つけっぱなしだったテレビの画面に、なにげなく目を向けた黒井は、突然現れた臨時ニュースのテロップを見て、深いため息をついた。
『米軍がイラクの首都バグダッドに空爆を開始した模様』
すでに予期されていたことだったが、かくたる明確な理由もないまま、本気で戦争をはじめるとは……。アメリカは……いや、アメリカ政府は本気で戦争がしたいだけらしい。
中東の石油の利権を手にしたいという思惑とは別の何かが、本当にあるのだとしても、いったいどこに正義があるというのか?
チャンネルを変えようとリモコンを手にした時、定時のメールチェックが始まった。
突然のニュースにネットのトラフィックが増えたのか、それとも数が多いのか、ダウンロードがなかなか終わらない。
CNNにチャンネルを変えると、どこか見慣れた光景が映し出される。
湾岸戦争の時のあれだ。
対空砲火の無数の光、目に見えない敵が落とす爆弾の雨。
既視感にとらわれ、しばらく放心していた黒井を、メールの着信音が現実に引き戻す。
未読27通。
開くまでもない。
『本当になりましたね』
たぶん、そんな所だろう。
二週間前にアップした戦いのイメージのせいだろう。
ただ、黒井は事がこれだけで済むはずがないということを知っていた。
どうしてもアップできなかったイメージがひとつだけあるのだ。
完全な、滅びのイメージ。
以前に見えた、あの決定的とも思えた滅びのイメージよりも、もっと完全なる破壊……。
黒井はふとこみあげてきた恐怖に、悲鳴を上げそうになった。
慌てて自分の口をふさいだが、悲鳴はどこからともなく聞こえてきた。
テレビからだろうか。黒井は耳をふさいだが、悲鳴はやまなかった。
過去に見たことのあるイメージが脳裏をよぎる。
イメージじゃない。繰り返し繰り返し、戦争や滅びといった事柄につきまとう、巨大な原子の雲。
──核? まさか……。
『米国ワシントン付近で大きな爆発があった模様」
またも臨時ニュースのテロップ。
CNNのキャスターが手渡された原稿に目を通し、顔色を変えた。
大きな爆発……たしかにそうかもしれない。ただ、規模の桁が違いすぎる。
──本当に、使ったのか?
目を閉じ、脳裏に浮かんだイメージの奥深くに入り込もうとしたが、これ以上深い所へと入り込むことは出来なかった。
──これが、すべて?
目を開けた。
テレビは一面の青。
すべてがなにか一点に向けて集約しつつあるようだった。
やっと映像が戻った。しかし、CNNではない。
チャンネルと変える。
次も次も、次も……。すべて同じ映像だった。内閣官房長官の姿が映っていた。
『ワシントンがやられたよ』
未読のメールのタイトルに、そんな文字が踊ってる。
いったい誰だ? 自分がこの先に見る光景がなんなのか、ちっともわかっていない。すべてがモニターの奥に広がる、非現実の現実だと思っている。
でも、いったいどこで狂ってしまったというのか?
あの子たちからメールが届いた日から?
違う、あの少年がやってきた日から?
それも違う。
あの三人の男たち……?
いや……すべてがつながっているのだ。
「物事に一定の形なんて存在しない。そんなことはとっくにわかっていたはずでしょ」
少年はいった。
「じゃあ、あの子たちははいったいなんのために?」
「知らなかったの? あの子たちが作る未来は、ここの未来じゃないってこと。あの子たちはあの子たちの未来を作るだけなんだから」
『……現時点で政府が把握しているのは、先ほど申し上げた内容がすべてです』
『核を使ったテロとの情報ともありますが?』
『何度も申し上げますが、現時点で政府が把握しているのは……』
『つまり、報道された内容以上のことは何も把握されていないということですか?』
『大陸間弾道弾が使用されたという情報もあるんですよ!』
そして、ホワイトノイズ。
「やがてすべてが終わりを告げる」
少年は空を見上げた。
黒井は、窓辺にたたずむ少年が見つめる先を見た。
「そして、再生の時を迎える」
光があたりを包む。夜の帳は、どこかへと消えていった。
「イヴは、ここにはいないのか?」
少年に聞いた。
「イヴはもう、ここにはいないのか? それとも、元から存在しなかったのか?」
少年はほほえみ、黒井を見た。
「あなたが居たから、イヴは存在した。でも、あなたが居たから、イヴはここには存在し続けることが出来なかった」
「なんて……?」
「誰も悪くないさ。あの子たちはもうあなたを必要としない」
「なぜ?」
「とっくにわかっていたはずでしょ?」
「違う。何も知らない……」
「そんなはずない。知らなかったら、ボクは見えない」
少年が差し出した手を黒井は握った。
「時が来たよ。あなたには見えるでしょ? 世界の有り様が、ひとつじゃないってこと」
メールの着信。
黒井は目を覚まし、モニターを見つめた。
『黒井様へ』
黒井はメールを開いた。
『貴方の見たイメージのひとつひとつの意味は、決してないわけじゃありません。わたしが目覚めたことによって生じた変化のうちのひとつだったのだと思います。でも、すべてが終わり、新しい世界が生まれました。さっきまでの世界は精算され、すべてはまた、新しいレールの上で未来へと目指し動いています。このメールは、消してしまって下さい。そうすることで、貴方の未来の有り様も、変わります』
読み終えた黒井は、カーソルを削除のボタンの上へと動かした。
本当に、何もかもが変わったというのか?
たった一瞬で。
さっきまでの絶望が、たった一度のクリックで終わるというか?
カーソルの上で、少年がほほえんでいるのが見えた。
黒井も、それにほほえみを返すとクリックした。
──カチリ
何かが音を立てて変わった。