リレー小説『ラスト・フォーティーン』 第三節「決闘者たち」/大神 陣矢

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「まさか、お前とこういうことになるとは、な」
 少年は唇をゆがめ、手にした得物に力をこめた。
「……それは……こっちの台詞さ」
 相対するもう一人の少年は目を細め、身をかがめた。
「でも……もう、後戻りはできない」
「ああ……そうだな」
 双方のあいだに走るのは不可視の電光、膠着し飛散するのは激情の粒子!
 互いの距離をはかっていた両者だが、どちらからともなく、……動いた。
「……てっ!」
 叫んだのはいずれか、それすらも判別できぬ一瞬の交錯!
 そののち。
 夕映えの落とした影のなかに、ゆっくりと崩れていったのは……!

 ……と、その行方を見届ける前に、我々はことの発端を知る必要があろう。

「きみは、ひとを好きになったことがあるかい?」
 津川光輝は眉をひそめた。
 というのは、答えを求めた相手が返事をするどころか、飛びすさって部屋の壁を背につけたためである。
「あいかわらず……失礼な奴だな、きみは。何をしているんだ」
「何もへったくれもあるかっ」神崎達矢は声を荒げる。
「いきなり耳元でそんなセリフささやかれたら思わず逃げ出したくもなるっ!!」
 点呼も終わり、後は寝るばかりという寮の一室。そこでだしぬけにルームメイトに先のことばをささやかれれば、なるほどこの反応も無理からぬところか。
「フフッ……つれないね。ぼくらは一心同体の……同志じゃないか。いまさら他人行儀な」
「そういう問題じゃないっ」
「ま……そんなことはどうでもいいんだ。まだ、ぼくの質問に答えてもらっていないが?」
「あ? ああ、好きがうんぬんって話か? ……そりゃ、まあ……」
 ことさら強調されずとも、ひとを好きになることなど珍しくもない。『家族』のこともけっして嫌いではなかったし、理奈やのぞみ、光輝のことも好ましく思っている……
 そう告げると、光輝はそうじゃないとばかりに手を振った。
「そういう『好き』じゃあないんだ。……わからないかい」
「! それは……まさか!」
「そうだ……ぼくは……」
 豁然、まなじりを決する光輝。
「『恋』に興味がある!」
「…………っ!」
 瞬間、達矢は全身に衝撃が走るのを感じた!
「それは……だがっ!」
「ああ……覚悟の上さ……」
 恋!
 それは二六世紀人にとって、あまりにも剣呑な輝きを放つ概念であった!
 もはや自然生殖を不要とした人類にとって色恋沙汰は余技にすぎず、言うならば『手習い』の一環としてしかとらえられていない。
 かつて戦場でつちかわれた実戦的な武術が洗練され武道と呼ばれるようになっていたのと同様、実用性のない恋愛は形骸化していったのだ……
「しかし、この時代はそうじゃない……『恋』は、生きている!」
 たださえ熱っぽかった光輝の言に、さらなる熱気がこもる。
「ニ一世紀人にとっての『恋』はすぐれて実戦的だ。彼らは自分たちの『恋』に花を咲かせ、実をつけるためならば、いかなる手段もいとわない」
「まあ、それはわからないでもないが……」
 じっさい、達矢がこの時代に来てもっとも驚いたのは、人々の精神性の『荒々しさ』だ。
 老いも若きも、男も女も、みな躍動し、強烈な感情を撒き散らしながら生きている。
 それらは、洗練され尽くした二六世紀には見られぬものであり、達矢にとっても好もしいものだったが、ときには辟易させられることもすくなくなかった。
 とりわけ、『男と女』のあいだのことでは、それを強く感じる。
 誰それがあの子のことを好きらしい、いやあの子はなにがしとつきあっている、いやいやあいつは二股かけられている、本命はじつはこの俺なんだ……うんぬん。
 お前らの頭にはそれしかないのか? と問い詰めたくなったものだが、理奈らに聞いたところでは女子のそれは男子の比ではないという。まったく、世界は謎だらけというわけだ。
 それはともかく、彼らにとって色恋沙汰は『ご法度』のはずだった。
 この任務に就くさい、念入りに釘をさされていたのだ……

