リレー小説『ラスト・フォーティーン』 第二八節「グッバイ、フレンズ」/大神 陣矢

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 ゴロゴロと何かが鳴っている。
 何の音だ。
 それは自分の腹の音だ、と気づいた。
 ひどく寒い。
 なんだ。この。寒さは。
 それは、命が流れ出ているからだ、と悟った。
 頬に何かがこぼれた。とても、あたたかい。
「達矢」
 涙まじりの声。哀しそうな、声。
 そんな声は。聞きたくないのに。
「達矢」
 手をのばした。あたたかいものにふれた。
 それは、いつだってそばに感じていたかったもの。
 この手に抱いて、守りつづけたかったもの。
「さよなら」
 遠い声。
 いつの、誰の、声だったのだろう。
 それきり、神崎達矢の意識はとぎれた。

 発端は、光輝がもたらした情報だった。
「『J3K』。聞き覚えがあるかい?」
 郷田邸の地下室に集まったメンバーたちの顔を見やりつつ、光輝。
「ジェイスリーケー……? ああ、そういやそんな名前のアメリカ大統領がいなかったっけか?」
「バカ。それを言うなら、Y2Jだろ?」
 何を言ってるんだ、とアンドルーが呆れ顔で達矢とゲーリーを見た。「大統領はJFKだ。まったく、お前らはムダな知識ばかり貯めこんでいるな」
「ちぇっ、そういうお前さんは心当たりがあるのかよ?」
「いいや。いずれ何かの略称だろうが?」
 うなずく光輝。「あるいは、ぼくたちの命運を大きく左右するかもしれない存在だ」
「というと?」
「まずは順を追って話そう。理奈たちに、御子芝さんの荷物をあらためてもらったところ、気になる資料が出てきた。その写しが、これだ」
 と光輝が配った用紙には、おそろしく達筆で書かれたリポートが記されていた。
「なにこれ? 全然読めないんだけど……暗号文?」
「ぼくもあまり自信はないな……のぞみ、読んでくれないか?」
 ジャネットの抗議に応じて、光輝がうながす。軽く首肯したのぞみは、姿勢を正して朗読をはじめる。
「『J3Kにかんする報告書……そもそも、J3Kとはジャンパー・フロム・3000、すなわち西暦三○○○年代からのジャンパーの意にほかならない』」
「なに……三十世紀ぃ!?」
「静かに聞けよ」
「『彼等は自分たちが三十世紀から送りこまれた使者だと確信しており、自分たちの使命は来たるべき破局から人類を守ることにある、と考えている』
『彼等はもともと通常の市民生活を送る一般人(余談だが、彼女たち――そう、J3Kは女性しかいない――は「一般人」という言葉をひどく侮蔑的に用いていた)にすぎなかったが、ある日とつぜん、自分たちが「三十世紀人」であることに気づいたのだという。肉体は二一世紀人のものだが、精神は未来から送りこまれた三十世紀人のものである、というわけだ』」
「意識のみのジャンプ……!?」
「いいから聞けよ」
「『彼女たちはおなじ「未来の記憶」をもつ同志で集まり、さまざまな活動を行っていた。それは月に一度ばかり集会をひらいて親交を深めるとか、ウェブページやパンフレット、同人誌などを作成して自分たちの主張を訴えるといった、それこそサークル活動の枠を出ないものであった』
『であった、と過去形にしたのは、最近その傾向が変わってきたと見るからである。先ごろ、彼女たちは集会の数を減らし、代わりに合宿と称して数日あまり泊り込みで何らかの行為に没頭しているようだ。それが反社会的なものかどうかは現段階では知るすべがないが、彼女たちの中にはこのため体調を崩したり社会生活に支障をきたしているものもすくなくない』
『私の推測では、新たに強力なカリスマ性をもつリーダーが誕生し、彼女たちをよりカルトな傾向へと導いているものと考えられる』
『さて、彼女たちは本当に三十世紀人であろうか? 私の推測をいうなら、これはただの妄想であろう。若いうちは誰しも「他人と違う」「他人より優れている」ことを望むものだ。未来の記憶をもつ自分たちは超越者である……あってほしい、という願望の具現化とみる』
『が、たとえそうであっても、すくなからぬ人数が同時期に「未来からのジャンパー」と称するというのも解せない話だ。何しろ彼女たちはDPTの存在も知っていたのだ』
『してみると、彼女たちの大多数は妄想であるとしても、ひとり、あるいは数人は、本物のジャンパーである可能性も否定はできない。本格的に密偵してみる価値はあるかもしれぬ』……以上です」
 一同は顔を見合わせ、むう、とうめいた。
「御子芝さんは年明けにでも調査を始める予定だったらしいが……残念ながら、それは不可能となった。さてそこで」
 と光輝はふたたび一同の顔を見渡した。「どうするね? ぼくは、この一件、なかなか有望だと思うんだが」
「有望ねぇ……」
「どのみち、」と理奈。「ほかにさしあたって手がかりもないんだし、当たってみるのもいいんじゃない?」
「といっても」とキャサリンが反駁した。「うかつな行動は危険だと思うけど?」
「危険は覚悟の上よ。……それとも、怖いわけ?」
「なんですって……?」
 まぁまぁ、とのぞみが制止する。「探りを入れてみるくらいなら、問題ないんじゃない?」
「そうだな……。だが、どうやって? 手づるはあるのか」
 もっともなアンドルーの疑問に、光輝が答えた。「ああ。これまた御子芝さん情報だが……『J3K』のなかに、この聖天原学園の卒業生がいるらしい」
「なるほどね。それならツテはあるわけだ?」
「ああ。幸いにもというか……君たちは面識もある」
「え…………?」
 少女たちは、訝った。

