リレー小説『ラスト・フォーティーン』 第二六節「サイレント・ナイト」Part-3/諌山 裕

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「見て、あの稜線には見覚えがあるわ!」理奈は指さした。
 乾燥した荒れ地の西に、砂塵に霞む山々の稜線が地平線の上に浮かんでいた。太陽は昇ったばかりだったが、早くも大地を暑く熱し始めていた。
「ああ、たしかに。学園から見えていたものに間違いないな」
 ふたりは歩き始めて十日目にして、自分たちが目的地に近づいていることを知った。
「あともうちょっとね!」
「うん。だが、そろそろキャンプした方がいい。陽が昇ってしまった」
「あと数キロよ。このまま行きましょう!」
「理奈。水はもう一口分しかない。昼間の移動はリスクが大きいよ」
「水なら、向こうに着けばなんとかなるわよ。ほら、緑が少し見えるじゃない。あそこまで行けば」
「だめだ。水の確保が先だ。ただでさえ脱水気味なんだから」
 理奈は大きくため息をついた。
「わかったわ。あそこの廃屋で休憩ね」
 ふたりは崩れた廃屋のひとつに入った。日陰に入ると、ひんやりした空気にほっとする。
「ここで待っててくれ。水を探してくる」
 アンドルーは空のペットボトルを数本手に持った。
「あたしも探すわ。もう足はだいぶいいから」
「いいから、君は休んでいろ。オレが行く」
「だって、水や食料探しはあなたばかりじゃない。休みが必要なのはあなたよ」
「オレの方が体力があるからさ。余計な心配をさせないでくれ。君はここにいるんだ」
 アンドルーは、なおも抗議しようとする理奈の唇をキスで封じた。
「わかったな?」
 理奈はこくりとうなずいた。

 二学期の終業式を終えて、生徒たちは悲喜こもごもの表情で下校していく。明後日のクリスマスイブに恋の花を咲かせようと期待するものもいれば、受験を控えて短い冬休みに最後の追い込みをと意気込むものもいる。
 のぞみは彼の姿を捜していた。体育館での式では、彼の姿を見かけていた。
 葉がすっかり落ちてしまったポプラ並木を、寮へと小走りしていく。やがて寮にたどりついたが、彼の姿はなかった。
(またどこかに行ってしまったのかしら?)
 彼女は寮の前でしばらく待ってみる。
 そこへ御子芝がやってきた。
「のぞみ? 誰か待っているのか?」
「そうなの……。あの……、高千穂さんはどこに行ったか知らない?」
「ああ、あやつも式には出ていたな。彼に用か?」
「うん、ちょっと」
 のぞみは落ち着きがない。
「ふむ、おそらく寮の裏手のケヤキ林だろう。よく木に登っている」
「ありがとう」
 のぞみは走りだしていた。
 ほどなくのぞみは、木の上にいる高千穂を見つけた。
「高千穂さん!」
 空を見あげていた高千穂は、物憂げな顔を彼女に向けた。
「なんだ? 桜井」
「お話ししたいことがあるの」
「話をしたければ、ここまで上がってこい」
「わたしが?」
「そうだ。できないのなら、俺の時間を邪魔しないでくれ」
「登ります!」
 のぞみは太い幹に手がかりを探して、登り始めた。
「おやおや、よほど大事な話らしいな」
 高千穂は苦労しながら木登りをする彼女を見つめた。彼のいるところまでは、高さにして七~八メートルはある。
 のぞみはなん度か滑り落ちそうになりながらも、息を切らせて彼のいる枝に手を掛けるところまで登った。高千穂は彼女の腕をつかんで、最後のひと登りを手伝った。
 彼女は枝に腰を下ろし、片腕を幹に回した。
「なに用だ?」高千穂はぶっきらぼうにいった。
「ええっと……、はぁ、はぁ、あの……はぁ、はぁ……」
「あわてるな。落ちついてからしゃべれよ」
 のぞみは深呼吸を繰りかえした。
「ここで、なにしてるんですか?」のぞみはためらいがちにいった。
