘇ってくる。
 この子たちを守ってあげなければ……。
 立原は自分に誓う。何があろうとも彼女たちを守ろう。それが、未来を救おうと救わざろうと、目の前にいる自分の教え子を守り抜くことこそが、自分に与えられた役割なのだと、立原は思う。
 ジャネットは、しばらくすると根気強く慰めてくれる立原の態度に、少し冷静さを取り戻して顔を上げた。
「もう、大丈夫かしら?」
 立原はジャネットの瞳をしっかり見詰めながら問う。
「すみません。取り乱して……」
「大丈夫よ。さっきもいったけど、誰にでもそんな気分の時はあるわ」
「ええ。……ここ、光輝とよく一緒に座って話をした場所なの。赤ちゃんが生まれたら、この景色を見せてあげたいと思って……でも、もしかしたら見せられないかもって。だから、今、ここに座ってあたしの目を通して赤ちゃんにも見せておこうと思ったの。冬のポプラ並木って、葉もなくてこんなに寂しくて……」
「そうなの。でも、春は来るのよ。だから、また美しいポプラ並木が見られるわ」
「はい」
 ジャネットは堰を切ったように自分が、この寒空の下、なぜこんなところに座っていたのかを話した。
 話してしまうとさらに落ち着いた様子になったジャネットに立原は、そろそろ部屋に戻ることを提案して、二人は郷田邸へ向かって歩き出した。現在、妊娠中の彼女たちは大事をとって、郷田邸に間借りして不測の事態に備えているのだ。
「リーガンさんは、一九八六年の四月二六日に起こったチェルノブイリの原発事故を知っているかしら?」
 立原が歩きながら、唐突に話し始めた。
「こちらへジャンプする前に、学んだ知識の中にあった気がします。でも、そんなに詳しくは……」
「あの事故ではかなり広い地域が放射能に汚染されて、そこに暮す多くの人々が被害を受けたの。汚染された地域に暮す子供たちを短い期間だけど、汚染されていない所にホームステイで受け入れる活動があってね。ほんの短い時間でも、汚染されていない所で生活すると子供たちの病状がかなり改善されるそうなの。もちろん、病気が治ったりはしないのだけど……。環境が人体に与える影響は計り知れないわ」
「あたしたちがこうして妊娠まで出来たのも、二一世紀のこの環境が影響したのね」
「たぶん、そういうことだと思うわ。だったら、この時代に適応しつつあるあなたたちが、出産できないなんてことは絶対にないのよ。トラブルもあるかもしれないけど、それはあなたたちに限った話しではないの」
 立原はジャネットを元気づけるために話し続ける。
「医療の最先端では、胎児に対して治療のための手術をしてまた子宮に戻したりもできるのよ。新生児医療の専門のお医者様に胎児診断もしっかりしてもらって、万全を尽くしましょう。郷田会長が探してくれてるから」
 これでジャネットの不安が全て消えてしまうわけではない。不安やトラブルは後から後から湧いてくるかもしれないのだ。それでも、彼女たちは子供を産む。それだけは変わらない意志だ。
「リーガンさん、これは他の二人には言わないで欲しいんだけど、今、妊娠している三人の中で、一番健康な赤ちゃんを産む可能性が高いのはあなたなのよ。理由は解るわね」
 立原は郷田邸に入る少し手前で立ち止まって、ジャネットにそう告げた。道すがら話してくれた内容から考えれば、簡単に予想できることだ。
「ええ。あたしはこの時代で受胎して、その後もジャンプしていない」
 ジャネットは重々しく口を開いた。
「そうの通りよ。綾瀬さんもシンクレアさんも未来で受胎して、この時代に戻ってきたらしいから。二人も気が付いているかもしれないけど……」
 二人はそのまま黙って郷田邸の玄関をくぐり、暖かい部屋の中へと入った。
 キャサリンと理奈は、リビングのソファに座って二人の帰りを待っていた。邸内にジャネットの姿が見当たらないから、一緒に探して欲しいと言って来たのはこの二人だったのだ。寒い屋外へまで探しに行くと言ってきかない二人をなんとかなだめて、立原は一人でジャネットを探しに出たのだ。
 二人はジャネットの姿をみると、すぐさま駆けよって心配したとか一人で出歩かないでと声をかけあっている。そこには日本とかアメリカとかいう括りは存在しない。
「そうだ。今日はあなたたちに良いもの持ってきたの」
 立原はリビングの隅に置いていた自分の荷物の中から三冊のお手製らしい冊子と、数冊のカタログをとりだして、彼女たちの前に広げて見せる。
「これは、母子健康手帳よ。ホンモノじゃないけど、中は同じよ。ちゃんと、ホンモノをみながら作ったから。そして、これはマタニティグッズとか赤ちゃん用品の通販カタログよ。さすがにあなた達がお店で直接そんなもの選んでたら問題有りだから」
 母子健康手帳はともかく、カタログの方は可愛らしい赤ちゃんの服や食器、ベビーベッドが紙面を飾り、華やかで幸せな香りに満ちていた。
「わーっ、立原先生、ありがとう」
 三人は楽しそうにページをめくり始める。
 不安ばかりではない。新しい生命を迎える準備は、幸せで楽しいものなのだ。
 立原はそれを彼女たちにも味わって欲しかった。
 この先、どんな運命が待っているのかわからないこの子らとその子供たちへの、立原なりのささやかな贈り物だ。
 彼女たちに時を同じくして生命が宿ったのは、偶然ではないだろう。彼女たちが宿したのは、夢の子供だ。本来の時間の中では生まれるはずのない子供。
 立原は、その子供たちが幸福な人生をまっとう出来ることを願った。叶いそうもない願いだと知りつつも、願わずにはいられないのは、彼女もまたいずれ母になるかもしれない女と言う性のせいかもしれない。
 絶対に守ってみせる。
 もう一度、心に誓う立原だった。