「おひさしぶりです――」
「ふふっ、そんなにかしこまらなくても」
 ふかぶかと頭を下げたのぞみに、喫茶店『フォリ・ア・ドゥ 』の一席についた少女は優しげな視線をむけた。
「ここの紅茶はなかなかいけるのよ。いい香りでしょう?」
 ええ、とうなずいたのぞみはカップを手に風味を堪能しつつ
「あの、今日はお忙しいところ、お時間をとっていただいてありがとうございます、高原さん」
 ふふっ、とほほ笑んだ高原涼子はみずからも紅茶を一口すすった。
 高原涼子――先代の『ミス・マリア』であり、のぞみとは学園祭のおりいちどだけ面識があった。
「気にしないで頂戴。かわいい後輩からのお誘いだもの。断われないでしょう?」
 そう……御子芝レポートにあった『聖天原学園OGのJ3Kメンバー』とは、彼女のことであった。もっとも御子芝も断定はしておらず、『可能性が高い』とだけしか記していなかったが。
 それを知った彼女たちは驚愕したが、ともあれ学園を通じて連絡先を知り、こうして面会にこぎつけたのである。
「さて、それじゃ用件を聞きましょうか? 電話じゃ、ミス・マリアにかんする話だといっていたけれど……?」
「あ、はい、そのですね……」
 高原との接触のための口実として、ミス・マリアという立場について相談する、というものを選んだ。もっとも自然なところだろうと思ったからだ。
 加えて、彼女は単身で高原に会うことにした。当然、理奈たちは反対したが、
『大勢で会うと、あちらも警戒するかもしれないでしょう?』
 という主張には、うなずかざるをえなかったし、
『これはのぞみが適任』
 という認識もあった。のぞみは男女を問わず、人好きがするところがあるし、一見気弱そうにも見えるから、相手も油断するだろう――というわけだ。
「わかった。まかせるわ。……でも、無茶はしないでよね?」
 理奈は釘をさした。のぞみが見かけによらず、つよい意志の持ち主であり、ともすれば突出しがちなところすらあることを彼女は心得ている。
「うん。了解」
 のぞみはにっこりほほ笑み、うなずいてみせた。
 ……そんなやりとりがあったわけだが、高原と言葉を交わすうち、のぞみはおもわず任務を忘れそうになるほど、彼女の挙措に惹かれるところがあった。
 年齢的にはほんの二歳ほどしか離れていないのに、なにげない立ち居振舞いがかもしだす女性らしさ、あでやかさはどうであろう。身近な女性でいえば立原がもつ大人っぽさとも御子芝がもっていた凛然さとも異質な、可憐としかいいようのない香気である。
(こんなひとが、妄想にとらわれたりするものかしら?)
 のぞみは疑念をいだかずにはいられない。
「……ええ、そうですね。男子生徒からは……その、よく、手紙をもらったりしますけど」
「でしょうね。私も大変だったもの。もっとも、彼氏をつくったら途端に収まってしまったけどね」
「ははあ……」
「桜井さんは、彼氏はいないの?」
「ええ……」のぞみは、苦笑いした。「好きなひとは、いたんですけど……」
「その口ぶりだと、失恋したわけだ?」
「そう……そうですね」
「ごめんなさい、ちょっと無神経だったかしら?」
 うつむきがちになったのぞみに、高原が心配そうな声をかける。
「いっ、いえ。もう、平気ですから」
「そう? でも、恋はなんどしてみても……いいものよ。あれほどひとを成長させてくれるものはないのだから」
 と微笑した高原は、いたずらっぽくウィンクして、「それなら、うちの弟はどう? 外見はなかなか悪くないわよ――性格はともかく」
「え……弟さん?」
「ええ。聖天原の生徒なんだけど……」
 ……小一時間も話しただろうか。高原はしばし中座して、申し訳なさそうな顔で戻ってきた。
「ごめんなさいね、ちょっとこれから用事ができてしまって……」
「あ。いえ、そんなこと。ありがとうございました」
「ふふ、すこしは参考になってくれたらいいのだけれど。またいつでも連絡して頂戴……あ、メールアドレスも教えておくわね。桜井さんのも教えてもらえる?」
「あ、はい。もちろんです……」
 こうして、布石は打たれた。