「ここからだと、街がよく見える。もうすぐ見納めだからな。いずれはなくなってしまう風景だ。記憶にとどめているのさ」
「やっぱり、また行っちゃうの?」
「ああ、おそらく。この時間には長くいすぎている。もっとも、放浪癖のある俺には向いている生き方だがな」
「どうしても、行っちゃうの!?」
「俺の意志には関係なく」
「転移してしまうということ!?」
「ここに来るまでは、もっと短いサイクルだったんだ。なぜかこの時代には長くいる。話というのは、そのことか?」
 のぞみは首を振った。
「では、なんだ?」
 思いつめた表情の彼女は、言葉を絞り出そうとしていた。
「あの、あの……」
 のぞみは幹につかまっていた手を離した。バランスを失った彼女は、落ちそうになる。
「きゃっ!」
 高千穂は彼女を抱きよせて、落ちるのを防いだ。のぞみは彼にしがみついていた。
「気をつけろ」
「ごめんなさい……」
 のぞみは高千穂の顔を間近で見つめる。
「高千穂さん……、わたし……、あなたが好きです!」
 高千穂は目を丸くした。そして首を振って微笑んだ。
「なにかと思えば、そんなことを。俺みたいなひねくれ者が好きとはね」
「わたし、本気です!」
 のぞみの目は潤んでいた。
「ああ、そのようだな。だからどうしたい?」
「その……、あなたの気持ちを知りたくて……」
「俺の気持ち? なら、答えてやろう。俺は君のことをなんとも思っていない。以上だ」
「わたしじゃ、ダメですか?」
「なにが?」
「あなたのペアに……」
 高千穂はからからと笑った。
「わたし真剣です!」
「笑ってすまない。気を悪くするな。君のことを笑ったわけじゃない」
 彼は大きなため息をついて、空を見あげた。のぞみは彼の顔に、深い悲しみが浮かんでいるように感じた。
「気持ちはうれしいが、君の求めていることは不可能だ」
「どうしても?」
「ああ、たとえ俺が君に惚れていたとしてもだ。なぜなら、物理的に不可能だからだ。俺は君と束の間の時間を共有しているが、いずれは別の時空に転移してしまう。ペアにはなれないんだよ」
「束の間でもいいわ!」
 高千穂は大きく首を振った。
「だめだね。もし君をペアに選ぶほど惚れているなら、悲しませるようなことはしたくない。それに……」彼は言葉を切った。
「なに?」
「ここだけの話だが、俺は御子芝とペアの約束をしているんだ。あいつはいまだ首を縦に振ってはいないがな」
 のぞみは予期していた言葉をきいて、肩を落とした。
「やっぱり、御子芝さんが好きなのね」
 高千穂は長い時間返事をしなかった。
「ああ、俺はあいつが好きなんだ。ほかの誰よりも。彼女だけが、俺と時空を共有できるんだからな」
「うん……、それ、わかるわ」
 高千穂はのぞみの肩を叩いた。
「なぁ、桜井。もっと周りをよく見ろ。俺なんかよりも、おまえを必要としている奴がいるじゃないか。身近すぎて気がついてないだけだぜ」
 木の上のふたりの会話を、建物の物陰で御子芝はきいていた。
(高千穂……。おまえというやつは……)
 御子芝の頬を一筋の涙が流れていた。

 変わり果てた天原学園の姿に、理奈とアンドルーは落胆していた。当然予想していたことではあったが、かろうじて学園の面影が残っているだけだったのだ。
「地下室を探そう」
 理奈は重い足取りで砂塵と雑草で覆われたかつての学園内を歩いていく。多様な草木が美しかった天原庭園は見る影もなく、名も知れぬ背の高い雑草と茨が主となっていた。郷田邸は、こんもりと盛りあがった蔦草のかたまりと化していた。
 ふたりは入口を探す。
「このへんじゃないかな?」
 理奈は蔦を掻き分けて、地下への入口らしきものを探しだした。そこには地下に通じる縦穴があった。エレベーターのあった場所である。
 アンドルーが小石を落としてみる。しばらくしてチャポンと水音がした。
