リレー小説『ラスト・フォーティーン』 第十四節「美しき神々の憂鬱」/皆瀬仁太

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 光輝はため息をついて、パソコン画面から視線をはずした。まぶたの上からそっと眼球をマッサージする。ここ最近、目にかなりの負担がかかっていると感じる。この時代のパソコンは電磁波が強くてストレスがたまりやすいのだ。
 が、果たして、それだけだろうか?
 光輝の表情に、十四歳の少年にはそぐわない疲労の影が射した。同年代の若者にはまず見ることのできない、蓄積された疲労の影。短命ゆえに密度の濃い時間を過ごしている二十六世紀の若者には当然の表情でもあった。
 十代半ばからはじまる老化は、二十六世紀では当たり前の現象で、無念だし不快だがことさら驚くことではない。しかし、任務を帯びてこの世界へ来ているという意識が、持ち時間の少なさに対しての焦燥、プレッシャーを光輝たちに押しつけてくるのだった。
 仲間を増やす――
 真剣に考慮すべきときだ、と光輝は判断していた。こちらの世界へ来た当初から、議論を重ねてきたことである。不確定要素をいたずらに増やさない、という原則に則って、接触する人間を学園関係者に限って様子を見てきたが、それももう限界だ、と思うのだ。
 御子芝や高千穂の登場。おそらくは來視能力者(ビジョン・タレント)である黒井の存在。そして今日迎えた、新たな四人の転入生。ぞくり、と。なにかが動きだしている感覚を光輝は膚で感じていた。
「あー疲れた」
 派手なドアの開閉に、光輝の思考は遮られた。ドアは静かに閉めるように――と半分いいかけたのだが、どこかぎくしゃくしたような達矢の動作に、言葉を呑み込む。
「まいったよ」
 達矢はベッドにどさりと寝ころんだ。
「どうした?」
「いやさ、御子芝さんにつき合って剣道やってた。やってた、っていうか、素人相手に本気なんだからなあ。まったく急になんだってんだ」
「そういえば御子芝さん、運動不足がどうのと言っていたな。……だいぶやられたみたいだな」
「やられた。御子芝さん、強いもん。情けないけどかなわないよ。あーいたい」
「……君は元気だな」
「うん? そっちこそどうした?」
 口調に感じるところがあったのだろう。達矢が上半身を起こして、光輝の目を覗き込んだ。
 まっすぐな目だ、と光輝は思う。達矢の目には二十六世紀人特有の老成したような色がなかった。若者たちが瞳を輝かせながら未来について語りあったという時代を想像させる。二〇〇二年においてもそのキャラクターは魅力的で、けっこう女生徒の人気も高いのだと理奈がいっていた。本人はまるで分かってないけどね、と。
 達矢のようなキャラクターが世界の変化に影響を与えたとしたら、歴史はましな方向に書き換えられるのではないか?――ふと、光輝はそんなふうに思った。
 もしかすると、真になすべきことは、MEを探すことではなく、よりよい方向へと歴史を誘うミッシング・トリガー創ることなのではないか? そのためにはもっと積極的に協力者を増やしてゆくべきではないか? たとえば――。
「またひとりで考え込んでるな」
 達矢の笑いを含んだ声で、光輝は我に返った。
「おおかた、あいつらのことを考えてたんだろ?どう思う、今日のあの四人組?」
「……アメリカ人か」
「ああ。四人同時に転入。おれたちも、珍しい、ってさんざん言われたよな。それがまただぜ。おれたちは事情あり、で、今度はほんとにレアケースか? そんな偶然があるか?」
「偶然……とは考えにくいな」
「偶然であるもんか。あれはチームだ。アメリカ・セクターの連中だよ」
「……」
「で、どうする? 協力したほうがいいのか? 様子をみたほうがいいのか?」
「そうだな」
 達矢に言われるまでもなく、彼女たち四人組がアメリカ・セクターである、と光輝もにらんでいた。おそらく、理奈やのぞみも同様だろう。偶然が続くなあ、などと一般生徒のように能天気に考えていられるはずもない。
 ジャネットが自分に近づいてきたのも、なにかの計算があってのことだろう。
 と、ジャネットのことを意識したとき、
「……少し様子を見よう」
 自分の意志とは別のところで光輝は言葉を発していた。
「今日、転入してきたばかりだ。ここで結論を出すのは早計だろう。あとで理奈たちとも相談するが、ぼくはもう少し様子を探ったほうがいいと思う」
「うーん。そうだな。それが無難だな」
 達矢が素直に頷いた。
「なあ、光輝。おれたちがやつらの正体を知ってるってことは――」
「正体? 彼女たちが何者かまだ確定したわけではないぞ!」
 自分の口調の強さに驚き、あわてて光輝は言葉を続けた。
「あ、いや、いろいろと可能性を考えながら慎重に行動したほうがいいと思うんだ」
「光輝らしいな。石橋を叩いて渡る、か。おれは石橋かどうかも考えないで渡っちゃうからなあ」
 達矢が怪訝な顔をするでもなく、いつもの笑顔のままだったことに、少なからず光輝はホッとした。
「のぞみも理奈も夜まで戻らないな。おれはひと眠りするよ。つかれた」
 達矢はごろりと横になった。ほとんど間を置かず、規則正しい寝息が聞こえてきて、光輝は苦笑した。
 ――と。
 パソコンにメール到着の小さなマークが表示されていた。黒井からのメールだった。
『新たな作品が書きあがりましたので送ります』
 本文はそれだけで、画像ファイルが添付されている。
(なに?)
