リレー小説『ラスト・フォーティーン』 第二二節「Angelic Conversation」/水上 悠

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 あの日以来、「イヴ」のイメージは薄くなる一方だった。
 何処からか一方的にやってくるだけのイメージを、無理に捕まえることなど考えたこともなかったが、「イヴ」のイメージだけは、なんとしても捕まえておきたかった。
 黒井は、真っ黒なモニターを見つめながら、もう半日近くやってくるはずのないイメージを待っていた。
 メールの返事も来ない。
 ただのいたずらだったのか?
 それとも、返事が来ないことに意味があるのか?
 キーを叩く。
 息を吹き返したコンピュータが、勝手にメールチェックを始める。
 受信中のメール……三通。
 受信が終わると、件名だけを見て黒井は二通削除してしまった。
 残りの一通も削除しようとマウスをクリックしようとしたが、一瞬ためらった。
「no subject」
 差出人の枠も空欄。
「お会いしたい」
 たった一行だけ、そう書かれていた。
 手の込んだいたずらと見過ごしても良いのか? 黒井は一瞬ためらった。
 怪訝な顔でモニターを見つめる黒井の脳裏に、三人の男のイメージが浮かんだ。
 三人?
 フードの中の顔は苦痛に歪んでいるが、不思議と絶望は感じない。
 誰?
 黒井は額に手を当てると、目を細め、次に来るモノを待った。
 メニューバーの時計がむなしく時を刻むが、何も来る気配がない。
 これだけ?
 いささか拍子抜けをしながら、黒井はタブレットのペンを取ると、通り過ぎたばかりのイメージのスケッチを始めた。
 苦痛に満ちた、希望を見据える双眸。
 いったい、これをどう描けばいいのか?

 来客を告げるベル。
 どれくらい時間が経ったのだろう?
 黒井は、ペンを置き、玄関へと立った。
 部屋の壁にかかった時計は、午前二時を回っている。
 こんな時間に誰が、という疑問は不思議と浮かんでこなかった。
 カギを開け、ドアを開く。
 黒のコートを着た青年がそこに立っていた。ボサボサの黒髪、黒い瞳……。黒井は彼の中に絶望の塊を見たような錯覚にとらわれ、めまいを覚えた。しかし、具体的なイメージは浮かんでこない。それだけが救いだった。
「驚かないんですね?」
 青年はいった。
「メールをくれたのは、君か?」
 黒いは、答えるかわりに、逆に尋ねた。
 青年は微笑を浮かべただけだった。
「あなたですら止められない何かが動いてます。ボクにはもう時間がないから……」
 自分が、何かを止める?
 そんなふうに考えたことなど一度もなかった。
 見たモノを伝えるだけ。
 それが自分の使命だと考えていただけだ。
「彼等には、あなたがどう考えていようと関係ないんです。あなたは、見ることが出来る、それだけであなたの存在は、彼等にとって意味のあるものになってる。でも、あなたは自分自身の存在理由を知らない」
「知る必要があるのか?」
「もし、何も知る必要がないというなら、ボクはあなたの目の前に、こうして立っていることはないでしょうね」
「君はいったい……なんだ?」
「探したって、答えなんて存在しない。答えは探し出しても存在しないんです。だって、まだ存在していないんだから。答えは作られる時を待って、あたかも苦労して探し出されたかのように目の前に現れるだけ。そう、あなたの目の前にいるボクという存在と同じ」
「じゃあ、君が答えなのか?」
「答えへと至る、過程だと思ってください。本当の答えはもっと先に存在し、あなたの目の前に現れる時を待ってます」
「いったい、何をさせようっていうんだ?」
 黒井が語気を荒げると、青年は肩をすくめた。
「その答えはあなたが自身で見つけるべきですよ」

 答えは出ないまま、朝になっていた。
 モニターには書き上げたばかりの双眸が映っており、黒井をにらみつけている。
 絶望の塊を宿した青年の瞳。
 違う。
 黒井はファイルを消去しようとキーボードに手を伸ばした。
 そして、またベル。
 ドアの向こうには、三人の男たちが立っていた。
 全身黒ずくめ。いったい、なんの嫌がらせなのだろう。
「黒井正直さんですね?」
 真ん中の男がいった。
「メールは、あなたたちですね……?」
 男たちは何も答えなかった。
「この子たちをご存じですか?」
 右隣の男が、黒井に八枚の写真を渡した。
 少年と少女がそれぞれ四人ずつ。
 どれも黒井には見覚えのない顔だった。
 普段あまり外に出ることもないし、近所の子たちだったにしても、ほとんど気にかけることもないので、仮に何度か顔を合わせたことがあっても記憶に残っていないだけかもしれない。
「我々の未来を握る子が、この中に一人存在します」
「未来?」
「我々は、あなたがその子の覚醒のカギを握っているということも存じています」
「いったい、何が言いたいんです?」
 男たちは黒井の問いには答えず、その場を立ち去った。
 黒井は写真に写る四人の少女たちを見つめながら、イヴの姿をそこに重ねようとしていた。