「下には水がたまっているようだ。地下室も水浸しかもしれないぞ」
「とにかく、降りよう。少なくとも水は得られるわ。あたしが先に行くわ」
 理奈は茎の太い蔦を手がかりにして、縦穴を降りていく。アンドルーは心配そうに見守る。彼女の姿はやがて影の中に入り、見えなくなった。
「理奈? 大丈夫か?」
「平気よ、これくらい」彼女の声は反響してエコーがかかっていた。
 しばらくするとズルッと滑る音がして、理奈が叫んだ。
「きゃっ!!」
 ドボンッ!!――大きな水音。
「理奈――!!」
 アンドルーは急いで自分も縦穴を降り始めた。
「理奈!?」彼は叫ぶ。
「ぶはー! 落っこちた! でも、大丈夫よ! 足が滑ったの。注意して」
 アンドルーは慎重に降りていく。やがて暗がりの中に入って、手がかりが見えにくくなった。
「そこへん滑るから注意して。あと、数メートルで水面に達するわ」
 暗がりに目の慣れた理奈が指示した。
「そのへんから飛びおりて。もう下は水たまりだから」
 彼はいわれたとおりに飛びおりて、水たまりに飛びこんだ。水深は胸元あたりまでで、足は底についていた。
「ちょっと気持ちよくない? 水浴びなんて久しぶり」理奈は陽気にいった。
「のんきだな。心配したんだぞ」
「見て」
 理奈は水面から少し上を指さした。そこには閉じられた金属製のドアがあった。エレベーターのドアだ。
「開くかしら?」
「やってみよう」
 ふたりはドアを開けようと、中央部分から左右に引っぱる。しかし合わさった扉はびくともしなかった。錆びついているうえに、砂が入りこんですき間を埋めてしまっているのだ。
 理奈は足下になにか引っかかるものがあることに気がついた。彼女は息を吸いこむと、水に潜った。
「理奈!? 無茶するな」
 理奈は手探りで引っかかったものをつかんだ。彼女がつかんで拾い上げたものは、一メートルほどのパイプだった。
「使える?」
「いいかもしれない」
 アンドルーは扉の合わせ目にパイプを差しこみ、グイグイと押した。やがて少しだけすき間が開いた。さらにパイプを押しこむと、今度はテコの原理でパイプを左右に振る。扉はギシギシときしみながら、少しずつすき間を広げた。
 ほどなくすき間は三〇センチほどになった。
「あたしなら通れるかも。痩せたしね」
 理奈は扉に手を掛け、体を横にしてねじ込んでいく。アンドルーは彼女を持ちあげて支えた。
 理奈は擦り傷を作りながらも、中に入ることができた。彼女はドアをもっと開けるために、中からドアを押し広げた。そして、アンドルーも水から上がって、地下室へと入った。
 地下室は密閉されていたにもかかわらず、砂が降り積もっていた。電磁波暗室は剥がれ落ちたパネルが積み重なり、不思議なオブジェとなっていた。
「彼らは実験に成功したのかな?」アンドルーはため息交じりいった。
「そう願いたいわね」
「さて、これからどうする? 目標は達成したが……」
「とりあえず、ここでキャンプしましょ。ほかに行くところはないのだし」
「そうだな。まず、地上に出るための階段が使えるか確認しよう。いちいち縦穴を上り下りするのは面倒だ」
「あたしは少し部屋を片づけるわ」
 ふたりは作業に取りかかった。

 地下室の電磁波暗室は、熱気と緊張感に包まれていた。一二〇台のコンピュータの発する熱気もあったが、集まった彼らの熱気も高くなっていた。
 クリスマスイブの日――。
 部屋には関係者が全員集まっている。
 指揮を執っているのは光輝とジャネットだ。ふたりをサポートするキャサリンは、システムオペレーターとして端末についてる。達矢とゲーリーと高千穂はずらり並んだラックの間を点検して回る。のぞみと御子芝は、二台の大型ディスプレイの前に陣取って、実験の経過をモニターする。菅原は補助電源としての発電機を担当している。
