リレー小説『ラスト・フォーティーン』 第五節「過ぎし日々の想い」/諌山 裕

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 乾燥し荒れ果てた大地――。
 砂塵をかぶって埋もれたアスファルトが、干上がった湖底のようにひび割れてささくれ立っている。かろうじて道路の名残とわかる道筋を、体全体をすっぽりと防護するスーツを着て、ひとりの人間が歩いていた。周囲には地を這うわずかばかりの緑と、人影のように起立したサボテンがあるばかり。
 徳川正樹は朽ちようとしている肉体に鞭打って、歩を進めていた。
 彼はもう二三歳だ。肉体は周りの大地と同じように痩せ、皺だらけになっていた。彼は、自分に残された時間が少ないことを自覚していたが、運命を恨めしくも思っていた。同世代の仲間の多くが、すでにこの世を去っていた。彼はプロジェクトメンバーの中では、数少ない古参となっていた。
 徳川は探しものをしていた。それは重要なものだった。
 彼は手に持った信号探知器で、かすかな信号を拾おうとする。
「このへんだと思うんだが……」
 軌道上からの探査で、可能性のある信号を拾ったのは二週間前だった。大規模な捜索が行われたが、探しものは発見できなかった。結果、バックグランドノイズとして処理され、捜索は打ち切られた。
 だが、徳川はあきらめていなかった。自分の直感を信じていたのだ。
「老いぼれていても、私の勘は鈍ってはいないぞ。安直に結論に飛びつくのは間違いだ」
 彼は自分をはげますようにいった。
 彼ら――綾瀬、神崎、桜井、津川――が過去に旅立って、三年の月日が流れた。時空確率転送機(ディメンジョン・プロパビリティ・テレプレゼンス)の研究者でありエンジニアでもある彼は、これまでにも多くの少年少女を行き先の保証のない片道旅行へと送り出してきた。罪の意識がないといえば嘘になる。自分が若い彼らを無意味に死に追いやっているのかもしれないと、常に自問自答していた。
 だからこそ、彼らの無事を確認することは、必要不可欠な罪滅ぼしだと考えていた。
 探しているものは、彼らからの――過去からのメッセージである。
 未来から過去にメッセージを送ること自体は比較的容易だ。ただし、狙った時間と場所に送ることが難しいのである。人を送るのと同様に、誤差が大きすぎた。誤差一年以内でなくては、受取人がいない可能性が高くなる。
 メッセージを、過去の無関係な人間が開く可能性は低い。開くための鍵として、受取人のDNAがコードとして使われているからだ。まったく同一のDNAの出現確率は、一〇〇〇万分の一から七〇〇〇万分の一とされている。二六世紀の人間のDNAは変異・改変されているため、過去の人間でDNAコードが有効な人間はもっと少ないのだ。誤ってコードが解除され、未来の情報を過去の人間が見ることはないと想定されていた。
 しかし、誤動作がないとは限らない。その安全策として、カプセルに内蔵するメッセージや収容物には厳しい規制が設けられていた。
 過去から未来にメッセージを送るには、極めて単純明快な方法しかなかった。メッセージを入れたカプセルを、地中に埋めるなりして未来で発掘するというものだ。単純だが不確実な方法でもある。五百~六百年もの間、無関係な人間に掘り出されず、劣化せず、なおかつ未来から持ちこんだタイマーが正常に作動して信号を出すのは、幸運の上にも幸運が必要なのだ。
 じつのところ、過去からのメッセージを回収した例はまだ少なかった。五百年の幸運に守られて残るメッセージは限られていた。
 過去にいる工作員からメッセージを受けとることが必要なのは、彼らの安全を確認することだけではなかった。もっと重要なことは、歴史の中に埋没してしまった、ターニングポイントを特定することであった。
 歴史は人間が作るものだ。そして人間の考えや行動が歴史を左右する。ある人物の生死のタイミングが、のちの歴史を変えてしまうのである。