 のぞみはそれから日をおかず、何通も高原とメールのやりとりをおこなった。
 むろん、最初はごくひかえめではあったが。
 しかし、次第にそのやりとりは頻繁になり、内容もまた深度を増していった。
 自分の悩みを打ち明けるのぞみに対し、高原は、『自己の清浄化』を説くようになった。
 それは、誰しもがもつ悪しき部分、醜い部分、汚れた部分を断てば、清浄で悩みなどない自己を得ることができる。そしてそれを広めることが、結果的に世界をも浄化することにつながる――というもので、それは御子芝レポートにあるところの『J3K』の主張とぴったり合致するものだった。
(彼女が『J3K』のメンバーであることは、まちがいない)
 とはいえ、このままではらちがあかない。よほどのことがなければ、彼女も機密を漏らしたりはしないはずだ。
(そろそろ、こちらから仕掛けてみようか?)
 そんなことを考えながら、図書館へ通じる廊下を歩いていたとき。
 ふいに、呼びとめられた。
「焦りは禁物だよ、センパイ――」
 驚いて振り向いたのぞみが見たのは、壁によりかかった男子生徒だった。
 見覚えのない顔……のはずだったが、どこか懐かしい面影がある……。
「あなたは……」
 少年はゆらりと歩み出すと、無邪気な笑顔をむける。
 のぞみは、知らず、頬が火照るのを感じた。
「はじめまして、ミス・マリア。もっとも、ボクの姉さんとはお友達だよね?」
「姉さん……? あっ!」
 このときはじめて、のぞみは気づいた。誰かに似ていると思っていたが……。
「高原さんの弟さん……?」
「えぇ。高原涼樹(すずき)といいます。よろしく、センパイ」
 ふたたび、無邪気にほほ笑む涼樹。
 のぞみは返事も忘れていた。彼の笑顔に見入っていたのだ。

「やれやれだわ、もう……」
「そうね……」
 理奈は自室に寝っころがってぼやいた。
 『御子芝レポート』はもとより『J3K』にまつわる情報ばかりではなかった。それ以外にも、なんらかの関連がありそうな報告が多数あったのである。
 理奈らは手分けしてその調査にあたっていたが、これまでのところ明解な成果はゼロだった。
「あーあ、八方ふさがりって感じよねぇ」
「そうね……」
「ったくもう、こっちに残された時間はすくないってのに……」
「そうね……」
「ねぇのぞみ、そっちはどんな塩梅?」
「そうね……」
「…………?」
「そうね……」
「って、あたし何にも言ってないんだけど」
「そうね……」
 理奈はベッドに腰掛けているのぞみに目を向けた。その視線はうろうろと宙を泳いでおり、それにつれて身体もくらくらと揺れている。
「……のぞみ?」
「そうね……」
「…………」