 立原と郷田は、作業そのものに手は出せないが、彼らの様子を見守っていた。
「一番から四〇番まで異常なし」達矢は大声でいった。
「四一番から八〇番までもオーケーだ」ゲーリーは腕を回した。
「八一番から一二〇番、問題なし」高千穂は淡々といった。
「発電機、準備よ~し!」菅原は高揚していた。
 光輝とジャネットは顔を見あわせてうなずいた。
「発電機、回してください」光輝はいった。
「発電機、始動!」菅原は大仰にいった。
 屋外に新たに設置した五台の自家発電機が始動し、エンジンの駆動する振動がくぐもった音を響かせる。実験を開始するときには、外部からの干渉を最小限にするために、通常の電力は使わず、自家発電機を使うのだ。
 菅原は電力メーターが設定値に達するのを確認する。
「電力、設定値に到達!」
「コンピュータ、一時終了!」
 光輝の合図でキャサリンは、すべてのコンピュータの電源をオフにする。部屋が徐々に静かになった。
「外部電源オフ! 内部電源に切り替え!」
 光輝は指示し、菅原は配電盤を切り替えた。一瞬、照明が消えて、再び点灯した。
「コンピュータ、起動!」ジャネットは起動シーケンスを実行した。
 静かだった室内が、一二〇台のファンの回る音で満たされていく。
「システム、再起動中」とキャサリン。
「三二番と八九番が再起動してないわ」のぞみは報告する。
 達矢と高千穂が該当するマシンのところへ駆けよる。
「リセットした」と達矢
「同じく」高千穂も応えた。
「各モジュールのシステムリンクを確認中」御子芝はディスプレイを見つめる。
 ディスプレイには一二〇台のマシンの稼働状況が表示される。同じ仕様のマシンではあるが、それぞれに微妙なばらつきがある。のぞみと御子芝は、ばらつきを補正しながら、ベストな状態を維持しようとする。
「なんとか安定しているわ」のぞみはいった。
 光輝はうなずいた。
「では、テストプログラムを走らせる」
「テストプログラム、実行」キャサリンはキーを叩いた。
 キャサリンの前のディスプレイに複雑な幾何学模様が現れ、回転しながら形を変えていく。
「テストプログラムは正常に実行されているわ」
「いよいよね」ジャネットは光輝を見つめる。
「ああ、これでうまくいけば……」
「あなたとあたしはが作ったんだから、ぜったいうまくいくわ」
「そうだね」
 光輝はゴクリと唾を呑みこむ。
「メインプログラム、第一シーケンス実行」
「実行します」キャサリンは答えた。
 ディスプレイは暗くなり、中央に小さな光の明滅が起こる。
「コンピュータの負荷率、五パーセントアップ」のぞみはパラメーターを読み上げた。
「第二シーケンスに移行」と光輝。
 キャサリンは指示を実行する。
「第二シーケンスを実行中」
「負荷率、二五パーセントにアップ!」のぞみは厳しい口調でいった。
「第二で二五パーセントか? 大きすぎるな」光輝は不安になった。
「まだ二五パーセントよ」とジャネット。
 光の点は渦を巻きながら、広がっていく。それは宇宙創造の瞬間をシミュレーションしているのに似ている。
「第三シーケンスに移行」
「第三シーケンス実行」
「負荷率さらに上昇! 四五パーセント」
「第五ロット、五一番から六〇番の処理能力が低下している。発熱が原因だ」と御子芝。
「了解、冷却液体窒素を流す!」ゲーリーは対応する。
「第八、九、十ロットも同様よ!」とのぞみ。
「よし、全ロットのパイプに冷却剤を流そう!」達矢は叫ぶ。
「ほぼ安定を取り戻したわ」
「第四シーケンスに!」
「実行中」
「負荷率、七〇パーセントに増大!」
「まだまだいけるわ!」
「やるしかなかろう」
「自家発電機、フル稼動!」
「第五シーケンス、いけるか!?」
「第四シーケンス、クリア! いけるわ!」
「第五シーケンスに突入!」