 人類のルーツをたどっていけば、五〇〇万年前の古代のアフリカの大地に立ちあがった、原人のイブに遡ることができる。そのイブが子供を産む前に死んでしまっていたなら、歴史は大きく変わっていたかもしれない。
 同様に二六世紀の破局的な世界に至るきっかけとなったイブが、いつかの時代のどこかにいるはずである。彼らはそう考えている。
 二一世紀のイブ――。
 未来からの工作員に課せられた任務は、彼女――ミレニアム・イブを探し出すことでもあるのだ。
 徳川は防護スーツのヘルメット越しに、太陽を見あげる。有害な紫外線を浴びないための装備だが、窮屈で息苦しかった。
 彼はヘルメットを外す。
「いまさら、紫外線を浴びたからといって、たいした問題ではないな」
 外気に肌をさらすと、乾いた熱気が舐めるように当たってきたが、開放感も感じた。
 彼は深呼吸した。埃っぽい空気が肺を満たす。かすかに植物の青臭い匂いも混じっていた。
 ゆるやかな坂道を上ると、褐色に老朽化した数棟の建物が目にはいる。その手前に墓標のように立つ、背丈ほどの柱があった。表面に文字が彫られていた。
――私立 聖天原学園中学校
 彼は文字に触れ、なぞっていく。
「中学校か……。彼らが身を置くには、丁度いい場所じゃないか」
 信号探知器は、ノイズの中にわずかなピークを感知していた。この程度では自然界の放射線と区別するのは難しく、地磁気の乱れや鉱脈があれば同様の反応をするレベルだった。だが、彼はそれがノイズではないと確信していた。確信というよりは願望に近いものではあったが。
 徳川はかつての中学校の校庭へと、足を踏み入れた。

 開けられた窓から、いくぶん冷たい夜気が庭の緑の息吹を運んでくる。
 八月最後の週。来週は新学期となり、学園にも子供たちの喧噪が戻ってくる。夏の間、落葉樹が太陽の光をたくさん浴びて活気づくように、子供たちも十分に羽を伸ばしたことだろう。
 郷田は窓際に立ち、タバコの煙をくゆらせていた。
「彼らには、わしとは違う時間が流れているからな。同じ一ヶ月、一年でもまったく意味も価値も違う。わしには去年も今年も大差はないのだが……」
 彼は苦笑した。
 学園の敷地の一角に、彼の邸宅はある。三階建ての邸宅は、ややクラシックな趣の学園の建物と調和するようにデザインされていた。
 学園との境界には生け垣がある。赤い葉が際だつベニカナメモチ、ドウダンツツジは春に咲く釣り鐘状の白い花が可憐だ。高価な櫛の材料にもなるツゲ、常緑小高木のマサキ、こんもりとした入道雲のようなカイズカイブキ。それらが抽象的なアートのように配置されていた。
 だが、明確な境界ではなく、緑の多い学園の延長ともなっていた。彼の庭園は生徒にも開放されていて、昼休みや放課後にはくつろぎの場所でもあった。
 彼は窓際を離れると、ゆったりとした椅子に座る。そして、タバコを一本吸い終わるまで、思案げに空を見つめる。
 タバコを灰皿でもみ消すと、やおら立ちあがり、壁に掛けられた絵画の前に立つ。彼は額縁の端に手をかけて引く。扉のように開いた絵画の裏には、壁に埋めこまれた金庫があった。
 彼は首にぶら下げたペンダントを、金庫の前にかざす。ICチップを内蔵した電子キーが、金庫の液晶画面を点灯させた。彼が暗証番号を打ちこむと、金庫は開錠された。
 郷田は中から銀色のカプセルを取りだす。それは手のひらに乗る程度の大きさで、小型のボンベのような形状をしている。
 カプセルを持って椅子に戻ると、机の上にそれを置く。なんの変哲もない金属のカプセルのように見えるが、彼がそれを発見してから四〇年が経ったいまでも、錆びることも輝きが鈍ることもなく新品同様だった。
 彼の人生は、このカプセルとの出会いで決定的に変わった。
「あれは、わしが一四歳の夏だったな……」
 郷田は苦笑いとともに思いだしていた。
 現在学園のあるこの場所は、昔は雑木林の小高い丘だった。少年の郷田は、毎日のように林の中で過ごしていた。カブトムシを取ったり、ワラビやアケビや山芋といった山菜を取りに来ていたのだ。
