リレー小説『ラスト・フォーティーン』 第九節「文化祭への道」/森村ゆうり

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 九月とはいえ、秋の気配など微塵も感じさせない暑い日が続いていた。
 学園では十月初めに開催される文化祭に向けて、生徒も教職員も準備に余念が無かった。聖天原学園中学校の文化祭は、一般的な中学校の文化祭と比べてかなり立派なもので趣向も凝らさせる伝統がある。
 大学の学園祭程とまではいかないが、下手な高校の文化祭よりは楽しめるため、お客も多い。理事長の方針から、父兄だけでなく地域の人たちにも開放される。
 見学者の内訳は、近隣の人たちは言うに及ばず、聖天原学園に我が子を入学させたい親や予備校や塾の関係者までと多岐にわたる。学園側としても多くの生徒を集めるための宣伝材料の一つとして力を注いでいた。
 おかげで、文化部の顧問を持ってる教師は連日かなり遅くまで学校に残って生徒たちを指導している。
 菅原拓郎もその例外ではなく、料理研究会と手芸部の指導に追われ、おまけにこっそり入れ知恵指導している文芸部のSF好きな生徒の同人誌作りにまで借り出され、身体が三つほど欲しい気持ちが日に日に増していた。
 調理実習室では、料理研究会の生徒十五人と見学者一名が全員出席しての話し合いの最中だった。もちろん菅原も同席している。
 今日は当日の係決めとメニューの最終決定をするための話し合いだが、基本的に教師の菅原は生徒の自主性を尊重し、話し合いに口を出すことはない。調理中や食材選びには大いに口を出すが、他のことは生徒たちに任せているのだ。
「桜井さんは転校生で途中入部だし、まだ日も浅いから、とりあえず一年生の四人と一緒にウエイトレスということでいいかな?」
 三年生で部長の渡が、部員たちに訊く。
「のぞみさんがそれでいいなら……」
 のぞみと同じ学年の栗林里美が言う。
「わたしはその方が助かります。うちのクラス、舞台発表で劇をやるんですけど、わたし脚本担当してて、やっと完成したところなんです。手直ししたりもすると思うし、調理の方の下準備とかあまり手伝えそうにないんです」
「じゃ、この件は終わり。次は神崎君だけど君はもちろんウエイトレスだからね」
 部長は少しにやにやしながら達矢に言い渡す。のぞみの時は、一応、疑問符が付いていたが達矢に対しての発言は肯定の返事しか受け付けないぞという響きがありありと出ている。
「えっ、おれ、ウエイトレス? この世界って喫茶店のお運びさん、男も女もウエイトレスって言うんだっけ?」
「男はウエイターでしょ」
 部長がきっぱりと言いきった。
「んじゃ、おれ、ウエイターだよね」
「いいえ、ウエイトレスよ」
 またまた部長がきっぱりと言う。
 菅原はその様子を見ながら、笑いをかみ殺していた。この渡という生徒は、部長を任されるだけ合ってリーダーとして他の生徒を引っ張っていく力もあり、調理の技術も中三としてはかなりの腕を持っているのだが、妙な趣味を持っているのだ。菅原は料理好きのSFオタクだが、彼女は料理好きのBL(ボーイズラブ)オタクで達矢がのぞみに付き添うように料理研究会の見学に来たときから、絶対入部させて文化祭でウエイトレスの姿をさせようと、手をこまねいて待っていたのだ。
 彼女の野望にうすうすながら気が付いていた菅原だったが、いよいよその時が瞬間がやって来たのである。他人にふりかかるこの手の災難は非常に楽しいものだ。見逃す手はないと、興味津々でことの成り行きを見守っている。
「ウエイトレスって……」
「しばし待たれよ。……じゃない。ちょっと待って」
 見学者一名が声を上げた。
「なんですか、御子芝さん」
 最近、突然やってきた交歓留学生という触れ込みの御子芝樹が発言の主だ。日系人なせいか日本語は極めて流暢である。時々、時代がかった言葉使いをするが、母国で日本の時代劇ドラマを見て日本語を学んでいたせいだという。
 九月も半ばを過ぎたころ、またまた突然二人の交歓留学生がやってきたのだ。一学期末の転校生もそうだが、理事長がからむ生徒の受け入れはいつも唐突だ。普通なら職員である菅原などは、もっと前から留学生受け入れの事実を知らされているべきだろう。
「神崎殿……ではなくて、神崎君は男子ですが、女の姿をさせるということですか」
「その通りです」
 部長はやる気満々だ。
「なるほど……。では、私はウエイター役をやらせていただこうか」
「あら、御子芝さん、素敵なアイディアね。御子芝さんならウエイター姿、凛々しくていい感じになりそうだし」
 部長を煽るような御子芝の発言に、菅原は堪えきれずとうとう吹き出してしまった。生徒の数人がそれに気づいて、菅原の方をちらちらと視線をおくっている。
 その視線には教師なら笑ってないでなんとかして下さいよ。の気持ちが詰まっているようだ。
「あのう。それじゃあ、わたしもウエイター姿の方がいいのかしら?」
 のぞみが遠慮がちに訊いてくる。