「負荷率九五パーセント! もうあまり余裕はないわ!」
「どうする!? 中止か!?」達矢は怒鳴った。
「やるのよ! あと二段階なんだから」
「行ってみよう! 第六シーケンス!」
「実行中!」
「時間変数の兆候を確認! もうちょっとよ!」のぞみは叫んだ。
「電力が不安定になった! モーターが焼き切れるかも!」
「ぶっ壊れる前にやってしまえ!!」ゲーリーも叫んだ。
「第七シーケンス!! 最終段階だ!!」
「第七に突入!」
「時空確率の場が出現!! 成功よ!!」
「まだだ!! 場が安定してない!!」
「ちょろちょろしないの!! 捕まえられない!!」キャサリンは場を捕まえようとしていた。
「メッセージ送信用意!!」
「ターゲット補足!! 急いで!! 消えてしまいそうよ!!」
「メッセージ送信中!! あと十秒保たせて!!」のぞみはいらいらしながらメッセージが送信されるステータスバーを見守る。
「もうすぐ冷却剤が空になる!! くそっ、もっと用意しとくんだった!」
「三番発電機がぶっ飛んだ!!」菅原が壁を拳で叩く。
「照明と空調を切断! 電力はコンピュータ優先に!」
 室内は暗くなり、ディスプレイが明かりとなる。
 次の瞬間、ラックの中のコンピュータから火花が飛んだ。
「十二番ダウン!」
「カバーするわ!」
 再び火花。
「八六番死んだ!」
「メッセージ送信完了!」
「やったぜ!!」達矢はガッツポーズをした。
 彼らは歓声を上げた。
「ちょっと待って!! なにか変だわ!!」キャサリンは叫ぶ。
「どうした?」光輝はディスプレイを覗きこむ。
「時空確率の場が消えずに残ってるのよ!! こんなことってある? むしろさっきよりも大きくなってる!!」
「二番発電機沈黙!! もう電力を維持できない!!」
 しかしコンピュータは稼動を続けていた。
「どこから電力が入ってるんだ?」光輝は首を傾げる。
「負荷率、九九パーセント!! もう限界よ!!」
 それでも場は成長を続け、より安定した状態になっていた。
 コンピュータから立て続けに火花があがり、煙が立ちのぼる。達矢とゲーリーは消化器をもって煙を上げるコンピュータに吹きかける。
「おい!! 三分の一は死んでるぜ!!」
「どういうことだ!? なぜ場は安定しているんだ!?」光輝は苦悩する。
「外部から……、場にエネルギーが流れこんでるのよ!!」ジャネットは推測した。
「外部って、どこだよ?」
 御子芝が口をはさむ。
「未来からだ。それ以外にない」
「というと……、ほくらのメッセージが届いて、開いた時空の場に未来からエネルギーを注入しているってことか?」
「そう考えるが妥当……、ううっ!!」
 御子芝は顔を歪めて、その場にくずおれた。
「御子芝さん!!」のぞみは両手で口を覆った。
 御子芝の体は光を発し、姿が薄れ始めていた。
「そうか、そういうことか……。未来から注入されたエネルギーに……触発されて……私の時空確率も……活性化しているらしい……」御子芝は苦しげにいった。
「樹!!」
 高千穂は体を引きずりながら、御子芝の元へと歩みよっていく。彼の体も御子芝と同様だった。
「高千穂さん!!」のぞみは悲痛にいった。
「転移してしまうの!?」
「そう……だ……。お別れだ……諸君」高千穂は引きつった笑みを浮かべた。
「離れるんだ……君たちも……巻きこまれるぞ!」御子芝は膝立ちになって、手を振りはらった。
 高千穂は御子芝の体を抱き起こす。
「樹……、俺はずっとおまえと一緒だ……」
「ああ……そのようだな……腐れ縁というやつかな……涼……」
 ふたりはしっかりと抱きあっていた。
「御子芝さん! 高千穂さん!」のぞみは泣いていた。
「さらばだ、のぞみ……みんな。またいつか会えることを願っているよ……」
「そんなの! イヤ――――!!」のぞみは絶叫した。
