リレー小説『ラスト・フォーティーン』 第十節「二十六世紀の肖像」/皆瀬仁太

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 寮の窓から差し込む陽が、奥のベッドまで届いていた。いつのまに群れたのか、秋あかねが景色に色を加えている。ついっと線を引くように飛ぶ幾百のその姿にのぞみは目を奪われていた。
(あかとんぼ、か)
 童謡が浮かぶ。郷愁感を誘うメロディと姉が十五才で嫁いでいったという歌詞が少し切なかった。
 のぞみも来年十五才になる。同時に激しい老化がはじまるだろう。老化遅延措置のできないこの時代では、あっという間に肉体の自由は奪われてしまうだろう。遺伝子に手を加え続けて来た人類の、それが末路なのだ。
 その末路を変える。そのために彼女たちはこの時代に来た。歴史を閉ざしてしまう芽ともいえる「ミレニアム・イブ」を見つけ、その芽を摘み取る。これが彼らに課せられた任務だ。それは新しい歴史を創るということであり、破滅を目前に控えた二十六世紀の多くの若者の生きている証でもある。
 何かをせずにいられない――いつの時代にも共通する若者の思いがこのプロジェクトを成立させているのだった。
 だが……。
(もう二カ月になるのね)
 一年にも満たない時間の大半を学園生活に費やすことに果たして意味があるのだろうか?
 それが任務だと自分を偽りながら、楽しんでいるだけなのではないか?
 先日の高千穂涼との一件以来、新たにそんな迷いをのぞみは抱えていた。
 ドンドンと手荒なノックの音がした。ほぼ同時にドアが開かれる。
「のぞみいるか……なんだ浮かない顔して。まあ似合わないでもないけどな」
 達矢だった。相変わらずノックの返事を待たない。いや、ノックをするようになっただけマシなのかもしれない。
「お、あかとんぼ。凄い数だな。疑似体験プログラムのときは四~五匹しかいなかったもんな。今度、あっちの連中に教えてやろう。ところでさ、ちょっとおもしろい情報を見つけたぞ」
 達矢は言葉を切って、ふふんと笑った。焦らしているつもりだろうが、スポーツマンらしい精悍な顔が「言いたくてうずうずしている気持ち」で輝いている。
「まったく」
 のぞみの頬が緩む。なんとかなる、と端から信じて疑わない達矢は、チームの元気の素だった。
 君のメンタリティはこのプロジェクトにじつによく適合している――光輝がからかい半分で達矢を評した言葉をのぞみは思い出していた。

 学園会長の郷田が、パソコンを彼らの部屋に割り当ててくれていた。この時代の最新機種とのことだが、起動に時間がかかることに彼らは驚いた。
「ノイマンタイプはやはりだめだな。もっとも牧歌的な時代の象徴かもしれないが」
 光輝らしい評価であった。
 そのパソコンがすでに立ち上げてある。どこかのホームページが開かれている。
 光輝と達矢の部屋に四人は集合していた。御子芝は何か調べることがあるとかで当分留守にする、とのことだった。
「情報収集にはやっぱりパソコンだよな。こっちのインターネットなんてまだ大したことないけど、それでもかなりのネタを仕入れられるぞ。光輝がマシン言語体系、完全にマスターしたから、これからはハッキングしほうだいだ」
「そんな簡単なものではないよ」
 光輝は苦笑した。
「まあ、いいってことよ。で、それとは関係ないんだけど、おれが偶然に見つけたページがあるんだ。まず、それを見てくれ」
「もったいぶるわね。早くしなさいよ」
 理奈が口を尖らせる。
「わかった、わかった」
 達矢はマウスをクリックした。
「あら、ずいぶん手つきがさまになってるじゃない。なにに使っておぼえたんだか」
 理奈がからかう。二十六世紀のデバイスにマウスは存在しないのだ。こんな使いにくいもののマスターは光輝にまかせるよ、と達矢はまったくヤル気を見せなかったのだ。
「うるさいな。いいから黙って見てろよ」
 達矢が何度かクリックすると、画面いっぱいに映像があらわれた。
「これって!」
 理奈は絶句し、のぞみも同様に言葉を失っていた。
 荒廃した都市。砂漠化した大地。「ある終末」と題されたそれは、まぎれもなく二十六世紀の新宿の姿だったのだ。