『美しき神々の憂鬱』と題されたそれは、二人の女神が敵対するもの同士のような視線を互いに向けつつ、対峙している作品だった。女神としてデフォルメされてはいたが、二人は、明らかにのぞみとジャネットだったのだ。
(敵なのか……)
 アプローチの仕方からして、単純な仲間でないことは分かっていた。分かってはいたのだが。
 さらに。
 背景の半分、のぞみの側は二十六世紀の新宿、そして残りの半分、ジャネット側はニューヨークシティだったのだが。
(これは!?)
 ニューヨークは新宿以上に崩壊した都市だったはずだ。
 しかし――。
 黒井の描く摩天楼には灯がともっていたのである。
(この未来はいったい?)
 いくつもの波が干渉しあい、大きなうねりになりつつあるのを光輝は感じていた。
 変化は望むべきとこだ。しかし、ぼくはいま、変化を望んでいない。
 ジャネット・リーガン。明日の約束。
 なにをどうすればいいのだ?
 光輝はいままでに経験したことのない自分の感情を持て余して……。
 ぐおっ、とよく分からない音をたてて、達矢が寝返りをうった。
 マンガのように、むにゃむにゃ、といいそうな寝顔を光輝に向けて、幸せそうに眠っている。
(ひとの気持ちも知らないで、この男は)
 なんだか、あれこれ考えていることがばかばかしくなってきた。なるようになるさ、で、ときにはいいのかもしれない。
(郷田さんに話を訊こう)
 光輝は達矢を起こさないように、そっと部屋をでた。たとえなるようになるさ、でも、やるべきことはやらなければならないのだ。

「なんだね、話とは?」
 郷田は会長室のソファにたっぷりと座って、訪問者と向き合っていた。彼は五十五歳の年齢よりも若く見えるが、飾りで学園の会長を務めているわけではない。胆力のすわった人物なのである。
 その郷田が、深々と腰を下ろす、という余裕のあるポーズをつくらねばならないほど、気押されていた。
 十四歳の中学生に。
 もちろん、いまの時代の十四歳とは意味が違うことは分かっている。何倍にも凝縮された人生を過ごし、自ら望んだとはいえ、重い使命を背負っているのだ。いや、自ら望む以外に、彼らの時代の若者たちにとって、生きている実感を得るというのは難しいことなのかもしれない。
 それにしても、この威圧感が少女のものだとは。
「私も忙しいのだ、用件はなんだね、綾瀬君」
「もう、おわかりのはずよ」
 理奈の声は静かで、しかし、凛とした強さを持っていた。
「なんのことだね」
「アメリカ・セクターのことよ」
「……」
「転入が認められたんだから、会長がからんでないはずがないわよね? どういうことなの? きちんと説明をお願いするわ」
「それは……」
「私たちに同類の見分けがつかないとでも思ってたの? 四人一度に転入なんて。真っ先にあたしたちに知らされるはずの情報が会長から入って来ない。じゃあ、こちらからうかがうしかないわよね?」
「まいったな」
 まったくしらを切ることは不可能だ、と郷田は判断した。ならば、肝心なところはぼかして伝えるか。
 郷田はアメリカ・セクターの言い分を全面的に信用したわけではなかったし、心情的には綾瀬たちに加担している。ただ、大前提としては、歴史を救うことを最優先にしなければならないと考えていた。
「わかった。率直に伝えよう。ただ、君だけに話すのでいいのかね? 他の三人を呼ばなくても?」
 考えをまとめるための時間稼ぎにすぎなかったのだが、理奈に一瞬、ひるんだような表情が浮かんだのを郷田は見逃さなかった。
「全員で聞いたほうが良くはないか? 私も質問などは一度ですませたい。これでも忙しい身だからな。まだ、四人の話がまとまっていないのなら、いったん、戻って打ち合わせをしたほうがよくないかね?」
「……そうね」
 理奈のいまいましそうな表情を見て、とりあえずこの場はしのいだ、と郷田は思った。
 郷田には知るよしもないが、理奈がひるんだのは、ここに来た理由が自分自身にとっても不可解だったからだ。
 見たのである。光輝とジャネットが二人きりでいるところを。そして自分でも分析不能な感情のままに、郷田のところへ来てしまったのである。
「わかったわ。また来ます」
「綾瀬君、わしは君たちの味方だ。それだけは信じていて欲しい」
 郷田が立ち去ろうとする理奈に声をかけた。それは郷田の本心に間違いなかった。
「なるほど。信じましょう。それでは、もう少し情報をいただきたいのですが」
「光輝」
「津川君」
 郷田の腹が完全に決まったのは、この瞬間だった。歴史は、確実にある収束点へと向かいはじめたのである。