「それが定めだ……六道輪廻というやつだな……。君たちの――」
 ふたりの姿は微かな残像となり、言葉とともに消えていった。
 あとには丸くえぐれた床が残った。
 誰もが呆然としていた。
「まだ終わってないみたいよ」キャサリンが注意をうながした。
「なんだって?」光輝は我に返った。
「見て、場はまだ存在しているわ。それもいまにも弾けそうなほどに」
「そんなバカな!! これじゃ物質転送が可能なほどの場じゃないか!!」
「問題はそこよ。時空確率転送機はもどきじゃなくて、本物になってるのよ」
 彼らは次になにが起こるのか、予想すらできなかった。

 地下室をねぐらにしての生活は、平穏なまま一週間が経っていた。学園の周辺にはわずかだが緑があり、丘のふもとには小さな川と池があった。水と食料はふたりには十分すぎるほど手に入れることができた。
 やつれていた理奈とアンドルーだったが、過酷な状況の中にしては健康を取り戻していた。
 理奈は自分の体の変化にも気がついていた。生理が止まっていたのだ。最初、それは老化現象の始まりかと疑ったが、肉体的には健康そのものであり、むしろ以前よりは活力に満ちていることが矛盾していた。老化による閉経ならば、もっと衰えるはずだからだ。
 彼女は妊娠したのではないかと思っていた。それは驚きと同時に喜びだった。しかし、アンドルーに打ち明けたものかどうかは迷っていた。
「今日は、たしかクリスマスイブよね」理奈はひとりごちた。
 彼女の隣でアンドルーが寝返りを打った。
 理奈は彼を起こさないようにして、そっと毛布の中から出た。そして消えかかっているたき火に薪をくべて、火の勢いを強くする。 昨日取ってきた魚に串を刺して、火にかざす。朝食の準備だ。
「ううっ……」彼女は突然吐き気をもよおした。
(間違いないわ。あたしは妊娠してる!)
「ん? どうした、理奈?」アンドルーは目を覚ました。
「起こしちゃった? なんでもないの」
「気分でも悪いのか?」
「平気よ。気にしないで」
 理奈は微笑む。
「今日はクリスマスイブよ。なにかお祝いしなくちゃね」
「クリスマスツリーでも作るか?」
「うん、それいいかも」
 理奈は再び吐き気を感じた。口を押さえてしゃがみこむ。
「理奈!?」
 彼は起きあがって駆けよった。
「大丈夫……」
 しかし吐き気はひどくなり、同時に目眩を覚えた。目の前に星が飛んでいた。
「あうっ!……、これは!!」
 アンドルーも頭を押さえた。
「転移の前兆か!?」
「まさか……、また!?」
「ちっ!! やっとここの生活にも慣れてきたというのに!!」
「今度はどこに飛ばされるのかしら!?」
「ここよりましなところをだったら、どこでもいいさ!!」
「あなたと離れたくないわ!!」
 ふたりは強く抱きしめあう。
「離れるものか! ぜったいに!!」
「アンドルー――!!」
「理奈!!」
 なすすべもなく、ふたりは時空の確率に翻弄されるのだった。

「時空確率の場は臨界点に達するぞ!!」光輝は叫んでいた。
「どうするの!?」ジャネットも叫ぶ。
「どうしようもない!! 逃げるには時間が――」
 激しい光の爆発が起こり、地下室は地震のように激しく揺れた。立っていたものは床にはいつくばる。小さな爆発音が連続して、コンピュータのほとんどは機能を停止する。
 そして――。
 突然の静寂と暗闇。
 彼らは恐る恐る顔を上げて、なにがどうなったのかと周囲を見まわす。
 室内には煙が立ちこめている。
「みんな? いるか?」菅原はいった。
「光輝?」とジャネット。
「ここだよ」
「おれはここだ」達矢は立ち上がった。
「なんだったんだ?」とゲーリー。
「わたしも大丈夫」キャサリンの声。
「立原先生?」菅原は心配声でいった。
「先生は気絶しているが大丈夫そうだ」郷田が答えた。