「偶然の可能性は?」
 理奈がまず口を開いた。
「これくらいの絵は想像で描いたっておかしくはないわよね?新宿のビル群は現にいまあるんだし」
「そうね、わたしもそう思うわ。けど……」
「けど、なによ?のぞみ」
「まあ待てよ。もっと、おもしろいことがあるんだぜ」
 達矢が目を輝かせた。自分の発見を説明したくてしかたないのだ。
「このページの作者はさ、どんなときに閃いたとか、いつ書き始めたとか、そんなこともアップしてるんだ。いいか」
 達矢がクリックすると、日記のようなページがあらわれた。
「もしやと思ってこれをたどってみたんだけど。ほらここ」
 そこには、「天啓のように終末の都市の姿が降りてきた。リアルだった」などと書かれていた。
「この日付だよ、問題は。おれたちが忘れようのない日付」
 七月十五日。
 それは彼らがこの世界へ到着した日に書かれたものだったのである。
「ここからの説明は光輝の出番だ。たのむぞ」
 達矢にポンと肩を叩かれ、光輝は肩をすくめた。
「これはあくまでぼくの推測だ」
 光輝はいつもの落ち着いた口調で話し始めた。
「未来から多くの若者たちが過去を目指してジャンプした。だけど残念なことに、あるものは量子レベルの藻屑と化してしまった。さて記憶もひとつの存在であり、それも量子レベルで弾けたとすると」
「……ひょっとして光輝の言いたいのコピー理論?」
 理奈が形の良い細い眉を少し吊り上げながら疑わしげな口調でいった。
 量子レベルで分解された記憶が人の脳を通過するときに、そのコピーを残してゆく、という理論だ。コピーというよりは量子のシンクロナイズと表現するほうが正しいのだが、分かりやすさからコピー理論と呼ばれている。
 が、実験でもなかなか再現性が認められないことと、もともとがテレパシーの説明という超心理学的な分野から提唱されたものであったため、眉唾ものと世間一般には考えられていた。
「ぼくもコピー理論を信じてはいないけど、そう考えると納得がゆく。むしろコピーは未来予知みたいな形で表にあらわれるのはまれであって、潜在的に残るのじゃないかと」
「うーん……。どうかなあ」
「ねえ、仮に光輝が正しいとするとどういうことになるの?」
「のぞみ、そいつは簡単さ。つまりミレニアム・イブなら必ずこういう記憶を持っているはずだってこと」
 達矢が得意気に口をはさむ。
「……どうしてそういう結論になるの?」
「だってそうだろう? どんなことだって絶対どこかにつながってるんだよ。おれたちがここに着いたことだって、もしかしたらジャンプに失敗したたくさんの人だって、歴史を創るための一つなんだ。郷田さんがサポートしてくれておれたちはこの学園にいる。御子芝さんもここへ来た。そういうことの一つ一つが全部ひとつの方向を指しているに違いないのさ」
「その考え方はあながち的外れでもないな」
 光輝が引き継いだ。
「もっともミレニアム・イブのことは、飛躍がすぎるけどね。問題はそうやって未来を織り込みながら、この歴史がどこに向かうかなんだ」
「いい方向に決まってるさ。そのために来てるんだ」
 達矢の言葉に三人は苦笑したが、それは好意的なものだった。
「ま、推測はそれくらいにして、とりあえずこのホームページの作者にメールを出してみよう。なにか分かるかもしれない」
 光輝の提案に反対する者はいなかった。

 過去と未来の因果関係は二十六世紀でもほとんど解明されていない。それが分かっていれば、ミレニアム・イブを探すことはさほど難しくないはずなのだ。
 だが、達矢の言葉はチームに大きな活力を与えた。このままでいいのか? と悩んでいたのぞみも、なにかが吹っ切れたような気持ちになっていた。
 コピー理論が正しいにせよ、間違っているにせよ、ひとつの手がかりには違いないと思うのだ。
 ただひとつだけ、いいそびれてしまったがのぞみが気になっていることがあった。
「ある終末」のアングル、それはのぞみが破れた窓から恐る恐る見下ろした新宿の街そのものだったのである。