リレー小説『ラスト・フォーティーン』 第十九節「夢見るものの夢」/皆瀬仁太

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「ふふん、見たところ体力だけが自慢のようだな。この勝負もらった」
 達矢はにやりと笑ってみせた。彼の計算では凄味が出ているはずなのだが、ゲーリーは達矢と同じように「ふふん」と鼻を鳴らしてみせた。
「女のなりしてなにを凄んでるんだ? お嬢ちゃん」
 御子芝にやられたのを利用して喫茶店を抜け出して来たので、達矢は女装のままだったのである。それにことを片づけたらさっさと戻らないとならないので、一々着替えてはいられなかったのだ。でないと、またきつい一撃を食らうことに。
「少しは根性のあるやつだと思っていたが、そんな格好でちゃらちゃらしてるとは、見損なったぞ」
「このやろう!」
 怒りのため達矢の顔が真っ赤になる。が、白粉に隠されて、実際に見えているのはほんのりと朱色に染まった、湯あがりのような肌だった。
「かっかっかっ。なんとも色っぽいな」
「うるせえ。てめえだってだらしない格好でのびてただろ」
「なんだと!」
 二人はさきほど自分たちのクラスが運営する喫茶店で暴れ、御子芝の手でダブルノックダウンを食らわされるという、不名誉な結果を招いてしまったのだ。そのせいで、余計に熱くなっていた。
 達矢もゲーリーも同じ熱血タイプだ。相手に自分と同じ血の温度を感じれば、ぞくぞくしながら向かっていってしまうのである。
「能書きはもういい。勝負だ、ゲーリー」
 三つ建ち並ぶ校舎棟の裏側にある、第二体育館に二人はいる。ここで勝敗を決するつもりなのだ。

「のぞむところだ」
「どっちにいく? 右か?左か?」
「ふふん、オレはレディファーストの国に生まれたからな、選んでくれ」
「いまは言わせておいてやるよ。負けたら腕立て伏せ二百回だぞ。いいな?」
「相手を乗っけてな。いいとも」
 マンガなら、びしっと視線がぶつかりあって火花の散るところであろう。
「おれは右へゆく」
「わかった。オレは左だ」
「ゴールでまってるぜ」
「ふふん。そう願いたいものだ」
 もう一度火花を散らし、二人は左右の薄暗い通路へ消えていった。迷惑そうに後ろに並んでいた生徒達が、やれやれという顔で、左右を選んで進んでゆく。
 天原祭名物「魔空大迷路」。人気のアトラクションであった。

(思ったよりも複雑だな)
 人二人がすれ違うことのできる程度の通路が、かなり細かく左右に枝分かれしている。第二体育館の広さを考えると、けっこう複雑な迷路が描けそうだ。子供だましと思っていたが、なかなか攻略のしがいがありそうだ。
 行き止まりの通路を戻りながら、ゲーリーの勝負とは関係なく燃えるものを達矢は感じていた。
「魔空大迷路」は第二体育館の一階を丸々利用して作られていて、実際、かなりの難関である。途中いくつかのチェックポイントがあり、そこに係員が配置されているのだが、もしそれがなければ、薄暗さも手伝って、入ったまま出て来れなくなる可能性まで囁かれるほどだったのである。
 十年前に事故があって、それ以来、中止になっていたといういわくつきのものであった。
(とりあえず、行き止まりはつぶしていかないとな)
 達矢は勢いで迷路を走り回ったりせず、歩数を数えながら歩いていた。頭の中に歩いた部分の迷路を描いてゆくためだ。迷路の入り口は体育館の左端だった。体育館は東西に長い長方形で、スタートで達矢の選んだ右側が、長方形の長い辺に、ゲーリーの左側が短い辺に沿っての通路となっている。
 ゴールは体育館の右端となる。迷路に入らず、入り口から廊下をまっすぐゆけば、ゴールだ。トンチ勝負ならそれで勝ちかもしれないが。
 達矢は脳裏にマッピングしながら薄暗い迷路を進んでいった。

(けっこうやっかいだな)
 ゲーリーは軽く舌打ちをして、迷路を進んでいった。五分もあればゴールすると思っていたのだが、すでに十五分を経過していて、全体の八分の一ほどの範囲をチェックし終えた、というところだった。
 感触からすると達矢の選んだ右も、自分の選んだ左もゴールにつながっているはずだ、とゲーリーは踏んでいた。迷路を作った人間のパターンは把握した。このパターンから予想される経路を辿って一刻も早くゴールにつかなくてはならない。
(タツヤも同じことを考えているはず)
 ゲーリーは達矢を過小評価はしていなかった。自分と同レベルの能力を備えていると直感的に判断していたのだ。でなければ、チームの一員として選ばれるはずがない。
 一見、達矢は行動力のみのタフガイで、論理的な思考は苦手なように思える。しかし、それはあくまでチーム内にあってのことだ、とゲーリーは思っている。それが一番チームをスムーズに機能させることができるから、他のメンバーに任せているのである。
(それにしても)
 一筋縄ではいかない迷路だ。大体、チェックポイントがそろそろあってもおかしくないのだが。
 それに……。
 やけに周りが静かではないか?