「のぞみは?」達矢が叫んだ。
「わたしは……ここよ」
「みんな無事か。よかった」菅原は胸をなで下ろす。
「のぞみ? のぞみなの?」
 その声に誰もが驚いた。
「理奈!? 理奈なの?」
「ええ、そうよ。ここはどこ? いつなの?」
「理奈!! 戻ったのよ!! 学園に!!」
「なに? ほんとうか?」アンドルーはいった。
「アンドルー!! アンドルーなのね!!」キャサリンは喜んだ。
「ああ、生きてるみたいだな」
「ちょっと待ってくれ。電源を切り替える。明かりが点くだろう」
 菅原は手探りで配電盤を探し、外部からのラインに切り替える。やがて照明が灯った。空調も運転を再開し、煙を換気していく。
 姿が見えるようになって、御子芝と高千穂が消えた場所に、裸の理奈とアンドルーがいた。
 のぞみは駆けよって理奈を抱きしめる。
「よかった!! 理奈! ほんとうによかった!」
「ああ、のぞみ! また会えてうれしいわ!」
 キャサリンはアンドルーに駆けよって抱きしめていた。
「心配かけたな。どうやってオレたちを戻したんだ」
 キャサリンはうれしさでヒクヒクと泣くばかりだった。
「それが……わからないんだ。未来からの干渉だと思うんだけど、ぼくたちはなにもしてないんだ」光輝はいった。
「ねぇ、なにか着るものを頂戴よ。これじゃ恥ずかしいわ」理奈はのぞみを抱きしめたままいった。
 達矢が椅子の背にかけてあったジャンパーを理奈に渡す。
「ほらよ。ずいぶん大変なところにいたらしいな」
「話せば長い話よ」
「アンドルー!!」
 突然、ジャネットは叫んだ。
「くそっ!! まただ!!」
 アンドルーとキャサリンの姿が光に包まれ始めていた。
「キャサリン!! オレから離れろ!!」
 アンドルーはキャサリンの抱擁を振りほどこうとするが、彼女は離れなかった。
「いやよ!! あなただけでは行かせない!!」
「アンドルー――!!」理奈は手を伸ばして彼を引き留めようとした。
「理奈を近づけるな!!」
 のぞみは理奈を抱きしめ、さらに達矢が加勢した。
「いやよ!! あたしをひとりにしないで!!」
 アンドルーはなにごとかを口にしていたが、声は届かなかった。消える間際に、彼は笑みを理奈に送っていた。
 フッ――と、アンドルーとキャサリンは空気の中に消える。パサリとキャサリンの着ていた制服が、その場に落ちた。
 喜びも束の間、ふたりはいずこかへと転移してしまった。
「あああ――、なんてことなの!! アンドルー……」
 理奈は泣き崩れた。

 愕然とする彼らの背後で、ブンッと風のうなる音がする。突風が音に吸いこまれるようにして吹き、次の瞬間には逆方向に吹きかえした。オゾンを含んだ金属的な臭気があたりに立ちこめた。
「今度はなんだ!?」ゲーリーは辟易した怒鳴り声を上げた。
「そんなに怒鳴るなよ、ゲーリー」
 声の主はアンドルーだった。彼の隣にはキャサリンがいた。ふたりは揃いのカーキ色のジャンプスーツを着ていた。
「ア……、アンドルー?」理奈は絶句する。
「ドンピシャだったな。そうではないかと思っていたが、確信はなかったんだ」
 アンドルーはゆっくりと理奈の元へと歩みよる。そして彼女を抱きしめた。
「会いたかったよ、理奈。戻ってくるために三ヶ月もかかってしまった」
「三ヶ月?」
「ああ、オレとキャサリンは二六〇九年のアジア・コロニーに飛んだんだ。ちょうど、オレたちがこの時代にジャンプした直後だった。自分たちで破壊した時空確率転送機を復旧するのに、三ヶ月かかってしまったというわけさ。皮肉な話だが」
「どういう……ことなの?」
「簡単にいえば、オレとキャサリンが転移してしまったのは、未来からオレたちがここに戻ってきたために、玉突きのように弾きだしてしまったようなんだ。ニワトリが先か卵が先かみたいな問題だが、この時空ポイントは輪になっていたんだ」