「桜井さんはウエイトレスがいいのよ。絶対、その方が似合うから。世の中、向き不向きがあるのよ」
「はあ……」
 樹とのぞみではどう違うのか、のぞみには全く理解できなかったが、部長の言葉には他者に有無を言わせない力があった。
「じゃ、おれもウエイターの方が……」
「ウエイトレス!! 桜井さんと神崎君に似合いそうなウエイトレスのコスチュームももう用意してあるし、大丈夫よ」
 何が大丈夫なんだか不明である。
「渡、文化祭は有明のイベントじゃないんだからな。まぁ、しかしだ」
 そろそろ口をだすころ合いだろうと、笑いながら傍観していた菅原が動きを見せた。
「面白い案だと思う。どうだ、神崎。そんなにウエイトレスは嫌かい?」
「はあ。嫌というか、想像できないというか……」
「なにごとも経験だ。嫌でなければやってみるといい」
 達矢にしろのぞみにしろ、未来からやって来た彼らにとって、その言葉は説得力がある。
 破滅的な未来を変えるために自分たちができることは、何でもしなければならないという使命に燃えてこの二一世記にやって来たのだ。一見ばかげたことのように感じることでも、巡ってきたチャンスは全て自分たちのものにしていかなくては、未来を変えることなど到底できはしないだろう。
「分かりました。おれ、やります。ウエイトレス」
「決まりね。今年の文化祭は楽しくなりそうだわ」
 一人悦に入っている部長の渡をしり目に、他の部員たちは早くメニュー決めに移りたいと心底思っていたのだった。

 料理研究会の話し合いがお開きになった調理実習室に残っていた菅原の元へ、転校生の二人と交歓留学生がやって来た。
「どうした?」
 神妙な顔つきで自分に近づいてくる生徒三人に向かって菅原が言った。
「渡部長って、いったいどういう人なんですか?」
「おれ、渡部長は優しくて料理上手な先輩だって思ってたんですけど……」
「物の怪にでも取り憑かれたような勢いであったな」
 三人は口々に今日の渡の様子に付いて話はじめる。
「まぁ、落ち着いて。とにかく座って、コーヒーでも飲もうよ」
 菅原は調理実習室の奥にある家庭科教官室へ三人を案内して、休憩時間に飲むためのコーヒーを三人にも振る舞ってくれた。
 コーヒーの良い香りが教官室いっぱいに広がると、落ち着いた雰囲気が生まれてくる。
「君たちは、外国で暮らしていたらしいからあまり知らないのかもしれないけど『オタク』って言葉、聞いたことないかな」
「聞いたことはあります」
 達矢が答えた。
 三人は、二一世紀を訪れるために受けたシミュレーションの中で、その言葉を聞いたことが合った。シミュレーションの中では、一つのことに拘りを持ち探求し極めた人たちのこと指していたが、長い時間の経過に連れ言葉のもつ意味やニュアンスが変わってくることは充分考えられる。シミュレーションはシミュレーションでしかなく、現実とは違うものなのだ。
「彼女は、そのオタクなのさ。この一言で片づけられるのは、渡も不本意だと思うけどな」
 菅原は自分も椅子に座り、コーヒーを飲みながら話を続ける。
「僕もオタクだから彼女の気持ちが分からなくもない」
「えっ、菅原先生も女装趣味が……」
 のぞみが心底驚いた声をあげた。
「オタクにもいろいろ合って、僕はSFが好きなのさ。この部屋みて、そう思わなかった?」
 三人はぐるりと教官室を見渡した。家庭科の教材の他にも沢山の本やDVD、天球儀に正体不明の機械もどきが所狭しと置かれている。
 技術・家庭科の常勤教師が一人しかいない学園だからこその私室化だ。
「宇宙とか未来とか科学とか……。僕が心引かれるものをいろいろ置かせてもらってる。DVDは被服室のスクリーンで見ると迫力なんだぞ」
 菅原は力を込めていった。
 その姿は、確かに先ほどの渡の様子に少し似ているかもしれない。
 三人は思う。
 もしも自分たちが未来からやって来たことを知ったら、菅原はどういう反応をするのだろうか。菅原の好きだという、SFを地で行っている存在の自分たちが負っている使命に付いて話したら、どんな言葉をくれるのだろう。
 現実には語ることのできない自分たちの身の上を話して、力になって欲しい。そんな気持ちが三人の胸に沸き上がる。
「とにかく、渡には悪気はないし、優しく料理上手なのも事実だ。オタクは巧く使えばいろいろ役に立つことも多いもんだよ」
「役に立つ?」
「そう、普通、知らないようなことまで知っていたり、思わぬ特技を持っていたりな。渡はきっとコスチューム自分で作ってるはずだぞ。彼女は洋裁も得意だからな」
 菅原は笑いながらそう言った。
 役に立つ。
 それならば、未来をも変えてくれたりはしないのだろうか。
 漠然とそんな思いが彼らに去来する。どんな可能性にでも縋り付きたい彼らの必死さが痛々しい。
 三人の手に握られたマグカップからは、熱いコーヒーの湯気が立ち昇っては、教官室の空気と同化して消えてゆく。それはまるで、全く掴むことができない手がかりのようだった。