「泣いてるのね」
「……」
「なんで泣いてるの?」
「……疲れちゃった」
「そう。ゆっくりおやすみなさい」
「でも……」
「なに?」
「花火が」
「そう。でも、それはいいのよ」

(チェックポイントがないな。それに)
 達矢は少しの間立ち止まって、周囲の気配を探ってみた。やはり、人の気配がしない。入り口では列を成していた学生たちがまるでいなくなってしまった。ウエイトレス姿を見られずにすむので、好都合ではあるのだが。
(圏外か……)
 ケータイを確認して、なにかが起きていることを達矢は確信した。ここで圏外になるはずがないのだ。少考ののち、マッピングにしたがって入り口に戻ってみる。が、予感していたとおり、スタート地点に戻ることはできなかった。マッピングは正確だったが、迷路のほうが元の場所にいなかったのである。
(おれが跳んだか、迷路が変質したか、それとも)
 達矢はいきなり、通路の隔壁を正拳で突いた。ずぼっと音がして、穴が開く。
(ダンポールはダンボールか)
 迷路自体を破壊してしまってもいいのだが、それでは解決にはならないだろう。がらんとした体育館内があらわれるだけのことだ。疲れるだけ無駄である。
(まずいな)
 達矢は眉をひそめた。
(ウエイトレスをさぽっていると思われちゃうわ)
 さしておもしろいギャグだとは自分でも思わなかった。

「まったくまじで気を失ってるわね。御子芝さん、手加減なし?」
「あ、いや。少々の加減はいたしたが」
「達矢にはそろそろ働いてもらわないとね。御子芝さん、喝いれてあげてね」
「うむ。心得た」
「あと、よろしく」

(めんどくさい。やっぱりぶっ壊そう)
(やはりおかしい)
 スタート時点に戻ろうとして成しえなかったゲーリーは、現状の把握をいかにすべきかを考えていた。
 相変わらず通路は薄暗く、静かだ。
(どうやら搖らいだな)
 外的要因か、ゲーリー自身に因を発するのかは定かではないが、この迷路は現実の迷路から切り離されてしまった、と彼は判断した。
 御子芝や高千穂の存在といい、二対が顕在化したタイムカプセルの件といい、この時代はかなり搖らいでいる。何かが起ころうとしているのは確実なのではないか、とゲーリーは強く感じていた。
 いずれにしても戻らなくてはならないが、どうしたらいいのか?
(考えてどうなるものでもないな。まずは問題を単純にしよう。余計なものは)
 ゲーリーは、ふんと鼻を鳴らし、迷路の壁を思い切り蹴飛ばした。
(壊してしまおう)

「もうすぐ来るからね」
「くるって?」
「君をここからだしてくれるひと」
「ボク、ここからでていいの?」
「いいの。ここにいちゃいけないの」
「ボクは利用されたのかな」
「そうかもね。でも、いまは違うわ」

(気持ち良く壊れるなあ)
 達矢は迷路をがんがん破壊していった。ゴジラの気持ちが分かるなあ、などと思っている。壊すものがあるから怪獣は暴れるのだ。破壊のための破壊。それは歴史もいっしょなのか?
(あいつ、もうゴールしてるかな)
 ケイタイの時計表示によれば、すでに一時間が経過している。もし、ゲーリーが先にゴールしていたら、いくらなんでも達矢が遅いことを不信に思うはずだ。
 もっとも、こっちでは一時間だが、あっちでは一分もたっていないかもしれない。
(とにかく、この迷路を取っ払えばなにかが見えるはずだ)
 根拠のない確信だったが、こういうときには下手な根拠よりも直感のほうがよほど真実に近いものだ。
(さあ、がんがんいこうぜ)
 達矢は迷路の破壊を続ける。
 やがてぼんやりと光りが見えてきた。

(ちょっとしたヒーローだな)
 ゲーリーは汗に濡れたブラウンの前髪を払って、一息ついた。すでに一時間ほどが過ぎている。迷路は気持ちいいくらい簡単に壊れていった。現実離れした感触だ。もっとも、ここはすでに現実ではないのかもしれないが。
(あいつはもうゴールしてるだろうな)
 ゲーリーの口元に微笑みが浮かぶ。不思議と悔しさがなかった。それはそれでいいだろうと思っていたのである。
(なんにせよ)
 この迷路を壊すのが当面の仕事だ、とゲーリーは考えていた。そこで必ず動きがある。
(おっ)
 ぼんやりとだが、明かりが見えてきた。いい感じだ。あの明かりまで進むんだ。あそこにいる。
(いる?)
 いるって誰が?
 誰がいるっていうんだ?