 光輝はパンッと手を叩いた。
「そうか! じゃ、ぼくたちのシステムにエネルギーを送りこんだのは君だったのか!」
「そういうことだ。開いている時空の穴を特定することはそれほど難しいことではなかったからな。お膳立てをしたわけだ」
 理奈はアンドルーの顔を自分に向けさせる。
「解説はもういいわ。キスして」
 キスするふたりを、キャサリンは複雑な微笑みで見つめていた。

「わたしが気絶している間に、いろいろと複雑なことがあったみいね。せっかくのクライマックスを見逃してしまったわ」
 湯船につかった立原はこぼした。
 彼女たちは藤乃湯に来ていた。さっぱりしたいという理奈の要望で、温泉に入ることにしたのだ。
「ああ、いい気持ち! 向こうでは綺麗な水で体を洗うこともできなかったのよ」理奈はゆったりと体を伸ばして湯に浸っていた。
「ねぇねぇ、キャサリン。未来に戻ってどうだったの?」ジャネットがきいた。
「もう大変。説得するのにずいぶんかかったわ。戻ってきたジャンパーは初めてだったから。彼らはわたしたちを引き留めたがったけど、再び過去にジャンプすることは譲らなかったの」
「どうしてこっちに戻る気になったの? 未来にいれば自分たちの生活に戻れたのに」理奈は問いかけた。
 キャサリンと理奈は見つめあった。
「彼は……どうしても戻りたがっていたわ。あなたのために。わたしも戻りたかった。だって、こっちの世界の方がよかったの。それにわたしは……」
 キャサリンは言葉を濁した。
「なに?」
「これはまだ内緒にしてほしいんだけど……」
「いいわよ。女同士なんだし」
「わたし……、アンドルーの子を身ごもってるの。理奈……、たぶん、あなたもよね?」
「ぶっ!」立原は驚いて湯船の中にずり落ちた。
「ちょっと! あなたたちは!」
 理奈はキャサリンの告白をきいても驚かなかった。三ヶ月間、アンドルーと一緒だったのだ。彼のことが好きな彼女なら、そうなっていても不思議はないと思っていた。
「やっぱり……。ええ、私も妊娠してるわ。彼は知らないけど」
 ジャネットがそっと手を挙げた。
「あたしも仲間に入れてよ」
「え?」のぞみは目を丸くした。
「あたしも妊娠したみたい。相手は光輝だけど」
 立原は両手で頭を抱えた。
「ああ! なんていうことなの!」
「なんだ……、まだなのは、わたしだけなのか……」のぞみは口を尖らせた。
「もうそれ以上いわないで! 頭がくらくらするわ!」
 少女たちは微笑み、やがて快活に笑い出した。それは喜びを分かちあう笑いだった。

 郷田邸のリビングでは、クリスマスパーティーの準備が進められていた。藤乃湯から帰ってきた少女たちが、即席のパーティーをしたいと言い出したからだった。
 少年たちも賛同して、郷田邸に押しかけたのだ。立原と菅原も参加していた。
 パーティーを開くことの、本当の理由を知っているのは女性たちだけだった。男たちはクリスマスイブだからという理由で納得していた。
 食卓には出前の寿司やピザが並べられ、ロウソクが灯された。
 キャサリンとのぞみが中心になって祈りをとなえる。
「今日、こうしてみんなが一緒にクリスマスイブを迎えられることを、主に感謝します。御子芝さんと高千穂さんがいないのが寂しいですが、ふたりにも主のおぼし召しがありますように。アーメン」
「アーメン」全員が復唱した。
 そして、きよしこの夜を歌う。


きよしこの夜 星はひかり
救いの御子(みこ)は まぶねの中に
眠り給う いと安く

きよしこの夜 御告げ受けし
牧人(まきびと)たちは 御子の御前に
ぬかずきぬ かしこみて

きよしこの夜 御子の笑みに
恵みの御代(みよ)の 朝(あした)の光
輝けり 朗らかに

 静かな、安らいだ夜が、それぞれの想いを満たしていた。