「やぁ、センパイ」
 屋上で物思いにふけっていたのぞみは、ぎくりとして身をこわばらせた。
「高原君……」
 涼樹は変わらぬ無邪気な笑みをうかべたまま、のぞみのすぐ隣まで歩み寄っていた。
「考えごとですか? いいですねぇ。美少女の憂え顔というのは。惹かれるものがあるな」
 のぞみはすこしうつむいた。その憂色の原因を、いまはいえない。
「そういえば、姉さんは元気ですか」
「え……?」
 要領を得ないようすののぞみに、涼樹は朗らかな笑みをくずさず、「ああ……ボクは姉さんとはあまり連絡もとらないもので。寮住まいだし。何をしているやら、ですよ。まァ、それはあちらもおなじだろうけど」
「そうなんだ……」
 この姉弟はあまり仲がよくないのかもしれない、とのぞみは思った。
「姉さんもボクも、我がつよいですからね。まあ、きょうだいってのはそんなものでしょうけれど」
 そのあたりの機微は、そもそも『きょうだい』という概念のない世界で生まれたのぞみにははかりかねるところだった。
「あれで、姉さんはわりと思いこみが激しいというか……無茶をやらかすところがあるから、やっかいなんですけどね。もし危ういと思ったら……忠告してあげてくれませんか」
「え、ええ……それは、もちろん」
 よかった、と涼樹はほほ笑んだ。
 いい笑顔だ、とのぞみは思う。弟が姉を思うというのは、こういうものかとも思った。
「優しいのね、高原君は」
 照れますねと涼樹は笑った。「それとできれば、呼び捨てにしてもらえませんか。そのほうが、いぃなぁ」
「え……でも……」
「イヤですか?」
「じゃあ……涼樹……」
「あぁ、それそれ」
「もう……」
 のぞみはそっぽをむいた。
 赤らめた顔を、見られたくはなかった。

