リレー小説『ラスト・フォーティーン』 第十三節「十二人目のイヴ」/大神 陣矢

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 目をひらくと、はるか頭上に地面があった。
 それも道理で、彼女はケヤキの枝に両足をひっかけ、ぶら下がっていたのだ。
「ここにいたか、御子芝」頭上に吊られて見える人影がいった。
 考えごとを邪魔された御子芝は不機嫌をかくさず、
「何用だ」
 そうつっかかることはない、と声の主は幹につかまると、そのままするすると登りはじめた。
「できれば、もうすこし奥につめてもらえるとありがたいが」
 二階ほどの高さまで、つまり自分のいる枝まで登ってきた彼に、御子芝はつめたい視線で応じた。
「無茶をいうな」
「なら、このままでもいい」
「何用だと聞いている。こう見えても、私は忙しい身でな」
「なに、時間をとらせる気はない」
 高千穂涼はうすく笑った。皮肉めいてはいるが、汚れた笑いではないな、と御子芝樹は感じた。
 夕刻。沈みかけた陽のもらした輝きが空からぼんやりと降りそそいでいる。
 学生寮の裏手の木立は、物思いにふけるのに最適といえた。
 といっても、ケヤキの枝に逆さづりにならねばならぬほどの悩みというのはなかなか解けるものでもないわけだが。
(どうも、今日はずっと嫌な感じがしていたが……こういうことか)
「瞑想かい」
「……そんなところだ」
「そうか。悩むのはいいことだ。自分自身との対話をおこたる者は、往々にして薄っぺらな人格しか生成できないからな。つねにわれわれは葛藤し、その激情の摩擦から……」
「講釈を垂れに来たのなら、間に合っている。失せろ。さもくば落ちろ」
 それはどちらも勘弁だな、と肩をすくめ、高千穂がつづけた。
「ちと、面白い話を小耳にはさんでね」
「面白い話……?」
 胡散臭そうに目を細めた御子芝に、高千穂は微笑をうかべて、いった。
「『十二人目のイヴ』になる気はあるかい?」
「なに……?」
 御子芝は、身を跳ね起こした。

 M・E・G。
 高千穂がその『組織』のことを知ったのは、ほんの数日前だという。
「やはり『近代』はいいね……きわめて剣呑な情報が、とびきり無防備なままに流れているのだから」
 いわゆるアングラ関連のネットワークに網を張るうち、偶然拾い上げた情報だ、と彼はクックッと喉の奥で笑った。
 隣にぶら下がった彼の携帯端末のディスプレイに目をやりつつ、御子芝は顔をしかめた。
 どのみち、あまり肌に合いそうにない世界だ。
「少女崇拝、というのは珍しくもないが……それが数万人規模の結社を成立させているという例は、この組織くらいだろう」
 その組織は、『世界を正しく導けるのは無垢なる少女である』という思想を掲げ、数年ごとに自分たちが信奉する少女を選抜し、シンボルとして崇めているのだという。
「……などと表現するとずいぶん妖しげだが、結社といってもべつに政治的なものじゃない、むしろ会員同士のコミュニケーションをおもな目的とした相互扶助団体といっていい。フリーメーソンにも似ているが、公になっていないという点で、中国でいう『幇会』のほうがより近いかもしれない。ま、このあたりは知り合った会員からの受け売りだがね」
「……だから、なんだというのだ」
 長広舌にうんざりしたようすで、御子芝。この男とは長いつきあいだが、このあたりはいつまで経ってもいっこうなじめない。
「他人の性癖や嗜好についてどうこういう気はないが、それが……」
「むろん」と高千穂。「無関係ではないのさ。ぼくたちと」
「と、いうと?」
「彼らは選抜した『少女』を……『ME』と呼び、崇拝しているらしいのだ」
 ミー、と口に出して、御子芝はあっ、と悟った。
「……『ミレニアム・イヴ』?」
 さあね、と高千穂は肩をすくめた。
「だが実際問題、偶然としてはうまくはまりすぎだと思うが。……MEGとは、ミレニアム・イヴ・ガーディアン……イヴの守り手、という意味なのではないか?」
 ふむ、と御子芝は腕を組みなおした。
 人類の破局の源となる、『ミレニアム・イヴ』の発見。
 それは、彼女たちニ六世紀からのジャンパーに課せられた最大の使命である。
 当然それは彼らのみが知ることであり、この時代の人間が知るはずはない……しかし。
(未来視の話もあったことだしな)
 綾瀬たちから、黒井正直なる未来視の件は聞いていた。
(彼同様、あるいはべつの方法でイヴの存在を知った者がいるというのか?)