「諸君は『選ばれた』存在であり、いまさらとやかく言う気はない……が、これだけは強調しておきたい」
 ビジョンに浮かんだ人影が、整列した一同へ向けて言葉を続ける。
「ニ一Cの人間に、心を奪われてはならない。より厳密にいえば……恋愛感情などに身をゆだねてはならぬ」
「と、いうと?」
「数多の文献にあるように、人の感情……なかでも色恋沙汰はしばしば人を狂わせてきた。ときにはそれがもとで人死にや戦争すら起こったほどだ。君たちには、その轍を踏んでほしくないのでね」
「お言葉ですけど、あたしたち、十分に『訓練』は受けてます! 自分を見失ったりすることはありません!」
 理奈が形のよい眉を吊り上げたのを見て、ビジョン上の影が微笑を浮かべた……ようにも感じた。
「ああ、それは心得ている……が、しょせん練習は練習にすぎない。そのうえ、相手は洗練こそされていないとはいえ、『現代人』とは比較にならぬほど強力な感情の持ち主ばかりだ。甘く見ると……足元をすくわれることになろう」
「『恋』……か」
「以上だ……諸君の健闘を祈る!」

 達矢たちに与えられた期間は長くない。
 そのあいだに使命を果たさねばならないのに、恋愛などにふけっていてはいくら時間があっても足りるものではない。
 それは、光輝とて承知の上だと、達矢は思っていたのだが……
「ああ……もちろんそうだ。これは使命と無関係じゃない」
「え?」
「ぼくは二六Cの『現状』は、人という種がなにか大事なものを喪失したせいだと推測している」
 つと伸ばした手を達矢の肩に置き、ささやく光輝。
「それは何も、目に見えるものだけとはかぎらない……そうは思わないか?」
「それは……まあ」
「だろう? ぼくは、それを知りたいと思う……強くね」
 達矢の肩に、ギリギリと痛みが走る。
「だから、ぼくは『恋』をする! みずから体験することで……知るのだ!」
「わ。わかったわかった、わかったから離せ!」
「ああ……すまない」
 あっさり手をどけた光輝はふかぶかとベッドに腰をおろす。
「ったく……で? 具体的には、どうするんだよ」
「もちろん、恋をするのさ」
「といってもな……いったい誰に『恋する』んだ? 相手がいなきゃ、どうしようもないだろ」
「クククッ……なに、抜かりはない……」
 不敵な笑みとともに、光輝が一通の手紙を取り出してみせた。
 そこには『津川光輝様』とある……
「そ、それは、もしや!」
「そうだ……ぼくの『恋』を成すための使者が、これだ!」

 手紙の差出人は、彼らのクラスメイトの少女だった。達矢はさほど親しくもなかったが、悪い印象はない。
 だが思い出してみれば、しばしば光輝にむかって視線をむけていたような気がしないでもなかった。
「大事な話があるから、明日の午後5時に校舎裏まで来てほしいそうだ。……どう思うね?」
「どうって……まあ、普通に考えれば……いわゆる、告白ってやつか」
「たぶんね……さて、せっかくの機会を逃すのもばかげた話だ。ぼくはこの話に乗らせてもらう」
「けど、それは……恋ってのとは違うんじゃないか?」
「何故?」
「いやあ……おれのイメージだと、恋ってのはもっとこう……神秘的というか……」
 きみは思いのほかロマンチシストだな、と光輝はニ一世紀ふうに感想を述べた。
「だが、ぼくたちには、時間がない。……そのなかで最大限の成果をあげるには……回り道はしていられない……」
 達矢は無言で、光輝から目をそらした。

「……どういうことだ?」
 手紙に指定されていた場所に、光輝が時刻通りに着いたとき、そこに差出人の姿はなかった。
 代わりにいたのは……
「やっぱり、お前のやりかたは気に食わないってことさ」
 光輝は無言で達矢を睨み返した。
「……彼女は?」
「帰した。お前が急用で来れなくなった……ってことにしてな」
「おやおや」
 肩をすくめる光輝。
「いったい、何が気に食わないんだい、達矢くんは?」
「たしかに、おれたちには使命がある……が……それにしたって、やっていいことと悪いことがあるだろうよ」
「何が……いいたい?」
「お前は……彼女の気持ちを利用しようとした。あの子の純粋な慕情を! そいつが……おれには我慢ならないんだよっ」
 ふふん、と薄く笑う光輝。
「きみのことは理解しているつもりだったけど、どうやらそうでもなかったらしい。きみはぼくが思っていた以上に……いや……」
「とにかくだ! あの子との件はあきらめろ!」
「嫌だと言ったら?」
「こいつで……蹴りをつけるっ」
 と、隠し持っていた木製バットを取り出した達矢に、光輝は苦笑いで応じる。
「おいおい、まさかそれで殴り合おうというんじゃあるまいね?」
「そんなことはしない……この時代に即した勝負で白黒をはっきりさせようと言うのさ」
「というと?」
 達矢がさらに持ち出した三つの野球ボールを見て、光輝はさらに疑念の度を強める。
「……『野球』で勝負だ!」
「な……にっ!?」
 光輝は、絶句した。