 その日、彼は山芋を掘っていた。自生の山芋は細く、地中深くまで根を張っているため、慎重に穴を掘る必要がある。およそ一メートルほど掘ったところで、小さなスコップがガチンと金属にぶつかった。
 彼の頭をよぎったのは、不発弾ではないかということだった。第二次大戦中に米軍が落とした爆弾には不発弾も多く、二〇年、三〇年経ってから発見されることも珍しくなかった。彼の通う増築中の学校でも不発弾が発見され、大騒ぎになったのはつい先日のことだったのだ。
 彼は逃げようとした。しかし、土の中から少しだけ見えている銀色の輝きが、彼の行動を止めた。彼は恐る恐る銀色の物体を掘り出した。
 それが郷田の机の上に置かれたカプセルだった。
 彼は再びカプセルを手に取ると、両端をつかんでねじった。切れ目の見えないままカプセルは、中央から左右に回る。すると、冷たかった表面がわずかに熱を帯びてくる。やがてカチャリとカプセルがスライドして分離し、中身が現れた。中には光を発する球体が収まっている。
 光は一定の方向へと扇形に広がり、陽炎のように揺らぐ。彼はカプセルを机の上に戻した。
 陽炎は徐々に変化して、人の姿を形取っていく。ホログラムの映像だ。光の人物は痩せてひどく年老いていた。しかし、年老いているわりには顔つきが不自然に子供ぽかった。
 人物は郷田がなん度もきいたメッセージを繰りかえし始める。
『このメッセージは、君たち、綾瀬、神崎、桜井、津川の元に届くことを期待して送っている。
 私は徳川だ。あれから……もう三年経っているんだ。ずいぶん老けこんでしまったからな。
 君たちのメッセージは受け取ったよ。幸運だった。まず、君たちが無事目的地に着いたことで、私はホッとしている。着陸ポイントの場所と時間の報告は貴重なデータになった。今後の時空確率転送機の座標設定に役立つだろう』
 光の人物の隣に、そのデータが表示された。転送された人名、出現した地名、時間表示に続けて、意味不明の記号と数字が並んでいた。郷田はそれを見て、彼らの出現場所と時間を知ったのだ。
『この変数を手がかりに、君たちがいる学園に向けて通信カプセルを転送する。おそらくこの通信カプセルも、誤差数ヶ月でそちらに届くのではないかと思っているが……、確証はない』
 メッセージはさらに続いていたが、郷田はカプセルを閉じて終了させた。
 彼はカプセルから多くのことを学んだ。わからないことも多かったが、それが未来からのメッセージであることは確実だった。
 そして、未来から多くの少年少女たちが過去への片道旅行に向かったことを知った。自分が、聖天原学園中学校を設立するという未来も知った。彼はこれを自分に課せられた使命だと感じた。
 それ以降、彼は来たるべき彼らを受けいれるために、生涯を捧げてきたのだ。未来を知っていることは利点でもあったが、苦痛でもあった。新しく来た四人以前の挑戦者たちが、目的を果たせないことも知っていたからだ。
 受けいれた未来人に対して、彼は必要最小限の助力をするに留めた。安易に未来教えることは、けっしてプラスにはならないと判断したのだ。
 彼ら――綾瀬、神崎、桜井、津川――の未来については、郷田も知らない。彼はそれを可能性があることかもしれないと考えていた。これまでとは違うのだと。
 彼は窓辺へと歩みよる。
 生け垣の向こうには、学生寮から校舎へと続くポプラ並木がある。木々の間に並ぶアンティックな街灯の灯りの中を、四人の人影が小走りでよぎっているのが見えた。
 一目で彼らであることがわかった。外出禁止の時間帯になっていたが、彼らがなにをしに出歩いているのかは察しがついた。
 彼らが、未来へのメッセージを封入したカプセルを埋めたのは、今日なのだ。
「君たちのメッセージは、ちゃんと未来に届くさ」
 郷田は小声でいって、微笑んだ。
 彼と天空の月が、彼らをそっと見守っていた。