「この感じ。ジャンプのときの……。そろそろ起こしたほうがよさ(待って。もう少し)そ……なに?」
(いま起こしてはあぶない)
「そなたは?」

((なんだ?))
 光に向かってまっすぐに迷路を壊しながら来て、ようやくたどり着いた。いや、たどり着いたというより、薄暗い空間に遮るものがなにもなくなったのだ。空気の抜けてきた風船のように、光はふわふわと漂っていた。
(なんだあれは、まるで)
(人魂じゃないか)
「ボク、帰りたいんだ」
((しゃべった!!))
「でも、ひとりじゃここをでられない」
(成仏したいってことか)
(どうやれば)
(経でもあげるか)
(祈りをささげるか)
(というよりも、この場所そのものを叩き壊すってことだな)
(つまりこれは)
(トラップだ)
 ごう――
 激しい風が吹きつけた。それは憎悪、嫉妬、不満、など激しい負の感情だった。
「たすけて」
 人魂は怯えている。これに捕らえられているのだろう。マイナスのベクトルを持った残留思念、いわば悪霊みたいなものだ。
(うーん。悪霊退散って、どうするんだ?)
(相手の弱点をののしったらどうだろう?)
(そんな映画があったな。どこが弱点だ?)
(オレにきくな)
(無責任なやつだな)
(意識の世界だからな)
(おれたちも意識体か)
(霊魂みたいなもんだ)
(ならば)
((消えろ!!))
 悲鳴のように風が鳴った。
(効いてるな)
(あっちはしょせん残留思念だからな)
(おれらは生霊ってわけか?)
(よし、あれためしてみよう)
(おお、あれか)
(いくぞ)
((究極天技!))
((イカロスダイナマイト!!))

「つまり、ジャンプに失敗した連中の想念がトラップをつくっていた、ということになるのか?」
 達矢の質問に、光輝はうなずいた。
「もちろん仮説にすぎないけど、ありえることだろう。そのトラップに、今井俊司の、まあ、ソウル、と表現しておこうか。それが閉じ込められていたというわけだ」
「そうか」
 今井俊司。十年前、「魔空大迷路」で死体となって見つかった生徒だ。迷路が崩れたための事故、として処理されていたが、真相ははっきりしないのだという。
「人間の感情って、こわいもんだな」
「そうだな。消えていった者の無念がつくったものなのだろう」
「今井というやつのことを調べたら、もしかしたらなにか分かるかもしれないな」
「うん、そうだな。それにしても」
「なんだ?」
「なかなか色っぽいな。君は」
「……てめえ、光輝」

「つまり、選択的に君と神崎達矢が選ばれたということか」
 アンドルーは組んだ腕をほどいて、笑った。
「ひとつの思念体だったことに最後まで気がつかないというのは君たちらしいな」
 御子芝に気を失わされ、その時点からあの場所に誘われていったわけだが、ずっと二人で別々に行動していたと思い込んでいたところが笑えた。
 それだけ、思考パターンが似通っているわけだ。
「君たちはシンクロしていたわけだ。もう一つ君を驚かせるなら、今井俊司、彼も君たちとともにいたはずだ」
「え?」
「というより、そもそも、今回のことはなんだったと思う?」
「なんだった、というと?」

「つまり、もともとなにもなかったんだ。魔空大迷路は十年前の事故で中止になってから今年も復活していない。今井俊司という存在はたしかにその昔はいたが、いまはいない」
「じゃあ、光輝。あれは誰だったんだ」
「誰でもない。達矢、君たちがつくった一種の幻影だよ」
「……なにがどうなってるんだ?」
「あったのは、ジャンプに失敗した連中の集合思念、ひとつの場だな。その場に反応してあんな幻影をつくりだしてしまったんだ」
「そういうものなのか」
「「そう、すべてはいわば気のせいなんだ」」
「なるほど」
「「あまり気にしな 喝!

「な、なんだ」
 達矢は目をばちぱちしながら、周りを見回した。
 きりりとした、男装の御子芝と目が合い、ようやく自分のいる場所が、保健室であることも理解できた。
「御子芝さん。……どうなってるんだ」
「罠であったな」
「罠?」
「うむ。おぬし、取り込まれるところだったぞ」
「え? おれが? なんだよ、それ」
「誰でもよかったのか、それともおぬしを狙ったのかは分からぬが。救われたな」
「……よく分からないけど、御子芝さんが助けてくれたわけか」
「いや、もっと大きな力だ。あれは……」
「大きな力?」
「いや。ただ、おぬしらは目的に届くかもしれぬな。そうとなれば、もっと鍛えなくてはならぬ。天原祭が終わったら、さっそく剣術を教えよう」
「げっ」

 結局、達矢は今井俊司の魂を救い、トラップをぶっ壊した。それが正しい顛末らしい。
 ゲーリーは達矢と御子芝にノックダウンさせられたが、ふらふらしながらどこかへ去っていったという。ただ、ゲーリーとなにがしかの形で体験をともにしたのは間違いない、と達矢は確信していた。
 とりあえず、いまは天原祭を楽しむことにしよう。達矢が気を失っていた時間は十分ほど。まだまだ祭はこれからなのだ。
(ゲーリーと魔空大迷路で勝負してもいいな)
 ただし、このウエイトレスを終えてからだ。

「ボク、やっと帰れるよ」
「よかったね」
「ありがとう」
「いいのよ。じゃあ」
「じゃあ」

「ありがとう。イブ」