 闇に、白い影が仄かに浮かんでいる。
 神崎達矢は、息をつめてじりじりと歩を進めた。
 やがて、おぼろだった影の輪郭がはっきりしてくる。――人間。それも、少女。白衣の少女。
 膚が粟立つ。皮膚感覚で、危険を悟った。
 と、ほぼ同時に、少女が動いた。
 いや、跳ねた、というのが正しい。達矢めかげて、恐るべき勢いで。
「…………ッ!」
 すんでで、かわしていた。が、すぐに第二撃がくる、と見越した。
 その予測あやまたず、風を切る音が耳を打つ。
「――おおっ」
 手にしていた木刀を、跳ね上げる。
 カッ、という音とともに、木刀がなかばで寸断される。
 湧き上がる怖気に圧されつつも、達矢は体勢を立て直す。
 と、その耳に何かが空を切る音。あれは――
 椅子。
 パイプ椅子。
「――ッ」
 少女はとんぼを打って飛来した椅子を交わし、そのまま飛びのく。
「お前はッ……」
『くす』
 少女がほほ笑んだ。一瞬、魅せられる達矢。
 達矢が自分を取り戻す前に、その細身は跳躍する。
「待て……ッ!!」
 しかし、もとより待つはずもない。膚を刺すような鬼気もいまは去り、達矢はどかりとその場に座りこんだ。
「……無事か、達矢?」
 走りよってきたゲーリーに、達矢は仏頂面をむけた。
「いきなり椅子はないだろうが?」
「なんなら、机とかのほうがよかったか」
「……せめてベルトくらいにしてくれ」
「手元にあればな」
 肩をすくめて、達矢は手に残った木刀を見た。
 切断面はとても人の手で断ったとは思われぬ。
(こいつを本体に食らったら、ただじゃすみそうにないな)
 いまさらながら、ぞっとした。
「しかし、まさか本当だったとはな。……『白妙(しろたえ)のイヴ』」
「ああ……」
 達矢はうめいた。
 『御子芝レポート』にあった情報のひとつ、『白妙のイヴ』。
 それは尋常ならざる運動能力。そして好戦性をもつ『辻斬り』の噂であった。
 ――夜、この界隈を歩いていると突然白衣の少女が現れ、斬りつけてくる。
 そんな奇怪な噂が、流れていた。
 しかも、狙われるのはきまって、妙齢の女性ばかりだという。
 じっさい幾人かの被害者が出ているらしいのだが、あまりに戯けた話のせいか、警察もまともに対応していないらしい。ヘタをすると『かまいたち現象』かなにかではないかという見解まで出てくるしまつだ。
 達矢もゲーリーも、初めて聞いたときには『これはさすがにちょっと』と思ったものだが……。
 自分たちで目の当たりにしては、疑う余地はない。
『妖怪退治はあんたたちが適役でしょ?』とは理奈の言だが、あれはそんな呑気なものとは思えぬ。
「……似ていた」
「あん? 誰にだ?」
「あ? あ、ああ、いや。どこかイヴに似ていた、と思ってな」
 おいおい、とゲーリーは肩をそびやかした。「われらがイヴってのは、こんなケチな相手なのかよ? だとしたらずいぶん物悲しい話だぜ」
「まぁな……」
 達矢は口篭もった。
「おい、考え事もいいが、そろそろずらかったほうがよくないか」
「しかし……」
「ま、お前さんがもっとその格好でうろつきたいっていうなら、止めはしないがな」
「……撤収する」
 『白妙のイヴ』(これは一般的な名称ではなく、御子芝の命名による)は女性しか狙わないという。それを聞きつけた彼等は、もっとも効果的な手法をもちいた。
「そのドレスを汚しちゃあ、親切な先輩も泣こうってものさ」
「……思い出させるなっ」
 そう、達矢が着こんでいたのは、かつて学園祭のおり身につけていたウエイトレスの制服であった。この衣装を借りに行ったときの渡部長の反応を思い出すたび、憂鬱な気分になる達矢である。
「行くか」
「ああ……」
 パイプ椅子をかついだ少年と折れた木刀を手にしたウエイトレス姿の少年は肩をならべて帰途につく。
 その途上も、達矢の脳裏からは先の少女の面影が去らない。
 似ていたのは、イヴというよりも、むしろ……
『のぞみ…………?』

 『血道をあげる』というのはああいうことか、と理奈は思わずにはいられなかった。
 ここ数日来ののぞみのことである。
 休み時間はおろかときには授業中にすら、メールのやりとりをしているようだし、いつもいっしょにしていたランチもここしばらくはご無沙汰だ。
 それだけなら、まあいいが、『イヴの仲間』たちの集まりにすら顔を出さないのには閉口した。
「どうなってるのよ、おたくの相方は――?」
 などとキャサリンあたりに指摘されてもぐうの音も出ない。まさか素直に、
「あ、いまちょうど男と逢ってるとこ。いや~、あの子が年下好みだったなんてぜんぜん気づかなかったわよ。あはははは」
 などともいえないではないか。まして、
(達矢やゲーリーの前じゃあね……)
 彼らがのぞみに懸想しているのは、はたから見れば明らか過ぎるほどだ(もっとも、当人たちは――のぞみも含めて――まるでそれと自覚していないようだが)。
 のぞみに関しては、しばらく様子を見るしかない、と理奈は思っている。しょせん、人間は愛憎の情を殺しては生きていけない。もし、のぞみが自身で本来の道に立ち戻れないのであれば、
(そのときは……)
 たとえ同志であれ、非情の決断を下さねばならないかもしれない。
 そうならないことを、理奈はつよく願った。

 のぞみは、足取りもかるく約束の場所へむかっていた。
 ――学園裏の森で、逢いましょう。
 午後一番にとどいた彼からのメールのせいで、それ以後の授業はまるで上の空だった。
 きっと今日は、忘れられない日になるだろう。
 そんな気がしていた。
 瞬く間に、彼女はやってきた。そして、
 見つけた。彼の姿を。
 そちらに向かおうとして、ふと、足を止めた。
 あれは――
 あの、彼によりそっている、影は――
 ふたつの影は絡み合い、あたかもひとつの獣のように――
 そのさなか、彼が、こちらを見た。
 ほほ笑み。
 無邪気な、笑顔。
 退いた。
 ただ、退いた。
 つんのめりながら、駆けた。
 足が動かなくなったとき、その場にくずおれた。
 あの少女。彼と同い年くらいだろうか。
 荒い息のなかで、のぞみは、胸中に黒々としたものが宿るのをおぼえていた。