 自分の携帯端末で検索してみたところ、たしかに、MEGという団体は実在している。一説によれば発祥は戦後まもなくの混乱期だとか。
 彼女たちもあのころに『飛ばされた』ことがあるが……あの食うや食わずの時代に、そうしたコミュニティが存在しえたのだろうか?
(いや、あるいは、ああいう時代だったからこそ……)
 人々は『無垢なる導き手』のビジョンに惹かれたのかもしれぬ。
「興味が湧いたようだね……?」
「まあな」つとめてそっけなく、御子芝はいった。
「貴様の仮説がどこまで当たっているかは、さだかでないが」
「もちろん、信じるかどうかは……君しだいだ。『ミレニアム・イヴ』とはまるで無関係なのかもしれないし」
「そもそも」少女はするどい視線を送った。「どういう風の吹き回しだ。貴様らしくもない?」
 以前はどうあれ、『今』の高千穂は、もはや当初の使命など忘れ去り、享楽的かつ野放図に生きたいとだけ願っているのではなかったか。
 それがすすんで情報を提供してくるなど、不審に思うなというほうが無理というものだ。
 高千穂はククッと含み笑いをもらした。
「ま……気まぐれさ。深い意味はないよ。せっかく珍しい知り合いが出来たのでね……ひょっとすると、君たちが興味を示すかもしれない、と思ったわけだ」
 ひょうひょうと語る高千穂を油断なく見やりつつ、御子芝は内心で、
(嘘をついてはいないようだが……すべてを語っているわけでもないとみえる)
 そう、感じていた。
「そういえば、十二人目がどうとかいっていたようだが?」
「ああ……」少年はうなずいた。
「『ME』の候補者は、各地にある計十二の支部から一人ずつが推薦され、選考されるのが決まりらしい」
「それで……?」
「その支部のひとつ、東京ロッジ……そこだけが、いまだに候補者を見つけていないそうだ」
 御子芝は眉をひそめた。高千穂の魂胆にうすうす気がついたからだ。
「貴様……まさか」
「べつに無理じいはしない」と、高千穂はあっさりといった。「だが、その組織について知るなら、内部に入りこむのが最適だと思うのだがね?」
 口をへの字に結んで、御子芝はぶらぶらと身体を揺らした。
(十二人目になれ、とはそういうことか……)
 どうも、ろくでもない予感がしていたが、いまもそれは止まない。それどころか、どんどん強くなってきている気がする。
 ただ情報を提供するだけならまだしも、ここまでくると高千穂がただの気まぐれで動いているとはとうてい思えない。
 この男にはこの男の了見があるにちがいなかった。それが何なのかは、むろんこの時点ではわからないが。
「どうするね……?」
 御子芝はなおしばしためらったが……しぶしぶ、首を縦に振った。
「よかろう、今回は貴様の目論みに嵌ってやろう……だが、せいぜい足元をすくわれぬようにすることだ」
「剣呑剣呑……」凄んでみせる御子芝を、高千穂は軽く薄笑いでいなす。
「それと、この件……綾瀬らには内密にしておけ」
「なぜ?」
「無用な心配はかけたくないのでな。……もともと、我らはイレギュラー。彼らには彼らのなすべきことがあるはずだ。この始末は、我らでつけるとしよう」
「ああ……わかった、そうしよう。それから……ちと、いいにくいことだが」
「なんだ」
「……すこし、太ったんじゃあないか?」
「な……」何を、といいかけて、御子芝は口をつぐんだ。
 何かが裂けるような、不吉な音が耳に入ったからだ。
「あ……」
 高千穂が何かいいだしたせつな……枝が、根元からへし折れていた。
 宙に投げ出された御子芝樹は、
(選考に水着審査はあるのだろうか?)
 などと、場違いなことを思いうかべていた。