 野球文化は二三世紀ごろにはほぼ消滅し、その後二四世紀初頭の『スポーツ復興』運動によっていったん復活したものの、往時の威勢を取り戻すことはついにかなわず、やがて歴史の波にさらわれていった。
 その原因のひとつは、野球が『格闘技である』という誤った解釈をされたせいでもある(その背景に、プロレスの乱闘などにおける凶器としてのバットなどの使用があることは否めないといえよう)。
 つまり、『野球とはピッチャーとバッターの一騎討ちである』と誤解され、ルールも『三球でバッターをダウンさせればピッチャーの勝ち、その前にピッチャーを倒せばバッターの勝ち』というアナ―キーなものとされたのである。
 そしていま、彼らは過去の決闘をそのさらに過去にて行おうとしていた!
「これでぼくが勝てば……文句はいいっこなしだな?」
 ボールをもてあそびながら、光輝。
「ああ。好きにしな」
 バットを握り直しつつ、達矢。
「なら……」
「……行くぞ!」

 先に仕掛けたのは、光輝。
「やっ……」
 気合一閃、ふりかぶって初球を放った。
(速い!)
 身をひねってかわす、達矢……
「ぐっ!?」
 突然、背中に激痛をおぼえ、達矢は身体を折り曲げる。
 避けたはずの球が、なぜか彼に直撃していたのだ。
「ふふっ……どうした?」
 微笑を浮かべながら間合いをとる光輝。
(変化球だと……?!)
 まさか、そんな高等技術を光輝が習得していようとは?
「きみだけが野球ファンではないということさ……」
 考える間もなく、第二球!
 達矢、なすすべもなく、立ち尽くし……
「う!?」
 だが一瞬ののち、悲鳴をあげたのは光輝!
 打ち返された球が、右足に命中していたのだ。
「ぐっ……まさかっ?」
「甘いな。握り方さえ見れば……球種は読める!」
 バットを杖がわりに立ちあがり、吼える達矢。
「ふっ……ふふっ、さすがに……年季の入ったファンは違うというところか! だが……それなら……真っ向勝負あるのみ!」
「おお……来いっ!」
 ぐん、と足をかかげる光輝。
 バットをかかげ、待ち受ける達矢。
「……てぇっ!!」
 解き放たれた白球が、風を裂いて飛び――
「…………!!」

 先に身を起こしたのは、達矢だった。
 額に手をやると、案の定、ぷっくりと腫れている。
 ――やはり、ヘルメットは必須らしいな。
 痛みをこらえながらそう述懐していると、光輝のほうも起き上がってきた。
「くっ……」
 どてっ腹に、達矢の投げたバットがめり込んだのだ。苦しげなのも道理ではあった。
「大丈夫か?」
「そんなわけが……ないだろ」
「それもそうだ」
「まったく……」
 ふう、と光輝は息をついた。
「しかし……引き分けか? これは」
 だろうな、と達矢はうなずき、また寝転ぶ。
「ダブルノックダウンってとこだろ」
「ああ……」
 光輝もそれにならい、寝転んだ。
「ぼくは……」
「ああ?」
「ぼくは。焦っていたか?」
「かもな」
「……使命を果たすためなら……歴史を動かすためなら……何をしても許される、と思っていた……」
「ようは、ひとりでなんでも背負い込もうとするなってことさ……」
「え……」
「他人を傷つけたり……苦しめても……やらなきゃいけないことは、あるだろう。だからって、それをお前ひとりが引き受けることはないさ」
「…………」
「おれたちは……チームだろ? 個人戦じゃない。チームで……『勝利』を、つかみに来たんだろうが」
「そうだ……な」
 それを告げるために、わざわざこんな馬鹿げたやりかたをする。
 神崎達矢は、そういう人物。
「きみはつくづく……ぼくが思っていた以上に……」
「何だよ?」
「いや……」
 どこまでも広がる、朱に染まりゆく空から、光輝は自分の目を隠した。
「……バカな、男……だ」