 これはあくまで推論だけどね、と前置きして、ジャネットは説明をはじめた。
「『白妙のイヴ』があたしたちの探す『イヴ』と同一人物かどうかはさておいて、『彼女』が襲っているのは、これまでのところ、女性のみ――しかも『一五歳以上の女性』のみというのは興味深いわ」
「それはつまり……?」
「そう。かつて天原祭のとき、失敗したジャンパーたちの『残留思念』ともいうべきものが一種の『場』を構築し、達矢とゲーリーを捕えたことがあった。あるいは、あの事例と無関係ではないのかもしれない」
「というと……まさか、『白妙のイヴ』とは……」
「そう、『使命に失敗した女性ジャンパーの思念』の集合体、ともいうべきものなのかもしれない。これはあくまで推測にすぎないけれど」
「まぁ、それは仕方がないな。……放置しておくのも剣呑だが……」
 とはいえ、優先順位でいえば後回しにするべきだ、というのがこの日のミーティングの結論だった。
 久しぶりに参加したのぞみは、押し黙ったまま、その論議を聞いていた。
 理奈は心配げにその横顔を見た――が、そこからは何も読み取ることはできなかった。
 ――のぞみが姿を消したのは、その夜のことである。

「しまった!」
 部屋に残された置き手紙を一読したとき、理奈は自分の見通しの甘さを呪った。
 手紙にはこうあった。
 ――わたしは、わたしの手で、邪悪なわたし、不要なわたしを処分にいきます。
 それはまさに『J3K』が説く、『自己の清浄化』にほかならないではないか。
(あたしはのぞみを買いかぶっていた。……いや、甘く見ていた)
 のぞみはたしかに粘りづよい性質ではあるが、それ以上に、激情家なのだ。
 高原涼子の影響、そして今回の失恋事件――これらが、彼女を追い込んだ。
(『白妙のイヴ』とは、わたしのことだ、わたしの、『影』なのだ)
 そう思い込んだに違いないのである。
 部屋からは、御子芝が遺していった武器類が消えていた。
(のぞみ……!!)

 たゆたっていた。生白い、影。
 寸暇の躊躇もなく、手裏剣を放っていた。
「――――ッ」
 その白い影は臆せず突出し、飛来物をのこらず弾いた。が、その時点ですでに相手を見失っている。
 刃風は、逆袈裟に来た。半歩の間合い。
 弾いた。否。弾かれていた。痛烈な斬撃は、痩躯を吹き飛ばし、なおも肉薄する。
「――しゃあぁっ」
 ヒトの発するものとは異質な気合一喝、白影はとんぼを打って撥ね退く。
「あなたはわたし」
 少女は刀を放った。先の一撃で、甚だしく刃こぼれしていたのだ。代えの太刀に手をかける。
「わたしの影。わたしの、黒い部分。わたしは、あなたを――」
 のぞみの手に、白刃がこぼれる。「滅ぼす」
 彼女もまた他のジャンパー同様、戦闘技術の訓練は一通り身につけている。なかでも剣術にかけては余人におとらぬ遣い手なのである。
「かぁああっ」
 白衣の少女が、吼えた。制服姿の少女は、ゆるゆると間合いをつめてゆく。
 ふたたび、白衣が宙に舞った。
 抜き打った。
「――げえぇっ」
 足を、薙がれていた。のたうつ。冷徹なまなざしで見下す、のぞみ。
 太刀を、ふりかざした。
「さよなら」
 寸前。
 手首を、つかまれていた。
「もう、いいだろ」
「達矢」のぞみは、驚愕の色をみせた。「どうして――」
 ウエイトレス姿のまま、達矢はニヤリとほほ笑んだ。
「ここのところ、こいつとやりあうのが日課みたいになっててな……。もっとも、今日は先客がいたわけだが」
「はなして」
「そうしたら、どうする?」
「これを、滅ぼす」
「『これ』? のぞみ、お前、こいつがモノに見えるのか? 意志のない、ただの物体に見えるのかよ?」
 達矢は、のぞみの瞳をのぞきこんで、諄諄と説いた。
 押し黙るのぞみ。達矢は、ため息混じりに、
「なぁ、のぞみ。こりゃ立場が逆だぜ。いつもなら、お前がおれを止めてくれるはずじゃないか。なんで、おれが柄にもない役回りなんだよ?」
「っ……」
 のぞみは、うつむいた。「だめ……だめなのよ。これだけは……この存在だけは……消してしまわないと……」
「影だから? 黒い部分だからか?」
「……そうよ……」
 うめくように、のぞみがいった。
「嫉妬ぶかいわたし。ひとの幸福を喜べないわたし。自分が幸せでなくても、ひとが不幸なら耐えられるわたし。『未来』を得たひとたちを呪うわたし。みんな、みんな……いなくなってしまえばいい!」
「もし、そうでも、おれは……いまのお前より、いつものお前のほうが――」
 達矢は、のぞみを抱きすくめた。「――好きだ」
 のぞみは、息をつめた。それが、ただの親愛の表現でないことは――瞭然。
「達矢、わたし……わたしは……」
「なにも――言うな」
「達矢……」
 かさねられた唇を、のぞみは拒みはしなかった。
 ふと、わずかな衝撃。
 苦い味がした。
 それは。
 赤い。
 達矢の――
 生えていた。生白い手。彼の、腹から。
「――――ッ」
 叫び声は、声にならなかった。

「なっ…………」
 ゲーリー・ブッシュは、目前の光景に絶句した。
 足元に、頭蓋を割られた生白い人影が横たわっている。
 見る間に、それは発光し、雲散霧消してゆく。
 だが、ゲーリーの視線はその先――街路樹にもたれている人影に吸い寄せられた。
「――達矢!!」
 駆け寄って、彼は息をのんだ。
 達矢の左脇腹に惨烈な傷痕があり、おびただしい血が流れていたのだ。
「達矢……達矢っ!!」
 うっすらと、達矢は目を開いた。虚ろだが、まだ息はある。
 わずかに、ゲーリーは安堵した。
「その声……ゲーリー……か。はは……ちょうど、よかっ……た」
「馬鹿、喋るんじゃない――」
「のぞみ……」
「なに?」
「悪いな……抜け駆け、しちまったよ……」
「なにを言っ……てっ!?」
 重傷者ともおもわれぬ力で、達矢はゲーリーの腕をつかみ、搾り出すように、言葉を継いだ。
「のぞみを……助けてくれ。彼女は……もう……」
「わかった、わかったから! だから、それ以上――」
「頼む……手遅れになったら……もう、何もかも……」
 ゲーリーは瞠目した。達矢の身体が、どんどん透明化してゆく。
「これは……そんな……」
「頼んだ……」
「たつ――」
 ゲーリーは尻餅をついた。残された力のすべてで、達矢が押し飛ばしたのだ。
「また……会おうぜ。親友」
 一瞬の、閃光。
 そののちには……血塗れたウエイトレスの制服だけが残っていた。
 呆然とへたりこんでいたゲーリーは、数瞬を経て、かぶりを振り振り立ち上がった。
「野郎……っ」
 胸を焼く激情を、すんでで押しとどめる。
「……笑いやがった」
 ゲーリーは歩き出す。
 今は、自分が出来る最善のことをしよう。
(そうでなきゃあ……)
 また会ったときに、何を言われるやら、わからないのだから。

 おりからの雨が降りしきるなか、ひとりの少女の悄然たる姿がある。
 彼女が立つのは――壮麗な屋敷の前。
 その門が開き、傘を手にした少女が姿をあらわす。
「濡れてしまったのね」高原涼子がいった。「洗わなくてはね」
 はい、と桜井のぞみは、うなずいていた。

「――布石は、打ちましたよ」
「ひどく、雑な手だこと」
「そう、悠長に続けてもいられないもの」
「それはそうだけれど」
「さあて……彼らはどう動くかな? それとも……動かない?」
「…………」
「ともあれ、お手並み拝見といきましょうか――――」